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2010.2.13 片埜神社
京阪牧野駅徒歩5分
以前より気になっておりました神社にお参りしてきました。

 
   片埜神社本殿
当社は、古くから交野地方の鎮守神として
崇敬されており、延喜式には交野二座のうち
の一座として記録されている。天正11年(1583)、
豊臣秀吉は大坂城築城に際し、城の艮(東北)
に当たる当社を鬼門鎮護の社と定めて修築した。
さらに慶長7年(1602)、秀頼は片桐且元を
総奉行として再興した。これが、現在の社殿で
桃山時代の様式をよく伝えるものとして、
重要文化財に指定されている…以下略
(看板説明文より) 

片埜神社(かたのじんじゃ)は、大阪府枚方市にある神社である。式内社で、河内国一宮を称している。旧社格は郷社。
祭神 :建速須佐之男大神と菅原道真を主祭神とし、櫛稻田姫命・八嶋士奴美神を配祀するほか、明治時代の近隣の神社の合祀により以下の神が祭神に加えられている(八幡神を祀る神社が複数あったため、八幡神が計4柱祀られている)。
・天照皇大神・品陀和氣命・天児屋根命・品陀和氣命・八幡大神・久那戸神・八幡大神・久須須美大神・事代主命

社家である岡田家の家譜には「土師家の鎮守」と書かれている、なお、当社の祭神について『神名帳考証』には「饒速日命」、『特選神名牒』には「交野忌寸の祖神」と書かれているが、片埜神社側ではこれらを否定している。

歴史:社伝によれば、垂仁天皇の時代に、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞嗚尊を祀って一族の鎮守としたのに始まる。「片埜」(片野、交野)はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来でもある。平安中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、天徳4年に当社でも菅原道真が配祀された。社家の岡田家は野見宿禰の後裔である。

延喜式神名帳では「片野神社二座 鍬靫」と記されて、小社に列している。かつては広大な社地を有し、「交野の御野」「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。

戦国時代の戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされた。大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み(これは現存しない)、当社と対面させたという。慶長7年(1602年)には、子の秀頼によって本殿、拝殿などの社殿が大造営された。そのうち本殿と南門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されている。

大坂城の鬼門除けの神社とされたことから、現在でも方除・厄除の神として信仰されている。また、これらのことにより、鬼は片埜神社の象徴・守り神とされている。絵馬や御朱印には鬼面が描かれており、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱える。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

上記説明文を読むとおもしろいですね!
社家の岡田家は野見宿禰の末裔なんですか…
野見宿禰とは、お相撲で有名な人物ですよね!
土師家とは:土師氏(はじし)は古代の氏族。天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり葬送儀礼にも携わった。渡来系とする説もある。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

枚方、交野の地はどうやら出雲と深い関係のあったように思われます。
他にも興味のある神社がこの近辺にたくさんありますので、また散歩してHPに報告いたします。

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