
03年02月
【2003/2/5産経 朝15版】
2面
金融庁に朝銀専門検査官を配置との記事。
【2003/2/6産経 朝15版】
1面
山川出版「詳説日本史」から南京犠牲者数「40万人」を自主削除との記事。
【2003/2/11産経 朝15版】
1面
メリルリンチ証券がみずほに1500億円出資の記事。メ社はUFJにも1000億円拠出の予
定。
【2003/2/12産経 朝15版】
1面
外務省の下部機関がアメリカで対日糾弾セミナとの記事。国際交流基金「記憶・和解とアジ
ア太平洋地域の安全保障」と題する連続セミナにおいてとのこと。2面にも関連記事あり。
【2003/2/13産経 朝15版】
1面
春闘の記事。「攻の経営」という見出しは、賃下げについて積極的な後押しをしているとの印
象を受ける。「経営側は、これまで『聖域』とされてきた定昇制度にも踏み込む」という表現も、
賃金の下方硬直性に対する批判に受け取れる。従業員側の要求には理由が見出せないとい
った記事の構成は、個人所得の減少につき止むをえないとの諦観を世相に与えるものと考え
る。
【2003/2/15産経 朝15版】
1面
平成14年度第3四半期GDPの速報値の記事。個人消費の伸び率は前期比で0.7%減少、
個人消費において明るい見通しは特にない。いったいどんな契機によって、経済は上昇するの
であろうか。これまでの繁栄振りが異常なだけと考えれば、「底」をつくまで不況のままであろう
と思われる。「底」をどのように考えるかにもよるけれども、とりあえずは子どもの教育費にか
かっていた分が全額所得からなくなるくらい、個人所得は減少するところまでいってもよいので
はないかと自分は考えている。
【2003/2/18産経 朝15版】
1面@
川崎市の市立小学校で過激な性教育の記事。
1面A
総合規制改革会議が、病院等による農地取得の下限緩和等の規制緩和計画を策定。この
計画はどこまで、強制力があるのでしょうか?計画策定というのは、ちょっと表現がよくないの
では?
【2003/2/21産経 朝15版】
産経抄
「しかしだからといって…」とう表現方法への批判。内容よむと、総論賛成しながら各論賛成
することの批判であり、レトリックとして「しかしだからといって…」を批判して見せているだけと
いうことがわかる。
論点を明確にしたり、方向性を示したいときに利用するという表現ではないと考えるので、記
事のとおり新聞が利用するのはおかしいというのは賛成である。
ただし、実務上の問題を解決しようとするときには、目的に賛成しつつも、手段が現実的でな
いなどの理由で各論部分で反対することは、ありうると考える。
【2003/2/22産経 朝15版】
1面
検証金大中大統領 上。太陽政策への批判記事。太陽政策によっても北朝鮮に変質はな
く、むしろ韓国が反米化したとの内容。太陽政策の前提は、北朝鮮の体制はおそかれはやか
れ、維持が困難であるということにあったと思われる。南北の経済格差が圧倒的であった状態
で、どのように南北統一を図るかがこの政策の主眼がであったと思われる。
韓国の政策目的と違い、日本やアメリカは、南北統一自体は二の次であり、北朝鮮が脅威
でなければそれでよいといえる。かえって、韓国の主導下で統一などされたら、アジアにおける
米軍プレゼンスの規模に疑義が生じることになる。アメリカの対アジア戦略や日本の対中国・
ロシア政策は大きく変更を迫られる。
統一が、たとえば米軍を含めた軍事行動などによれば、かなりアメリカや日本にとって優位
な状況となる。少なくとも、ロシアと中国に隣接する地域に、米軍基地を設置できるかもしれな
いし、「適正な」構造ができあがるまでアメリカによる軍政を敷くことも視野にはあると思われ
る。
統一国家韓国は、長期的にみれば経済的にも軍事的もいまより優位な状況になると考え
る。北朝鮮は開発が進んでいないものの、鉱業資源や河川などの立地条件は南よりも優位に
あると考えられる。そうした地域が、誰に負い目もなく統一などされたら、日本にとっては脅威
であろう。すくなくとも「日本はそこに脅威のある国があるから、嘴をはさむ権利がある」という
大義名分が失われることになる。北朝鮮を押さえ込みながら、現在の体制を継続させるか、統
一されるのなら、米軍主導による軍事制圧が望ましいというのが、日米政府が行う地政学的な
利益衡量であろうと想像する。
産経新聞が強烈に太陽政策を批判するのは、こうした視点があるからであろうか。たしか
に、太陽政策は短期的には北朝鮮の冒険主義を誘発するし、韓国の世界経済における地位
が経済危機以来、ぼんやりと印象が薄いものになっている現在はなおさらであろう。
ということで、産経新聞の主張にはそれなりの論拠があるのかなぁ、と考える。賛成かどうか
は別ですけれどね。
【2003/2/23産経 朝15版】
30面
皇太子誕生日の談話記事。記事だけ読むととくに気になるところはない。しかし、たまたま
2003/2/23 11:50フジテレビのニュースを見ていいたら、「父親もできるだけ育児に参加するこ
とは母親の育児の負担を軽くすることのみならず、子供との触れ合いを深める上でもとても良
いことだと思います」という趣旨の発言が大きく取り上げられていたが、その点について全く触
れられていない。逆に、テレビでは他の部分の発言を大幅カットしている。全文を産経Webで
確認して、違いがよくわかった。新聞の方は「全文は産経Webで」と記載されているので、若干
親切である。
全文を知っている人間にとって記事は真実であるけれども、記事の事実しか知らない人間に
とっては真実とは言いがたいということを、ひさびさに実感した。
【2003/2/24産経 朝15版】
産経抄
選手の安全のため参加を中止した日本サッカー協会への批判記事。参加中止が反戦をアピ
ールするためなら、妥当な批判である。しかし、危機管理からした中止なら止むを得ないと考え
る。大会中に戦争がはじまったら、どうなるのかを幹部が考え、責任が負えないと判断したなら
仕方ないと思われる。もちろん、責任能力に欠けるところがあるのかもしれないけれど、スポー
ツ団体に高度な政治的判断を要求している記事の前提は、突飛すぎると思う。
3面
朝鮮半島に残した個人資産の記事。土地をカウントするのは妥当かどうか?預貯金とか株
券は当然として、建物もケースによっては、不当な接収と見ても良いと思われる。個人賠償が
直接認めらていない点やすでにサンフランシスコ平和条約などで解決していることからすると、
どうしようもないのではないかと思われる。
中村粲獨協大学教授は「朝鮮で不当に奪われたこれらの個人財産への償いはまだ済んで
いない」とコメントしているのは、国家に救済を求める立場なのか。意図が不明である。もしか
して、これをもとに韓国や北朝鮮に賠償請求できると考えているだろうか。もしそうなら、アメリ
カなどで提訴されている個人の戦後賠償訴訟も受け入れるという立場なのであろうか。
これは、戦争が負けたことによる当然の帰結なのであって
【2003/2/25TJ KAGAWA】
ついつい購入。笑いの文化人講座だけ読んで、あとはぱらぱら。なんだか広告が多くなった
感じ(情報誌なんだから元々そうなんですけれど、なんだか雰囲気がね)。
【2003/2/26産経 朝15版】
1面
男女共同参加条例に対する批判記事の第2弾。批判の焦点は表現の自由が不当に制限さ
れている点である。「固定的な性別役割を連想させる表現を行わないように努めなければなら
い」という条例が、憲法で保障された表現の自由を抑制しているというもの。また、ジェンダーフ
リーの概念を、解消する方向で条例が作成されている点も問題視している。また、性の自己決
定権は中絶容認となり問題として取り上げている。
上記で問題とされている概念が、どのようなものであるのかよく知らない。1面で取り上げる
ほどなので、産経新聞としてキャンペーンしているのであろうことしかわからない。この記事か
ら推測される産経新聞主張は以下の3つにあると思われる。
@固定的な性別役割は憲法14条で禁止されている性別による差別ではない、もしくは仮に
性別による差別であっても憲法14条で禁止されている差別にはあたらない(仮に差別であっ
ても表現の自由が優越するとの立場かもしくは、押し付けられた憲法であった14条に特記して
「性別」が掲げられている必要性を認めない立場というのもありうる)。
Aジェンダーフリーは性別の違いからくる生物学的な役割分担を放棄するもので、社会的な
見地から容認できない思想である。もしくは、社会で形成されている性別による役割は、生物
学的に効率性や秩序維持などの点で必要であるので、固定的であったとしても、社会を営み
国家の一員であるからには、社会の要請には従うべきである。
B中絶は、母性保護上例外的に認められるのであって、女性には決定権はない。また、仮
に妊娠する自由などが含まれているしても、子供を生み育てていくのは女性の権利ではなく夫
婦の義務であるのだから、決定権は男女に等しく備わるべきである。よって性の自己決定権な
るものは容認できない。また、結婚しないで子供を生むケースは内縁と考えるなどの法技術で
処理すればよいし、意に添わない妊娠は強姦罪の適用など現存の刑法体系で十分対応でき
る。男は要らないが子供だけがほしいケースは、家族形成などの社会秩序を乱し、子供の教
育上好ましくなく、女性の身勝手な権利の濫用である。
つらつら書いてきたけれど、「可能性」を記事にしただけで、こんな極論を主張したわけでは
ないとの意見もあるやもしれません。
では、自分の主張はどうかといわれるとつらいところですねぇ。
ふと、森博嗣(おお!呼び捨てだ)の本の「確信犯が確信していることってなんだ」という趣旨
の言葉を思い出した。産経新聞のキャンペーンのねらいと、批判記事の批判内容の根幹と矛
先に、思いをいたします(この表現は動詞+名詞という構造でちょっと翻訳な気きがする)。
【2003/2/26NEWSWEEK日本版 】
P.18−23クリストファー・ディッキー「欧米の深くねじれた亀裂」
価値観の相違を論じている。視点は良いと思われるけれど、最近になってこうなったわけで
はないということは、はっきりさせた方が良いと思う。「世界の価値観マップ」はどうやって作っ
たのだろうか?なかなか興味深い。
「ヨーロッパ人にとって宗教は『与えられた』ものにすぎない」というコメントは、強烈である。
P.48−53デーナ・ルイス、秋山悦子、デボラ・ホジソン「『外国人お断り』はお断り」
現在おきていることに目を向ける必要はあるけれど、こんなことが各地で起きてるのかと思う
と、まだ日本は自由・平等などの理念が浸透していないと考えざるをえない。こうして日本のこ
とが大々的に扱われるわけだから、他の国の同様な現象も、同様に報道されるべきでしょう
ね。でも、あまり目に付かないということは、そんなことはないということかな(本当か?)。
【2003/2/27産経 朝15版】
3面
ハウステンボス破綻の記事あり。みずほフィナンシャルグループの不良債権処理が影響とし
て、小泉内閣による金融再生プログラムを「小泉改革に伴う「痛み」は、確実に地方に波及して
いる」と評する。
【2003/2/28産経 朝15版】
2面
構造改革特区の記事。注目されるのは遠山文部科学大臣批判が際立っている点である。
『選挙をしていない人は街の声を感じていない』と、民間出身の遠山文科相を痛烈に皮肉った」
で締めくくられる一連のセンテンスは、鴻池大臣のとった大臣をスルーして副大臣と折衝すると
いう方策を肯定した上で、遠山大臣個人への批判となっている。他省庁でも成果をあげていな
い点からすると文部科学省だけが突出して取り上げられていることは、バランスを欠いている
のではないかと思量する。もし、こうなることを見越して、大臣間交渉を早々にうちきり、副大臣
と交渉する方向に切り替えた上、他の省庁とは大臣折衝しなかったのなら、どうとられるか。鴻
池大臣には、改革達成以外の政治的意図があり、そのためにとったスタンドプレであったとみ
られても止むをえないものと思われる。
こうした疑惑を生むのであるから、記事としては、他省庁との折衝の状況を記述し、大臣折
衝がなかった省庁については、なかった理由と各大臣の対応も付して記事とすべきものと考え
る。
後半には「官庁や族議員の抵抗の壁にかなわなかった」という特区推進室スタッフのコメント
がある。もし、遠山文科相以外も抵抗した関係者がいるなら、特に選挙によって特別公務員と
なっている議員ならなおのこと、抵抗の状況を顕名で報道すべきであろうに…
11面
ハバートアメリカ大統領経済諮問委員長辞任の記事で有り。この記事の関心は、竹中金融・
経済財政担当相が後ろ盾をなくすという点にある。そのことの真偽がまず疑問である。
アメリカは日本の財政再建路線を支持しなくなるということが、この記事の前提にあるものと
思う。しかし、現在の経済情勢において、積極的に財政再建をすすめるか、やや慎重に再建を
すすめるか、以外に選択肢があるのであろうか。アメリカが積極的に肩入れしなくなるだけで、
積極財政をするよう圧力をかける可能性はないと考える。この記事を書いた人間は、日本の
経済・金融政策にブレーキをかける外圧が加えられる可能性を信じているのであろうと想像さ
れた。
ちょっと話がそれますが、将来の日本経済について。今は増税をするという気運にはないけ
れども、今後は財政再建のために増税も不可避であろう。増税しても得るものはないと考える
かもしれないけれど、もはや得べき行政サービスは享受し尽くしていて、借金を返すだけの生
活に突入していると考えれるしかない。今後、国等の借金を帳消しにするとか、開き直ってバ
ブルがくるまで借金をし続けて借金のことは気にしないなどのウルトラCがなければ、財政の健
全化はありえない。
経済は今後も悪化したままで、財政再建もしないというのが、現実的な路線であろうと思われ
る理由は以下のとおりである。
第1に経済が活性化するような技術革新や商品開発が望めない点。望めない上に、国内的
には住環境と長時間労働が解決しない限りは、個人がこれ以上豊かな生活を享受するという
状況はないため。
物理的な制約(おき場所がない・使う場所がないなど)である住環境が変わらないと新規に商
品需要は伸びないと考える。また、サービスについてはそれを享受する時間がなければ、需要
が伸びない。
第2に負担が大きい財政再建に国民の賛成が得られない点。財政再建は先延ばしになり、
国等の借金は一向に減らないことになる。
現在、財政再建をすることを表看板にしている政治家が、竹中担当相以外には注目されて
いない。政治家でない大臣が辞めた後、財政再建を長期的に継続する人材が存在しないこと
を意味している。大平内閣の頃から90年代くらいまでは、財政再建や構造改革を掲げた政治
家はいたように思うのだけれども、最近は選挙をしている人でこうした主張をしている人が注目
されていない。これは、国民の声を謙虚に受け止めた議員の姿勢のあらわれであるなら、止
むをないことであろう。
このままでいっても破綻することはないのではないかと楽観している。というのは、今後、国
債発行残高の増加や利払いによる財政圧迫を理由にして、金融面から経済が悪化し続けるも
のと想定しているけれども、貯蓄や財政政策によって経済の下降傾向は緩やかであろうと想
像するからである。
個人や中小企業では古くなった持ち物を買い替えしたくてもできないほどの、不況になる。た
だし、資金不足は徐々にもたらされ、急激ではないと思う。理由として次のようなことを考えて
いるからである。
日々の収入が将来のための貯蓄と生活資金に費消され可処分所得が少なくなる。賃金低下
や失業増加で収入が目減りするからである。この点は、消費のサイクルが長くして資金需要を
抑制するとともに、子供のための教育支出を抑制するか子供を生まない方向で資金不足の解
決をはかるのではと推測する。つまり、遠い将来や資産の買い替えのための貯蓄があるの
で、老後の生活水準を切りさげ、教育資金を切り詰め、買い替え資金を抑制して、貯蓄を取り
崩していくことになる、という予想である。
なお、このことの帰結は、富裕層と低所得者層との間の教育レベルの差になってあらわれ
る。このため、労働需要については現在のアンマッチ状況はやや解消されるのではないかと
推測。学歴による差が合理的な能力差であるという信仰が継続されていれば前提である。
一方で、継続性をモットーとする大企業は、できるだけ長期間生き長らえるように資金計画を
慎重に行い、この段階でも若干の余裕を有していると考える。こうした大企業は、需要の高ま
りをみてから悠々と、投資を活性化させることになると想像する。
不況状態が継続してしまうと、確証が持てるほどの需要がみえなければ、積極的な投資を行
わないと考える。確証が持てるほどの需要というのは、景気の底の底になるまでは、判然とし
ないと考える。
なお、それゆえに、停滞した経済に喝を入れるためベンチャー企業が必要になるわけであろ
う。安定した社会ではお金があるに投資先がないこと(どこも横並びなのでとりたてて魅力的な
投資先が見出しにくい)が問題である。また、安定した時期にベンチャー企業の風習ができて
いない場合、経済が悪化したときに投資を受け入れてくれる先がなくなり(投資をしたくても積
極的に設備投資をしようとする企業がなくなるため)問題となる。
さて、景気の底の底における企業の積極投資が、消費を刺激し高度成長をもたらすものと思
われる。ついては、不況になったからには相当の底まで到達しない限りは、経済の好転は見
込めないのではないかと考える。
こうやって、だらだら書いても、別に厳密な数値的な裏づけはないので、本気にしないように
…。

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