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朝日新聞の天声人語を読んでいると、次のようなことが書いてありました。
「始めに地球が丸いことを知っていたのはギリシャ人であった。その後、ルネサンスの時代に至るまでの間は、聖書の世界観に基づき、地球は平板であると考えられた」
あるいは、皆さんの中にも、そのようにお考えの方がおられるかもしれません。我が国では、中世ヨーロッパについて、聖書が重んじられたことから、科学の発達が遅れたという見方が定着していますが、これは事実に反しています。
地球のかたちについて言えば、旧約聖書は、ギリシャ人よりも古くから、地球が丸いことを伝えていました。今から2700年ほど前に書かれた旧約聖書のイザヤ書では、
『主は地球(地の玉)のはるか上に座して』(イザヤ書40章22節)
と記されています。ここで「球」と訳されている「フーグ」というヘブル語には球体のニュアンスがあり、地球が丸く球形にできていることを示しています。この他、旧約聖書のヨブ記26章。や箴言8章の記述も、地球の形が丸いことを示しています。
この種の話で、よく引き合いに出される天動説・地動説の問題に関していえば、天動説を主張したのはエジプトのプトレマイオスやギリシャのアリストテレスであり、地動説を発見したコペルニクス、ガリレイ、ケプラーは、いずれも熱心なクリスチャンでした。
聖書自身は、三千数百年前に書かれたヨブ記において、次のように表現しています。
『神は……地を無の上に吊される。』(ヨブ記26章7節)
これは、直接に地動説を示す表現ではありませんが、少なくともプトレマイオス以来形成された宇宙観・地球観に正面から反するものでした。
それではなぜ、天声人語のように聖書が正反対に理解されてしまったのでしょうか。それはある時期から、キリスト教が大きく変質してしまったことに原因があります。スコラ学として知られる中世カトリック教会の哲学は、聖書とギリシャ哲学の二本足の上に立っていました。本来、純粋なキリスト教は、聖書の上によって立つべきものですが、キリスト教がローマ帝国の国教となって以来、当時の「先進的」な思想や「科学」を積極的に取り込んで、このような二本足の人造の哲学・神学が出現した、というのがことの真相です。地球が中心という天動説は、聖書とは縁のない、当時の天文学者が説いた「科学的常識」でした。このようなことで、聖書に関する間違った見方が定着していることは、たいへん残念なことです。
中世カトリック教会のように、信仰の問題を、その時代その時代の「科学」で裏付けたり下支えしたりしようとすると、必ずこの種の問題が生じます。数十年、数百年たてば、現代の科学常識のあるものは、天動説と同様に迷信とされるでしょう。ですから本当に科学を知っている人は、科学の限界について謙虚な態度をとります。
1861年に、フランス科学院は、「聖書を否定する科学的事実が51もある」という内容のパンフレットを出版しました。ところが驚いたことに、その後100年の間に、聖書を否定するはずの51の「科学的事実」の方が、一つ残らず、科学者自身の手によって否定されてしまいました。
信仰は時代の推移に影響を受けないものであり、科学は時代の推移によって変わるものです。聖書をお読みになるとき、世にいう「聖書 対 科学」という単純な図式に乗せられてしまわないように気をつけるとよいのではないかと思います。
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