人は自分にないものを相手に求める



 ものを買うときの行動をよくよく考えてみると、自分が質実剛健でないからこそ、質実剛健な物を買おうとするんじゃないだろうか。自分がソフトでないからソフトな手触りを求めるとも思える。それはなにも対象が物だけとは限らない。相手が人間だってそうかもしれない。

 たとえば自分が結婚相手を選ぶときにどうするか。趣味が同じことを優先する人もいるだろう。私の場合は、趣味などまったく似ていなかった。性格だって対照的である。お互いの中に自分とは異なる部分を見出して、そこに惹かれたとしか思えない。もっとも結婚の場合は、基本的な価値観が似ていないと続けることは難しいのだが。

 これが会社なんかだといきなり困ってしまう。部下はもちろん上司を選べないし、上司だってたいていは部下を選べない。そんな割り振られた人間関係の場合、経済的な目標だけがお互いの力を合わせようとする方向性を生み出す。とくに組織の存続が危ぶまれるほどの危機に陥ったときはそのチャンスかもしれない。日頃人間関係で悩んでいる人には、不況が味方してくれる可能性がある。

 そんな自ら望んで作ったのではない人間関係の中でも、自分にない能力を発揮する相手には一定の敬意の念を持てるものだ。たとえそいつが気に入らない相手であっても。そうやって互いにすきまを埋め合うような形で、人間関係が作られていくのだろう。

 ネット上では出会い系の掲示板が盛んらしい。それではどうやってつきあう相手を選ぶのか。これは結構簡単かもしれない。それはきっと自分を気に入ってくれた人を選ぶに違いないからだ。女性の3高志向がマスコミを騒がせてからだいぶたつ。彼女たちもそろそろ40歳近くになるはずだ。仕事とか目標なんていうものを離れて素の自分に戻ったときに、そんな簡単な人間関係の法則に気づけば、すんなり結婚への踏ん切りがつくのかもしれない。結婚が墓場になってしまう可能性もあるけどね。

(1999-11-01)
<戻る>コマンドでどうぞ