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出雲大神宮(京都府亀岡市)
2010.5.29


京都にも出雲神社があるのをご存知ですか?
雑誌SAVVY”関西のパワースポットにも紹介されております。
さっそく出雲神話?を求めて行ってきました。

「元出雲」の通称があり、背後に「千年山」という神体山があることから「千年宮」とも呼ばれる。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社を称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えば現在の出雲大神宮を指していた。
吉田兼好が徒然草の第236段で記した「丹波に出雲と云ふ処あり」の「出雲」とはこの神社のことである。
元々は古神道で御陰山を神体として祭祀を行っていた。神社創建の年代は不詳であるが、社伝では和銅2年(709年)10月21日に社殿を建立したとある。古事記・日本書紀には国譲りの神事が記載されるが、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、国譲りの所由によって祀られた。国史の初見は『日本紀略』の弘仁8年(818年)12月16日条「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」という記述であり、この時代にはすでに有力な神社になっていたことがわかる。
延喜式神名帳では名神大社に列している。正応5年(1292年)には神階が最高位の正一位まで昇った。明治4年(1871年)5月14日には国幣中社に列せられた。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
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写真@:本殿
現在は大国主命と三穂津姫尊(みほつひめのみこと)を主祭神とし、天津彦根命・天夷鳥命を配祀するとしている。大国主命は別名 三穂津彦大神・御蔭大神としている。三穂津姫尊は高産霊尊の子で、大国主の国譲りの際に大国主の后となったと伝えている。当社の祭神については、天津彦根命・天夷鳥命・三穂津姫命の三柱とする説や、元々は三穂津姫尊一柱のみであるという説もある。大国主命については、出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされるが、逆に出雲大社の方が当社より勧請を受けたとする説もあり、「元出雲」との通称がある。当社の由緒書きには、『丹波国風土記』に「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述がある。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

写真A:平成20年から3年連続して、今生天皇陛下、皇后様より御幣餅料が奉納されております。
やはり格式高い神社であるとうことがわかりましたです。

     
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写真B:上の社
御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)です
ということは、本殿とともにご夫婦がお祀りされていることになりますね!ですから縁結びの御利益があるとされているのも納得?です。

写真C:磐座
ご本殿真後ろの山道に有り。目に見えない不思議な霊力を与えるとされている。(パンフレット説明文より)


写真D:崇神天皇社
境内には笑殿社(事代主命(コトシロヌシノミコト)少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)、春日社建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)天兒屋命(アメノコヤネノミコト)、稲荷社(宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、弁財天社(市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)などがありました。しかし、崇神天皇をお祀りした摂社は初めてでした。もしかして今までたくさんの神社お参りしてきましたが気が付いていないだけなのでしょうか?(笑)

出雲大神宮は亀岡市街から北東方面へ車で10分くらいです。
途中、月読橋(公園)など、なんやら謎めいた?地名に遭遇しました。
月読命とは、アマテラスの弟神でスサオノ命の兄神です。上記説明文にもありますが、「元出雲」の通称があるというのは…
さがせばいろいろ興味深い地名などがでてくるのかも知れません。

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