トランク1つぶらさげて



高等女学校の先生をしていた中島敦は、喘息の発作がひどいので、転地療養のために転職した。勤務先は、南洋庁のあるパラオ島。

『中島敦 父から子への南洋だより』(集英社)には、息子の桓(たけし)宛に書いた葉書のコピーが収められている。まだ小学2年生なので、やさしい字を選んでざっくばらんに書いている。『山月記』のイメージとはだいぶ違う。

妻たか宛の手紙には、万葉集を読んで単身赴任の身をなげいたり、文芸雑誌を送ってくれとリクエストしたり。南の島に渡ってもやはり文学が気になったようだ。それにしても筆まめだなあ。1日に2通書くこともある。

パラオを出てかなり遠くの島まで、学校現場の視察に出かける。その体験が『南島譚』に結実するのだが、1年に満たないパラオ滞在で体を害してしまった。昭和17年3月に帰郷し、12月に亡くなる。もっと長生きしてほしかったのに。

(2007-12-23)