02年10月
【2002/10/2産経 朝 15】
29面
 千代田区の歩きタバコ禁止条例の記事。内容は比較的中立的であるが、文末に「喫煙者の
"反逆"がめだった」とあり、必ずしも条例に賛成ではないことが伺える文章である。今後の取り
上げ方を見守りたい。
【2002/10/3産経 朝 15】
1面
 政府が北朝鮮に派遣した拉致事件調査団の記事。ほぼ全面を使い、拉致被害者も死因が
写真入でリストになっている。
3面
 アメリカ西海岸で港湾労働者のストの記事。日本企業の物流に大きな影響とのこと。とくに気
になった点は「全米平均の港湾労働者の年収は…全米労働者平均の約二倍」との記述。不況
下でのこの争議への支持が低いのでは想像する。
 強い労働者が発動するスト権でほかのより弱い労働者が被害うけることは、権利の濫用なの
ではないかとの考えを誘発するが、労働基本権どおりの権利行使なら批判はあたらないと思
う。とくに、賃金が「平均」の2倍という表現に、どんな意味があるのか?
【2002/10/4産経 朝 15】
 ペイオフ全面延期の記事。しかし記事をよむとまだ決まっていなことになっており、タイトルの
つけかたが、ゴシップ紙のようで感心しない。なんで延期するのか記事だけでは不明。実施す
ると実際に取り付け騒ぎが発生しそうな金融機関が存在するということか。それ以前に破綻寸
前の金融機関があるということか?もしそうした金融機関があるならそこがつぶれてからのほ
うが、確かに預金者としては助かるところである。一方で、全面延期の意図は通常このように
判断されるであろうから日本経済に対しては悪い方向へ更にプッシュする政策判断のように思
われる。
【2002/10/5産経 朝15】
2面
 西ナイルウィルス警告の記事。アメリカでは99年に確認されてから5年とかからずに定着と
のこと。日本での対応についてはあまり触れられていない。
【2002/10/6産経 朝15】
くらし再考
 千代田区歩行禁煙条例に関連して、たばこの記事。まるでこれまで肩身を狭くしてすってい
たのが、さらに肩身が狭くなったようなタイトルのつけかたである。中身をよむと、結論部分が
禁煙しようという話題になっているので中立的ともいえる。しかし、本文より大きな字体の単語
を拾うとアンチ歩行禁煙条例といった印象をうける。ゴシップ紙のようなやりくちで非常に気に
入らない。
7面
 洪思翊中将についてのコメントあり(山本七平「洪思翊中将の処刑」文芸春秋)。
【2002/10/17週刊新潮 58-62】
 櫻井よし子の文章をはじめてよむ。中国に対する姿勢をあらためよという論旨であった。事
例を数字をまじえて論じており説得力のある文章であると思われる。よく研究しているという印
象をうけた。とくに気にとめた論点は1)過去を引きずった感傷的な中国への関与の仕方は、
こちらの誠意とは裏腹に利用されるだけに終わる2)中国脅威論は中国への依存が高くなるこ
とで中国の影響力が大きくなることへも注目すべき、であった。1)について、政治としての経済
ではなくビジネスとしての経済を透徹すべきとの点と、外交方針もその点を踏まえるべきという
点で賛成。2)についても中国が文化大革命のようにおかしなことにならなければ、軍事的な脅
威よりも短期的には経済的な依存度の上昇か世界経済や日本経済へあたえるインパクトのほ
うが大きいと思う。もちろん軍事的な脅威はあろうけれども、実際に事変に到達するためには
外交の失敗や経済の破綻などのきっかけが必要であり、長期的なスパンで見る必要がある。
台湾問題や各国と間にある領土問題も中国は50年から100年単位で方針を立てているので
はないかと考えるので、軍事的な側面は長期要因として考慮すればよいのではないかと考え
る。
【2002/10/20産経 朝15】
29面
 千代田区の禁煙条例でガード下の飲食店で喫煙できなくなるとの記事。この記事はガード下
での飲食店の存在を文化として捉えているが、もしそうならそれに対する法的な緩和措置を提
起する必要がある。ただし、それがどうしてここだけ許容されるのかを説明するのは難しいと思
われる。建前から言えば、道路交通法に違反しているのだからそこが解消されれば問題ない
ことになる。禁煙条例の問題ではあるけれど副次であると考える。この記事は禁煙条例を原因
のように捉えているが、この条例がなくなってもガード下の問題は解決しないので、問題提起
の仕方自体に難がある。禁煙条例に対する攻撃的な意図があることが伺える記事である。
【2002/10/30産経 朝15】
 住民投票についての特集記事。国にかかわることは国で議論すべきであるという意見と自分
の身近に差し迫った全く個人の利益の侵害に対する主張とを同一にした議論と思われる。こ
の文章の論旨は最終的に、「国で議論すべき問題は国が行う」→「地方自治体はその決定に
介入すべきでない」→「住民投票によって国の政策に縛りをかけるのは妥当ではない」との構
図をとっている。
 住民投票に法的な縛りがないとした場合、この図式が成り立たなくなる。しかしその場合は単
なる意見表明のために労力を使うのは無駄であるとの反論が提示されそうである。労力の問
題ではないけれども、「住民間の対立の溝が深まる」ので地域社会の平和が乱される」という
点をあげて反対意見を提示している。
 ただし、意見の違いがあるときには、ではどうすればよいのか?国の政策に不満のあるとき
はどうすればよいのか。通常、代議制を採用している日本では、陳情によるのが通常である。
しかし、日本では政治不信が高まって通常の政治手続きに期待ができないということで、別の
手段が模索されてた結果として住民投票制度に注目が集まったのではないか。でも結局は意
見対立がなくなるためには、何らかの政治的なアクションをとらざるを得ないのであって、住民
間に横たわる深い溝を引き受けるだけの政治家が、議会で議論を戦わせ、選挙で洗礼をうけ
て、意見集約を果たしていく必要がある。結局は伝統的な政治手法の再提示である。しかし、
単に昔のままでは元の木阿弥なのであるけれど、この記事ではとくに、そうした掘り下げはな
い。
 こうした論旨を掲げる前提には、国にかかわる政策には犠牲となる少数派があるもので、そ
うした人々も国から恩恵をうけているはずだし何がしかの公徳心があるなら国家の政策に反
対せずに従うべきである、という考えが前提にあるものと想像する。

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