爆笑問題のへそ



 爆笑問題のへそは曲がっている。私は、そんな爆笑のかくれファンである。しかし、今は過去形になりつつある。

 昨年まで、フジテレビの深夜枠でやっていた「ボキャブラ天国」(今は、毎週火曜日の8時からやっているが、似て非なる番組)で爆笑は名人になった。タモリが司会しているときに見て以来、しばらくの間我が家での唯一の楽しみとなった。

 二人の芸は、古典的な漫才形式である。しかし「ボキャブラ天国」で見せてくれたのは、語呂合わせをねらった短いコントだった。短いときは、わずか30秒程度だったように思う。できのいいときは、最後の決めぜりふで、1週間のストレスがパッととれたのだ。下手な芸人が多かったが、その一瞬のために毎週見てしまった。  そんな彼らも今年の春からは、いろんな番組に出始めた。しかし、見てがっかり。家人は相当前からのファンだったのだが、こんなつまらんことするなら、テレビなんかに出るな!、と怒っていた。

 でも、私は弁護したい気分もある。きっとテレビでは、ウッチャン・ナンチャン、とんねるず、ダウンタウンのような路線を行かざるをえないのだろう。ネタだけでは活動が限られるだろうから。

 もし太田がまた映画を撮るには、テレビで売れているほうが有利だろうし、だいいち芸人は売れているほうが輝く。でも私としては、爆笑に漫才を捨ててほしくない。漫才でできることは限られていると太田は言うが、その反対で表現の可能性は大きいと思う。映画のように具体的なイメージに縛られることもないし、ゴミも出ないし、即時性もある。それでいて、ドッと笑える。そして話が短いというところに命があるような気がする。「ボキャブラ天国」で演じた彼らのコントをまた見たい。ぜひビデオを作ってほしい。

 爆笑は、「季刊アステイオン」という雑誌で、作家の大岡玲(あきら)と対談している。まじめに語っているのがかえっておかしい。

 参考までに、小見出しを列挙しておく。
少数派の芸
若手と先達の間で
面白いか、面白くないか
「してやったり」の笑いとは
漫才は常識を定める作業
世の中の漫才に対抗するには
理想を語れるのはフィクション
自分を許せる瞬間を笑いに
 私はだいぶ前から、21世紀はお笑いだ、と言いつづけている。ここのところお笑いブームといわれるが、ちっとも芸のない人ばかりで、高校生レベルが多い。関西の落語家でも、半数以上は落語ができないと聞く。そんな中で爆笑の実力は段違いだ。またいつの日か、私のおなかをよじらせてほしい。やっぱり、爆笑の芸はへそ曲がりにあるのだから。

  • 季刊アステイオン 1997 Autumn No.46 TBSブリタニカ 1000円

  • 爆笑問題の日本原論 宝島社 971円+税
     時事ネタなのでやや古臭いが、おもしろい。
(1998-07-20)