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クリスチャンと戦争


<<解説>>

 悲しいことに、今月(2003年3月)、米英軍による対イラク戦争が始まりました。この戦争の政治的な意味について、さまざまに語ることができますが、このホームページのテーマではありませんのでここでは触れません。
 ただ、マスコミ報道の一部に、「キリスト教 対 イスラム教」というきわめて浅薄な見方が提示され、もっともらしくこれを肯定する解説がなされているのを見て、非常にがっかりしました。

 このような誤解を解くための一助として、『クリスチャンと戦争』と題する文章をアップします。何年か前にアイルランド紛争について書いたもので、今回の対イラク戦争を取り上げたものではありませんが、内容は100%そのまま当てはまります。

 

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 クリスチャンと戦争 −



1.人を殺す者はイエスの弟子(クリスチャン)ではない。

 まず、中世の十字軍にせよ、現代のアイルランド紛争にせよ、剣や銃で人を殺したり傷つけたりする者はクリスチャンではありません。

 イエス・キリストは次のように語りました。

 剣を取る者はみな剣で滅びます。 (マタイの福音書 26章52節)


 イエスの弟子、ヨハネは次のように書いています。

 いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。 (ヨハネの手紙第1 3章15節)

2.クリスチャンとは何であるか?

 クリスチャンが戦争に関わってきたという誤解は、『クリスチャンとは何か』『人はどのようにしてクリスチャンとなるのか』についての大きな誤解に由来します。

 人はどのようにしてクリスチャンとなるのでしょうか?

 もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で信じるなら・・・ (ローマ人への手紙 10章9節)

 もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら・・・ (コリント人への手紙第1 15章2節)


 「自分の口で告白すること」「自分の心で信じること」「よく考えること」、これがクリスチャンの信仰の前提です。

 このようにキリスト信仰は、すぐれて個人的なもので、個人の明確な意志に基づくものです。キリスト教の家や国に生まれたからクリスチャンになるとか、深く考えもせずに信者になるというようなことは、聖書からするならば絶対にあり得ないことです。一人ひとりがよく話を聞き、よく考え、そして決断する、それがクリスチャンの信仰です。

 この聖書の明白な基準に反し、たとえば幼児洗礼によって、本人の意志も何もないうちに次々と「キリスト教徒」を製造≠キるようなやり方をとるならば、その中から爆弾をしかけたり、銃をぶっぱなしたりする人々が出るとしても不思議ではないでしょう。

 アイルランド紛争の当事者=カトリック教徒とイギリス国教徒の背景には、それぞれの教会が「幼児洗礼」という個人の自発的な意志に基づかない教徒の製造≠何百年もの間繰り返してきたという歴史があります。(またこの紛争の本質は、イギリス政府の統治を望むか、アイルランド政府の統治を望むか、というすぐれて政治的な問題であるということも忘れてはならないでしょう。)

 繰り返しますが、殺意を抱いて人を殺す者はクリスチャンではありません。

 それはちょうど、戦国時代の僧兵≠竅A夜の歓楽街を飲み歩く僧侶が、「殺生戒」(殺さないこと)、「飲酒戒」(酒を飲まないこと)を説いた釈迦の弟子ではあり得ないのと同じです。
 彼らは統計上「仏教徒」として数えられるかもしれませんが、しかし決して「釈迦の弟子」ではありません。

 同じ意味で、世に「キリスト教徒」と呼ばれる人が、必ずしもクリスチャン(キリストの弟子)ではありません。



3.いつの時代にも、このような人々は存在する。

 イエス・キリストは、後の時代にそのようなキリスト教徒≠ェ多く出て来ることを予告しました。イエスは、麦と外見の良く似た毒麦(ジザニア)にたとえて、こう予告しました。


 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。

「ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』」

 弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。

イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。・・・

(マタイの福音書 13章24〜30、36〜38節)


 いつの時代にも、この外見のよく似た「麦」と「毒麦」のコントラストを見ることができます。


 戦前の暗い時代、宗教団体法という法律に基づき、政府の指導で「日本基督(キリスト)教団」が創設されました。

 この教団は、

「八紘一宇の大理想を掲揚してその幻象を実現せんとする精神は,期せずして基督教の根本信念と一致する」

と称し、軍用機「日本基督教団号」を献上し、占領地で「天照大神こそ聖書の神である」とする奇怪なキリスト教を宣べ伝えました。
(もちろん、その中にあって良心を痛めつつ沈黙した人々も多くおられました。私たちの想像を絶する激しい苦難の時代での出来事です)


 しかし、そういう暗い時代にも、イエス・キリストを主として歩んだ誠実な人々が存在しました。彼らは自己宣伝をしませんから、あまり広くは知られていませんが、当時の内務省や特別高等警察(思想警察)の記録の中に、彼らの本物の「麦」としての言行が残されています。(*)


 次に掲げるのは、治安維持法違反に問われた当時のキリスト集会の人々の発言の記録です。


 私は飽までこの度の戦さに冷静であり、私共の信仰はこの騒乱の噂に依って微動だもする者ではありません。
 人は神を無視し自ら貪り合ひ憎み合ひ徒党を造り、殺し合ひ血を流すを喜び合い、神の造り給ひし地と海とを戦争に依って人殺しの恐怖戦慄すべき舞台となすといふことは何と言ふことでありませうか。世界の各国人がその反対に国と国とが譲り合ひ愛し合ひ、皆一つに融和し助け合ひいたはり合ったとしたら戦争は起きないのであります。

(松永某氏 内務省警保局「特高月報」昭和十七年三月分)


 戦争は聖書に堅く禁ぜられて居り神の御心に逆ふのであります・・・日本では聖戦と呼んで居るが之は間違ひであります。・・・人間同志の戦は大きな罪悪であります。
私は本年徴兵検査を受けることになって居りますが、若し戦争に征くことになっても神の御心に逆ふやうな戦争には服従しません。
(山本某氏 内務省警保局「特高月報」昭和十七年三月分)


 今日本もやかましく言って戦争をしているが戦争は実に大きな罪悪で残忍なものです。

(北本某氏 内務省警保局「昭和十六年中における社会運動の状況」)


 戦争は罪悪であり貪慾より出るのである。神は殺人行為を堅く禁ぜられて居る。それ故戦争は神の御心に反するのである。大東亜戦争も国家間の貪慾に基くもので聖戦ではなく矢張り罪悪であります。
(同 内務省警保局「特高月報」昭和十七年三月分)



 十字架を掲げる者、必ずしもクリスチャンではありません。キリスト教とは、聖堂や僧服やステンドグラスのことではありません。家の宗教でも国家の宗教でもありません。一人ひとりの明白な意志に基づき、イエス・キリストを救い主と信じ、神と人とを愛する道です。それは剣や銃とは無縁の道であり、かえって剣や銃を「つきつけられる」道でさえあります。もちろん信者一人ひとりは弱い人間であり失敗もあります。しかし、殺意をもって銃や剣を取る者は、断じてクリスチャン=「キリストの者」ではありません。

 どうぞ、松永さんや山本さんのような本物の「麦」によって、また聖書をご自分でお読みになって、『クリスチャンとは何か』を知ってくださいますように。

 内務省警保局資料については、『昭和特高弾圧史4』(太平出版社1975)、『雲のごとく』(伝道出版社1987)参照。

 

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