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大神(三輪)神社、山辺の道

2010.5.9

大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にある神社である。式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。旧社格は官幣大社(現・別表神社)。三輪明神三輪神社とも呼ばれる。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものであるが、日本唯一のものではなく、他にも三ツ鳥居は存在する。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 
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@:上記説明文にもありました、拝殿です。お賽銭奮発してきました…¥100(笑)
A:衣掛杉(ころもがけのすぎ)
  謡曲三輪に知られる玄賓僧都(げんぴんそうず)の衣を掛けられたと言う神木です。(看板説明文より)

大物主大神(倭大物主櫛甕玉命)を主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀する。
日本神話には、当社にまつわる次のようなくだりがある。大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていたが、国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(太田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

   
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B:巳の神杉(みのかみすぎ)
 上記説明文にもありますが、大物主神は蛇(神)であったと言い伝えられています。卵(蛇の好物?:写真)が奉納されていたいたのには驚きました。(写真では確認できませんが)「卵を投げ入れないでください!」の注意書きには笑ってしまいました。
C:大物主神は酒造り(醸造)の神でもあります。わたしんところの飾り樽も確認してきました…(笑) 

「お酒の神様・醸造の神様(看板説明文より)
古来より我が国では、お米が「お酒に」に、大豆が「醤油」「味噌」へと発酵熟成する現象を神様のお働きによるものと信じ崇めてまいりました。古い書物によると、大和国の黎明期、三輪山に沢山の人々が集まり、建国に励んでおりました処、人々の心が散り散りになり、国家崩壊の危機に陥りました。そこで崇神天皇は、高橋活日命に酒造りを命じ、三輪山に鎮まる神々にお酒を献じ、初めて国家安泰の祭祀を賑々しく執り行いました。その時お供えしたお酒が、あまりにも見事な素晴らしい出来栄えであった事から、皆「神人和楽」の境地に至り、大いに慶び、心を一つに力を合わせて国家再建の目的を成し遂げられました。この時、掌酒活日命は、「この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 幾久 幾久」と詠み、このおいしいお酒は三輪の大神様がお造りになられたと褒め讃えられました。これより三輪の神様は、「お酒の神・醸造の神」として篤い信仰を受けるようになり、併せて「味酒(うまさけ)」は三輪の枕詞になりました。(以下略)

   
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D狭井坐大神荒魂神社(狭井神社): 祭神 大神荒魂神。三輪山への登山口が境内にあります。
E登山口の写真です。現在では登山する際の注意事項を守れば、どなたでも三輪山へ登ることができます。
 本日も沢山の方が受付されておられました。しかし少し複雑な気持ちでおりました。「神聖なる三輪山」ですので、約束さえ守ればどなたでも登れるのが果たしていいこ となのかどうか??う〜ん、わかりません…(笑)

   
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F山辺の道:大神神社から檜原神社へ山辺の道を歩きました。
G:檜原神社:以下看板説明文です。

(元伊勢)桧原神社と豊鍬入姫宮の御由緒
大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎主に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑」に「磯城神籬」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神を引続きお祀りしてきました。そのことにより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。(以下略)

今日は大変勉強になりました。
古代大和国は、やはり三輪山を中心にして栄えたのではないかということが実感できました。
三輪山の麓には、巻向遺跡がありますし、すぐ南は飛鳥です。北へ行けば平城京です。
山辺の道からは、大和三山、そして金剛山、葛城山、二上山が一望できます。
山辺の道は、旧都から大神神社への参道だったのでしょうね!

ひっそりと(元伊勢)桧原神社が存在するのも印象的でした。
天照大御神はかなり大物主大神に遠慮なさってるように見えました…

またゆっくりと山辺の道を散策するつもりでおります。

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