そんなことだったのか



リーマンが破綻したというニュースを聞いて、リーマン予想やサラリーマンを連想した人がいたらしい。そのレベルと大差なかった私でも、その後の2週間あまりはわくわくする毎日だった。とくに「緊急経済安定化法案」が下院で否決された9月29日は、記憶に残るだろう。野党の議員が賛成して、与党が反対に回るというみごとなできごとだった。アメリカでは政治が生きている、と感じる瞬間だった。わが国では、似たようなことがあっても反対する議員は少ないだろう。まして与党では。かの地では、たしかに選挙民が議員を動かすのだなあ。

それから、あちこちにバンソコを貼る数ヶ月がつづいた。あの騒ぎはいったい何だったのだろう。08年末の講義をまとめた『なぜ世界は不況に陥ったのか』を読んでみた。アメリカの金融史から説明してくれるので、金融のきの字くらいはわかった。

日本は20世紀末にバブルが崩壊して、株も不動産も安くなった。銀行の不良債権が問題になったが、これは借り手と金融機関との関係だけなので、資産を査定した上で資本を注入できた。

ところがアメリカの場合は、リーマンの破綻をきっかけに市場の機能がストップしてしまい、証券の適正価格がわからなくなってしまった。それで投資銀行に資本注入する際に資産査定ができない。しかたないのでFED(FRBのこと)はリスク資産を買い上げ、市場の回復を待っている。というのが08年末の状態だ。

1年ほど前にNHKでCDSの解説があった。従来のローンを借りられない所得の人でも、マイホームを持てる仕組みがサブプライムローンで、借りた人がローンを返済できなくなったときに、回収を保証する保険がCDSだ。そしてサブプライムローンを組み込んだ金融商品がいろいろ作られ、世界中にばら撒かれた。不動産の価格が右肩上がりなら問題はなかった。ところがアメリカで不動産バブルが崩壊すると、サブプライムローンの焦げ付きが急増した。

それまでは、ババは1枚しかないので安心してゲームを楽しんでいたら、とつぜんババが10枚に増えてしまった。そうすると取引相手の持ち札が、すべてババばかりに思えてくる。これでは、こわくてカードを引けない。

日本でも同じようなことがあった。カビの生えた輸入米を安く買ってきて、国内産の米に混ぜて売り飛ばした業者がいた。米の流通経路は複雑なので、問題のある米がどこにあるのか追跡しきれない。それで大騒ぎになった。「信用」について再考するいいきっかけにはなったのだが。

こんなおおざっぱな理解をしていたのだが、今回あらたにカウンターパーティーリスクという専門用語を覚えた。CDSをたくさん売っていたのがAIGで、もしAIGがこけるとCDSを組み込んだ金融商品がみなだめになる。それで政府は世界最大のカウンターパーティーであるAIGを救済した。

どうやら「金融危機の本質は、信用危機から派生するカウンターパーティーリスクにある。それはCDSにかぎったたことではなく、今もカウンターパーティーリスクは残ったまま」というのが真相らしい。

本書は、金融工学が悪いのではなく、それを使う人たちが経営哲学を持っていなかったのがいけない、という立場で書かれている。このままでは危ないという意見もあったのに、政府は規制をしなかった。ゆえに政策の失敗が危機の原因であると。リーマンの破綻は金融危機のきっかけにすぎなかった。

NHKのおかげでサブプライムローンとかCDSばかりが気になっていた。債券といえば国債とか社債くらいしか知らなかったので、なんとなく安全というイメージをもっていた。ところが金融工学を駆使して作られた債券がいろいろあり、それこそがじつは危ない金融商品だった。これが今回の危機で知ったことだ。世間でサブプライムローンだの、リーマンショックだのと大騒ぎするもので、薄目をあけて見回してみれば、こんなつまらない事実が見えたわけだ。

講義から半年以上たつので、経済の状況はだいぶ変わっただろう。市場も回復したと聞く。しかし、危機はほんとうに去ったのだろうか。今度はサブプライムではないローンがダメだった、なんてことにならなければいいのだが。
  • なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学 池尾和人 池田信夫 日経BP社 2009

(2009-09-01)