異国の日本人



 「世界・ふしぎ発見!」で『南島探験』を書いた笹森儀助を取り上げていた。西表島を縦断した探検家で、奄美大島島司や青森市長もつとめた。その笹森とシベリアで出会ったのが石光真清だ。

 彼の手記をまとめた『曠野の花』は、まるでスパイ小説だ。石光は軍人であるのにもかかわらず、自費でロシアへ留学する。シベリアのブラゴベシチェンスクでロシア語を習っている時、義和団事件が起こる。その余波で発生したロシア軍による中国人大量虐殺を目撃し、ここから彼の波乱の人生がはじまる。

 虐殺を契機にロシア軍はアムール川を越え、満洲全土へ支配力を浸透させていく。東清鉄道の建設工事も進み、完成すればロシアから物資や兵力の輸送も容易となる。そこで石光は軍の要請でハルビンに写真館を開設することになる。そこを拠点に情報収集を行うためだ。写真館には大陸浪人が寄宿し、その中には二葉亭四迷もいた。

 『曠野の花』には、義和団事件から日露戦争開戦までの約5年間の活躍がまとめられている。治安が回復して写真館のオヤジになってからよりも、洗濯屋志望の若者として戦乱の満洲を放浪している方が石光らしい。

 本書を読んでると発見の連続だ。日本人の少ないシベリアにも日本人の売春宿があったこと、シベリア鉄道の建設に日本人がかかわっていたこと、そしてなによりも馬賊の実態がよくわかった。これを抜きに中国の歴史を理解できないのではないか。「三国志」も「水滸伝」も、そして昭和史も。

 手記は4冊に分かれているが、最終巻の『誰のために』ではシベリア出兵までが描かれている。なつかしのブラゴベシチェンスクへ、今度は軍の嘱託として派遣される。しかも使命は得意の諜報ではなく、未経験の謀略。

 敵のリーダーとはこころが通じるのに、国のためにと思い粉骨砕身しても、母国の方針が見えず、ついには板ばさみにあう。「私には何もかもわからなくなった」という石光のつぶやきが身にしみる。「誰のために」。

 せっかく士官学校を出て、日清戦争も経験したのに、軍隊という組織にとどまれなかった。軍の要請に応じて、危険な諜報も行った。日露戦争では伝令としても働いた。しかし平時の日本ではうまく世渡りできず、家族と一緒に暮らす幸せも長くはつづかなかった。シベリアから帰ってみれば、けっきょく残ったのは借金ばかり。

 会社という場でも、手探りの時期に光る人、すでに立ち上がったプロジェクトを軌道に乗せる人など、さまざまな人がいる。石光は、混沌の中でこそ活きる人だった。

 この手記には、田中義一、森鴎外などの有名人が多数登場する。真清の兄は、つぶれかかったビール会社を再建した人だ。おかげで今こうしてエビスビールが飲める。石光兄弟の奮闘に乾杯。
  • 曠野の花 石光真清 中央公論新社 1978 中公文庫

  • 誰のために 石光真清 中央公論新社 1979 中公文庫

(2006-08-18)