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継体天皇楠葉宮跡地

京阪楠葉駅北東約2km

2010.3.28

自宅から徒歩15分くらいの所でもあります。
大変興味深い神社を紹介します。
継体天皇楠葉宮跡伝承地(交野天神社境内の中にひっそりと存在しています…)

   
 @  A

@:交野天神社入り口鳥居です
A:交野天神社本殿

交野天神社
交野天神社(かたのてんじんしゃ)は大阪府枚方市楠葉にある神社である。名前は「かたのあまつかみのやしろ」とも読まれる。
『続日本紀』及び『岩清水神宮 縁起』によると、桓武天皇が延暦6年(787年)、交野に父光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたとあり、ここがその地とされている。
1402年(応永9年)の創建と伝えられる一間社流造檜皮葺。隣接して八幡神社の末社が並んでおり、本殿よりやや小振りでほぼ同じ造りをしている。1950年(昭和25年)に国の重要文化財に指定された。
原生林が生い茂っている。本殿の北東に貴船神社の末社がある。この場所は継体天皇の樟葉宮跡と伝えられている。神社の境内一帯は1984年に枚方市から「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」に指定された
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

   
 B  C

B:交野天神社本殿右側の小道を行くと程なく貴船神社に到着します。
  貴船神社は丘の上に小さなお社があるだけですが、その登り口に樟葉宮跡を示す石碑があります。
C:貴船神社のお社です。

継体天皇楠葉宮跡伝承地
武烈天皇の死後、大連大伴金村らによって越前の三国(福井県)から迎えられた男大迹(おおど)王は、507年楠葉で即位されたとされます。このとき王の知己であった河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)が密使として活躍しており、即位には、北河内を本拠地とする馬飼部(うまかいべ)の大きな貢献があったと考えられます。継体天皇は、5年後に山背国筒城(やましろのくにつつき)「京田辺市付近」、12年後に弟国(おとくに)「長岡京市付近」に移りましたが、大和国に入ったのは20年後のことです。以上は、「日本書記」によりますが、「古事記」は、楠葉宮以降については何も記していません。楠葉宮跡と伝えられるのは、枚方市指定文化財となっている貴船神社のある小丘のあたりです。なお、関白左大臣一条実経(1223〜84)は、次の歌を詠んでいます。 くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月(続古今和歌集)
2004年10月 枚方市教育委員会(看板説明文より)

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