日陰者



 杉山隆男『兵士に聞け』は、自衛隊員に取材して書き上げたルポルタージュである。

 自衛隊の幹部を養成する防衛大学校の卒業式では、学校長が次のようにあいさつする。防大の生みの親である吉田茂元首相のことばを引用しつつ。
君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉をかえれば、君たちが『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい。(p49)
 これが新しい人生の第一歩を踏み出す若者への祝辞なのだ。

 年に2回レンジャーの訓練が行われる。すさまじい地獄の特訓を受けるのだ。訓練を終えても昇給があるわけでもないし、昇進が早まるわけでもない。ただ周囲から一目置かれるだけだ。それでも彼らは志望してやってくる。しかしその訓練を見ていた一般の隊員からは、「あいつら人間じゃねえよ」と見られてしまう。

 北海道の奥尻島で地震があったとき、航空自衛隊の隊員たちがすぐさま救助に駆けつけた。そう奥尻は基地の島だったのだ。
軍手をしているのはましな方でほとんどの人は素手のまま、あちこち棘が刺さったり釘で切ったり文字通り傷だらけになりながらそれでも構わず夢中で手を動かしつづけた。熊谷二尉も制服のズボンがすっかり破けていることに現場を離れる翌日の昼近くまで気がつかなかった。(p297)
 カンボジアのPKO活動に従事したのは1210人。陸上自衛隊15万人のうち1%にも満たない。しかし出身部隊が偏っていたので、中隊の3分の1も隊員を送り出したところがある。しかし人が減った分だけ仕事が減るわけではない。行かなかった者たちの負担は、それだけ重くなる。それに彼らも希望したのに行けなかったのだ。

 一方行った者たちには、1万6千円の特別手当が毎日支払われ、半年後帰ったときには200万円のボーナスを受け取る。しかもその後昇給スピードもアップする。

 かたや国際貢献というスポットライトが当たり、給料も上がり、高価な車を乗り回している。それを見ている行けなかった者たちは、当然おもしろくない。

 こんな自衛隊員のこころのうちをレポートしているのが本書である。
  • 兵士に聞け 杉山隆男 新潮社 1995 NDC916
    「週刊ポスト」の連載(93/5-94/12)に加筆。
(2004-07-28)
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