私は土屋賢二ではない



 『われ笑う、ゆえにわれあり』を私が書いたのではと疑われた。名誉にかけてその疑いを晴らそう。

 私も読んでみたが、次の章はなかなか楽しい。
あなたも今日から老化が楽しめる
汝みずからを笑え
私はこうして健康に打ち勝った
 著者は、大学で哲学を教えるだけあって、みごとな3段論法を披露している。
お金を払わないと手に入らないものは、無料のものより価値がある。
タバコの煙を吸うにはお金が要るが、きれいな空気を吸うのは無料である。
ゆえにタバコを吸うほうが価値のある行為である。
 また、恋愛に対する考察はみごとである。
同じことをしても結局は外見で評価が変わってしまうという事実がある。たとえば女が困ったときに助けようとした男がいたとしよう。この同じ行為に対して「親切な人」と言われる男もいれば、「親切ごかしに、つけいろうとしていやらしい」と言われる男もいるのである。この場合、「親切」と「親切ごかし」は、見た目で区別されるのだ。
 このように論じた後で、同じような例をいくつかあげている。

外見のよい男外見の悪い男
決断力がある軽率な
ファッションセンスがいいかっこばかり気をつかう
頭がいい頭でっかちの
ユーモアのセンスがある不真面目な
他人にふりまわされないがんこな
おおらかな無神経な
やさしい女の腐ったような
大人の年よりくさい
少年らしい子どもじみている
いい人人はいい
真面目なカタブツの
繊細な神経質な
自分の考えを持っているわがままな

 男にとっては、いくつも思い当たるものがあるだろう。テレビのバラエティよりも、この本のほうがはるかに楽しめた。

 なかには、私がウソツキクラブの会員ではないかと思う人もいるだろうが、それもノーである。だいいちこのホームページではうそを書かないことに決めている。でもときどきうそが書きたくて苦しくなることがあることを申し添えておく。
(2000-10-20)