理屈はいらない



 森下典子『日日是好日』は、典奴なんていうとんでもないニックネームを振り回す著者が書いたお茶の本だ。通常なら手に取るわけがない。しかし夏目房之介のおすすめなので、ちょっとのぞいてみたら、すいすい読んでしまった。

 もともと和の人間なもので、茶は習ってみたいと思ったことがある。でも、やらないでよかった。もともと禅を背景に武士の間ではやったものが、今やおばさんたちの道楽となり、「まーまー」文化を形成している。これじゃ習っても続かなかったろう。

 本書では、25年間にわたる一人の女性の人生とお茶とのつきあいがたんたんと語られている。人生相談の本でもないし、生き方についてアドバイスしているわけでもない。でもこの本、20代の恋や仕事に悩んでいる女性にとっては、救いの本となるのではないか。

 大学を卒業して出版社でアルバイトをして3年目に入ったとき、友人たちは就職、結婚、出産と人生の駒を進めていく。それなのに、
自分だけ、人生の本番が始まらないような気がした。いつまでたっても、スタートラインにすら立てない。足元がグラグラする。ローラースケートの靴でもはいて生きてるような気がした。焦るあまり、走る電車に乗っていても、駆け出したいような狂おしい衝動にかられた。
 お茶の稽古を始めて13年。自分には向いてないのではないかと悩みはじめる。
 お茶は、決まりごとの世界だけれど、その反面、場の空気を読んで、相手の動きを一瞬待ってあげたり、二つのことが同時になってしまった時、どちらを優先するかを即座に判断したり、後で邪魔になりそうなものを前もって避けておいたりと、とっさの機転や融通を求められるものだった。決まりごとを離れたとっさのアドリブこそが、その人の人間的なセンスの見せ所なのだ。
 ところが、それが私の一番苦手なことだった。私は、子供のころからクソ真面目で、何でも決まり通りにやることで精一杯だった。全体に気配りする余裕や、臨機応変に考える柔軟性がない。
 そして20年目で気づく。
 この世には、学校で習ったのとはまったく別の「勉強」がある。あれから二十年が過ぎ、今は思う。それは、教えられた答えを出すことでも、優劣を競争することでもなく、自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみとることだ。自分の方法で、あるがままの自分の成長の道を作ることだ。
 気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続けること。
 「学び」とは、そうやって、自分を育てることなのだ。
 いかにしてこんな境地にたどり着いたのかは、読めばわかる。気持ちをまっすぐに表現した文章は、同時代を生きた私のこころにすっと入ってくる。本書ではカットされてしまった残りの半分を読んでみたい。
(2004-01-23)