2010..2.11 楠葉台場(砲台)跡
楠葉台場(砲台)跡 慶応元年(1865)5月、江戸幕府は会津藩の建白を受け、 大阪湾から京都に侵入する外国船に備えるという名目で、 淀川左岸のここ楠葉に台場(砲台)を築きました。 この台場は長州藩士など尊王攘夷派の入京を阻止する という関門の機能も備えました。 設計の総責任者には勝海舟があたり、 築造には北河内の大工職人が動員されました。 当時の設計図によると、土塁と堀で囲まれた 約3万平方メートルの台場内には、 カノン砲三門・番所・火薬庫を備え、新しく造り換えられた 京街道が通っていました。 平成19・20年度に行われた発掘調査では、台場南側虎口(入口) の石垣の一部や台場北側の土塁の土橋などが確認され、 日本で唯一残る河川台場の輪郭や規模が明らかになりました。 2009年10月 枚方市教育委員会(看板説明文より) |
せっかくの休日(建国記念日)ですが、あいにくの天気…ブラブラと楠葉まで散歩
途中お台場跡の前でふと立ち止まってしまいました。
よく読むと幕末の頃の出来事。きっと坂本龍馬もこの前を何回も通過したことでしょうね!!
ところで”台場”という言葉にひっかかりました。
辞書でひくと、台場:江戸末期、海防の目的で要害の地につくった砲台。→品川砲台。
”東京お台場”=”品川砲台”やったんですね…
ひとつ勉強させていただきました。枚方市教育委員会様、ありがとうございました(笑)
フォト日記メニューに戻る
ホームページへ戻る