情報整理を笑う



 数年前に、『超整理法』という本がよく売れた。また、それを批判する本まで出た。この類いの本の古典は、なんといっても『知的生産の技術』だろう。もとになった雑誌「図書」の連載は、今から30年以上も前のことだ。

 本書の与えたインパクトは大きい。情報整理に関心のある人で、ある年代以上の人なら、この本のお世話にならなかった人はいないはずだ。岩波というお堅い出版社から本を出していながら、伝統的な教養主義をふっとばすほどの内容を持った本を書いた梅棹忠夫は、ただ者ではない。

 『知的生産の技術』は、ともすると情報整理の技術論を書いた本としてしか取り上げられない。しかし、もう一つの側面を持つのだ。天才レオナルド・ダ・ヴィンチにあこがれ、一歩でも近づきたいと思った若き日の著者とその友人たち。まるで、北島マヤの「紅天女」への想いのようだ。民族学というとっても面白そうな学問をやり、地図もないようなところへ探検にいく著者。その成果をまとめるために、独自の整理学まであみだしてしまう。こうした梅棹忠夫という人を発見できる本なのだ。

 この本を読んだ私は、本気で仮名タイプライターがほししかった。京大では民族学という学問が理学部に属していることに驚き、将来文系に進もうか、理系に進もうか、真剣に悩んでしまった。このパイオニア精神あふれる人を生み出した精神的風土は何だろうと思った。そこで気づいたのが、三高、京大、理学部、山岳部というキーワードだった。棲み分け理論で有名な今西錦司、初代南極越冬隊長西堀栄三郎、国立民族学博物館を創設した梅棹忠夫など、彼らをまとめて京大学派と勝手に呼んでいた。

 この本を読んでから私にとって情報整理は、永遠のテーマとなってしまった。B6カードで挫折、新聞の切り抜きも満足に整理できなかった。パソコンを使ってもどこか遊ばれている気がしてならないし、やっぱりノートが便利なような気がする。そんな私が、目からウロコ、それが「情報整理を笑う」だった。

 パソコンを使うとまず「バックアップは大切だよ」といわれる。しかし、よくよく考えてみると失って困るほどの情報なんてそれほどなかったのだ。だいたい自分で入力した情報だって、ほとんど使っていない。自分で書いた原稿や仕事に使うファイルだけたまにフロッピーに保存すれば十分だ。大切な情報なら、ほとんど紙に書いたものがあるし、ソフトならまたインストールすればいい。こうして、やっと私は情報整理の入り口に立ったのだ。
  • 知的生産の技術 梅棹忠夫 岩波書店 1969 岩波新書

  • 「超」整理法 野口悠紀夫 講談社 1993

(1998-06-15)