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京都東山 地主神社

2010.6.5

桜の季節に散歩したコースです。
今回は入場料を払いまして(笑)、地主神社(清水寺内)にお参りしてきました。

     
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またもや出雲神話を求めて散歩してきました。

地主神社(じしゅじんじゃ)は京都府京都市東山区にある神社である。清水寺の清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社で、江戸時代までは清水寺の鎮守社であった。大国主を主祭神とし、縁結びの神さまとして若い女性やカップルに人気のスポットである。

大国主命を主祭神として、父母神の素戔嗚命・奇稲田姫命、奇稲田姫命の父母神の足摩乳命・手摩乳命を正殿に、大田大神(芸能と長寿の神)、乙羽竜神(旅行・交通安全の神)、思兼大神(知恵と才能の神)を相殿に祀る。ただし、「地主神社」という社名から、本来は当地の地主神を祀る神社であるとする説もある。

社伝によれば、創建は日本建国以前の神代とされる。実際、境内の「恋占いの石」は原子物理学者、ボースト博士による科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明している。平安時代には嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇が行幸した。天禄元年(970年)、円融天皇行幸の際、勅命により臨時祭が行われた。これが今日の当社例大祭「地主祭り」の起源である。明治に入り神仏分離令により清水寺から独立した。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


写真@:修学旅行の学生さんたちでごったがえしておりました。
写真A:大国主をお祀りしている本殿です。
写真B:「恋占いの石」 上記説明文にもありますが、縄文時代のものであるということ。

清水寺の創建については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると…
宝亀9年(778年)、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。

つまり地主神社のほうが清水寺より古いということになりますね…

清水寺のすぐそばには、八坂神社があります。
御祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)
ここにも出雲の神様がおられますね。

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