特集 口述試験に向けて

3 口述試験のための5つのお守り



 いかに対策を練って準備したとしても、本番でその成果を発揮できない限り、これまでの努力は全 く評価してもらえないというのが、資格試験の非情なところである。特に、目前に迫った口述試験で は、今まで何度も経験してきた試験と異なって、「紙切れ」が相手ではない。それゆえ、試験官を目 前にしたときの緊張感は、よほど精神的鍛錬を積んでいる者でない限り(実は法曹にとっては、この 精神的鍛錬の成熟度が高ければ高いほど良いのであるが、受験生レベルでこれを望むことはあまりに 酷というものである)、多かれ少なかれ、学習成果の発揮の阻害要因として作用してくるものである。
 そこで、この特集の最終章として、口述試験当日に向けての「気持ちの持ち方」について、お守り の意味をこめて、5つのアドバイスを示してみたいと思う。

第1 仲間と共に受験すること

 非関東圏の受験生にとって、口述試験は10日程度の宿泊を伴う長丁場で息のつまる生活になる。 その間の宿を早めに確保して、余裕をもって試験に臨むことはあまりに当然であるとして、 口述試験試験は必ず仲間と共に受験するべきものである、ということを念頭において、宿 の確保をしていただきたい。
 口述試験では、一度も失敗を感じることなく終わることなどほとんどないと言って良いと思う。も し、一人っきりで受験を続けていると、不安ばかりがたまってしまい、翌日の試験にも良くない影響 が出ないとも限らない。しかし、失敗を感じているのは自分だけではないという ことを、仲間と情報交換することで確認しあえば大変気分が楽になる。それゆえ、できれば知った者 同士で同じ場所に宿泊するのが望ましいのである。
 もっとも、宿泊を要しない受験生であっても、仲間と共に受験するという姿勢は是非保つべきであ る。一つの科目が終われば、すぐに次の科目の準備にとりかかるべく、帰路を急ぎたくなったり、も う何もしたくなくなったりするものではあるが、そんなときこそ仲間と共に受験するということが支 えになるからである。今までは自分一人で受験してきたのだ、というような受験生でも、口述試験に 限っては、行動を共にする仲間を作ってみることを強くおすすめする。

第2 資料は気がすむだけ持参すること

 旅行の荷物は少ない方が良いが、口述試験ではこの理は妥当しない。なによりも不安をとりのぞく ことこそが大切な試験なのだから、手元には気がすむだけの資料を置いておくべきである。 これは、空き日程に使う資料にも、試験会場に持っていく資料にも、共通に妥当すること だといえる。周囲の受験生は、ほぼもれなく何らかの資料を持参して会場に集合し、自分の順番が回 ってくる直前まで、これに目を通しているというのが実情で、自分だけ何もしないで待つというのは、 想像以上に勇気のいることである。
 もちろん、何も持参しなくても気がすむ、という人は何も持参しなくて良い。要するに、日程がい ざ動き出せば、もう新たな知識を「入れる」余裕はなく、また論文試験に合格した直後の実力のピー ク時にはその必要もないわけだから、資料を利用するといってもそれは、単なる「気休め」に過ぎな いのである。このことを十分に考慮に入れて、出発に際しての荷物整理をしていただきたい。

第3 口述試験は法的会話能力を試すものと心得ること

 現行の論文試験の傾向からすれば、いわゆる論点的な学習のみであっても、合格を果たすことがで きる場合があるというのは事実である。これは、口述試験でも出題された問題によってはあてはまる ことだと思われる。しかし、過去の例を参照すると、口述試験問題のほとんどは、あまり聞いたこと のないようなテーマについて出題され、これに対する回答をその場でいかに考えて答えるか、という ことを試すことができるように作られているといえる。もし、これに論点的な思考で臨むと、「わか りません」などと口にしてしまうことになるが、口述試験の実際は「わかる、わからない」 の世界ではない。いかに「考えるか」が問われているのであって、とにかく自分がどう考 えているかを口に出して言ってみることが大切なのである。既製の定義についてさえそうなのであっ て、自分なりの考えを示せていれば、不正確な定義でも次の質問に進むことができるのが、口述試験 の本当のところである。
 そして一般的な口述試験官は、必ず「正しい方向」に誘導しようと質問を組んできていると考えて まず間違いない。そのままこれに乗れば、不当な結論に至ってしまうような誘導もあるにはあるが( いわゆる「泥船」といわれる類の誘導である)、それは試験全体としてみれば試験官が想定している 「流れ」に即した方向に進んでいるだけであって、これに乗ることについては何も問題もないのであ る。口述試験における受験生は、試験官と「法的な会話」をすれば良いのであって、最後まで試験官 の予定している「話題」を持続させることができれば、それで十分だと考えて臨むべきである。

第4 情報収集を「当てる」ためにはしないこと

 口述試験本番では、一部の受験予備校による「情報センター」なる施設が設けられ、その日までの 出題を再現した問題や、昨年の出題分を閲覧することができる。口述試験は各受験生によって科目・日 程がまちまちなので、同じ科目であっても、受験がすでに終わった人、これから受験する人といろいろ ある。同日程の受験生であっても、くじ引きで決まる班ごとによって、出題される問題も違ってくるこ とがあるというのは、既に特集中で述べたとおりである。
 しかしごく稀に、既出のものと全く同じ問題が出題されることがある。そうすると「当てる」ため、 あるいは裏をついて「出されたものはもう出ない」と考えて、このセンターを利用したくなるのは人情 というものである。ところが、先に述べたように、口述試験はあくまでも法的な会話能力を試 すものなので、論点的にこれについてはこう答えるという非人間的な準備をして対処するような姿勢は 考えものである。口述試験における情報収集は、いかなる場合にも「ヤマをはる」ためではな く、自分で「気のすむようにする」ために行うものだと考えるべきである。不安になったときには、仲 間との「会話」こそが、一番有益な情報になる。

第5 あきらめないこと

 ほとんどの受験生は、必ず1科目や2科目の「失敗」の感触を得るはずであり、そのほとんどが、 うまく「答えられなかった」ということを理由にしてのものである。しかしながら、繰り返して述べ るように、口述試験は「会話」の試験である。「答え」というよりは「応答」を適切になしうるか、 という点を試しているのである。試験官は、受験生の誰をとってみても「法律のエキスパート」であ るなどとは考えておらず、ある「答え」を想定していたとしても、これを言える受験生がいるとは、 最初から考えていないのではないかと思われる。であるから、「答え」は出せなくて当然なのであり、 あくまでも「応答」さえできていれば、それで十分なのである。
 とにかく体裁だけでも法的であれば、何らかの応答さえしておくと、そのまま「会話」は続いてい く。そうだとすると、受験生が「失敗」だと思っていることのほとんどは、実は何でもない ことだと言えるのである。だからといって、「気にするな」というのは到底ムリな相談で あることは、我々もかつて口述試験を受験した経験上、十分に承知している。そういうときにこそ、 仲間とせいぜいグチりあい、心ゆくまで気にするのが良い。決して一人で気にしていてはならない。 ここでいう「あきらめ」とは、一人で気にして落ち込んでしまうことをいう。あきらめなければ、口 述試験は乗り越えることができる試験であると我々は確信している。今その瞬間がつらくても、それ は全て目標への確実な一歩なのである。これを信じて、最後まで頑張っていただきたい。

(完)


☆皆さんのご健闘をお祈りするとともに、最終合格に期待します。☆