介護の時代



 若い人が『大往生の心がけ』に関心を持てるかどうか分からない。でも人間一度はお迎えがくるのだから、読んでおいても損はないだろう。桃井かおりのように、自分の葬式のやりかたをことこまかく書き記している人もいることだし。

 この本は、医療問題などの大問題をあつかった本ではない。ラジオでじいさん・ばあさんに、死に方やボケや介護について語りかけたものである。著者は西陣で45年もの間地域医療に携わり、多くの人の死に立ち会ってきた。その経験をふまえて語りかけてくる。
私は、十五年ほど前までは、お年寄りを診察する時に、どこぞ悪いところがないか、という診察の仕方でした。この頃は違います。お年寄りを診察しながら、どこぞいいところは残ってないかと、いいところを見つけるのが老人医療のように感じています。(中略)その方なりに生きてきた努力、生きてきたすばらしさを認めることが老人医療のコツのように思います。
 そして病院と寺院の協力をうったえる。
 もともと宗教家が医療をやったのは事実です。日本の仏教でも寺院がときには病人を収容し、ときには病人の悩みを聞き、苦しみに耳を傾け、争いに乗り出して仲裁する。これもお寺や宗教家の仕事でした。
 ところがいつの間にやら、医療と宗教とが二つに分かれて、縁のないような存在になったということに、私は大きな疑問を感じています。
 お互いがお互いの立場を尊重しながら出会いをつくってゆくことが大事だと思います。
 京都のお寺さんにこのことを申し上げたところ、皆さんも、その通りとおっしゃって、「ビハーラ」という運動を始めました。とくに死に際する時の宗教のあり方の研究を始めています。ビハーラというのはサンスクリット語で「休息の場」という意味の仏教用語ですが、ホスピスにあたるものです。
 結い(ユイ)の町を作ろうと提案する早川氏は、24時間往診する総合人間研究所を作ろうとしている。
職業は問わない。とにかく全国の看護婦の皆さん、看護部の皆さん、介護職をやっている皆さんが現場でいろいろ悩み、苦しみ、悲しみ、問題を持たれた方たちがここに集まって、職種を超えて、こういう問題はどのようにしたらいいか、ということをお互いに相談できる場。それをこういうところに作ってみたいと思うのです。
 そして21世紀に中心になるのは、介護であるという。
本来、一番心の安らぎを得られるのは介護の善し悪しによって決まる。その介護の善し悪しを援助するのが看護であり、看護の善し悪しを援助するのが医療であると、逆転した形で見るというのが本来の姿ではないでしょうか。
 早川氏は、往診しても注射することなどめったにないだろう。治療からは引退して、心療の域に達しているようだ。まさに「こころの時代」に必要とされるじいさんであると拝察する。
  • 大往生の心がけ 早川一光(かずてる) 創樹社 1995 NDC490.4
     1993年にNHKラジオ深夜便「こころの時代」で放送したものに加筆
(2001-01-12)