教養主義はすたれない



 『教養としてのまんが・アニメ』というタイトルを見て、目を疑ってしまった。「教養として」という冠称には、読者としての体験を次の世代に伝えたい、という著者たちの想いが込められている。したがってマニアが読んでもつまらない本であるし、マンガをよく知らない人にとっては手ごろなガイドブックである。

 取り上げられているのは、手塚治虫、梶原一騎、萩尾望都、吾妻ひでお、岡崎京子、宮崎駿と高畑勲、富野由悠季(よしゆき)、ガイナックス、石ノ森章太郎である。なぜここに岡崎京子がいるのか、私には分からない。

 吾妻ひでおは、私にとっていしいひさいちと等距離にあった。なのに吾妻は失踪し、いしいはメジャーになった。その理由が知りたい。

 高畑は宮崎のことを「戦車や戦闘機が大好きな反戦主義者」だといっているそうだ。これを矛盾と感じる人とそうでない人がいる。宮崎と同じ感覚を持つ子どもだった私は、担任の教師にプレッシャーをかけられた

 宮崎の古巣である東映動画の『少年猿飛佐助』とか『わんぱく王子の大蛇退治』は、ディズニーのアニメよりできが良かったのではないか。なぜ『ガンダム』と『エヴァンゲリオン』であり、大友克洋『AKIRA』や押井守ではないのか。疑問がつぎつぎと湧き起こる本である。
(2001-06-15)
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