教育の古い波



 先日NHKでアメリカのチャーター・スクールをレポートしていた。自由に学校を設立させ、そこに公費を投入する。ただし、成果が上がらなければすぐにつぶされる。そんなシステムだ。公立学校があてにできなくなりつつあるアメリカならではのアイデアである。

 一方、いかなる公的援助も受けずにがんばっている学校もある。それはボストン郊外にある私学校サドベリー校。1968年に設立以来、30年以上続いている。あらゆる年齢の子どもたち200人が通い、1983年当時で年間授業料3000ドルですべての経費をまかない、しかも公立学校の半分の経費しかかけていない。このデータを見ただけでどんな学校なのか興味がわいてくる。その詳細については、『「超」学校』に詳しい。

 『「超」教育』は、サドベリー校の創始者であるグリーンバーグ氏の教育評論集である。現代をポスト産業社会であると位置づけ、企業家的な個人を育てようとする。そのための学校像について語る。
(学校は)最大限の多様性を保障するものでなければなりません。自分でゼロから物事に取り組む主体的個人、企業家を育てるものでなければならないのです。同時にそれは子どもたちを、私たちアメリカの文化的諸価値に沿ったかたちで育てるものでなければなりません。とりわけ「寛容」「相互の尊敬」「自治」といった、この国の本質的な価値を身につけさせることは重要である。
 これを読んで、自分がいかにアメリカ的な価値を重くみているのかに気づいた。まさに戦後の日本国憲法の精神そのものではないか。
サドベリーの子は、何よりもまず遊びが大好きです。遊べば遊ぶほど、世界を理解する新たな枠組みが生まれて来る。遊びこそが最大の教師なのです。
 ここまで言いきれない中途半端さを持つなら、サドベリーをモデルとしてみるのはやめておいたほうがよさそうだ。
サドベリーは自治のコミュニティーです。子どもたちはみな、学校運営に関して投票権を持っています。全校集会では4歳の子も、大人と同じ「1票」の権利を行使します。サドベリーではこの全校集会で、すべてが決定されるのです。予算も契約も、スタッフの採用も解雇も。サドベリーの社会では、大人が子どもを支配しません。子どもが別の子どもを支配することもないのです。
 日本は伝統的に、民主的な話し合いを重んじてきた。しかし実態はその場の空気がものごとを決め、有力者の発言がまかり通っている。いまだに民主主義が根づいていないのだ。自分たちで自分たちのことを決められるようになるまで、もう少し時間がかかるのかもしれない。
  • 「超」教育 21世紀教育改革の指針 ダニエル・グリーンバーグ 大沼安史訳 一光社 1998 NDC370.4 \1800+tax

  • 「超」学校 ダニエル・グリーンバーグ 大沼安史訳 一光社
(2001-02-02)