2009.8.1 お伊勢まいり
お伊勢さんはまさしく神話の世界!
でもなぜ外宮から内宮なのか?
まず外宮から参拝しましょう。
神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのがならわしです。
外宮は、伊勢市駅から歩いて7分ぐらいです。その後内宮ヘとお参りするのがよいでしょう。なお、時間があれば各別宮へもお参りしてはいかがでしょう。(神宮HPより)
これについては実はよくわかってないみたいですね…でもおそらくなんらかの理由があると考えています。
いろいろ勉強になりました。
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豊受大神宮(外宮) 豊受神宮には豊受大御神をおまつり申し上げます 第21代雄略天皇の22年(西暦5世紀)に天照大御神 のご神慮によって丹波の国(今の京都府北部:元伊勢神社のことか?) から、この度会の山田原におむかえしたと言い伝えられています。 豊受大御神は天照大御神のおめしあがりになる大御饌の守護神であり 私たちの生活をささえる一切の産業をおまもりくださる神様です。 (神宮のしおりより) |
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月読宮 御祭神:月読荒御霊宮、月読宮、 伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮 月読宮におまつり申し上げる月読尊は天照大御神の弟神であります。月読尊の御事については、日本書紀の上巻に、伊佐奈岐命、伊佐奈弥命二柱の御親神が天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられ、夜之食国をお治めるようになるようにと、ご委任なされたと記されております。 (月読宮のしおりより) |
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皇大神宮(内宮) 皇大神宮には日本国民の大御親神とあがめまつる皇祖天照大御神をおまつり申し上げます。天照大御神は歴代の天皇がおそば近くでおまつりされましたが、第十代の崇神天皇の御代に、はじめて皇居をおでましになり、大和の笠縫邑におまつりされました。ついで各地をご巡幸ののち、第十一代垂仁天皇の26年(約2000年前)大御神の御心にかなった大宮どころとして現在の地におしずまりになりました。(神宮のしおりより) |
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宇治橋 内宮の入口、五十鈴川の清流に影を映してかかる高欄つきの和橋が宇治橋で、20年ごとに架けかえます。橋の内側の大鳥居は内宮古殿の棟持柱を、外側は外宮古殿の棟持柱をつかい遷宮後に建て替えられます。ここからはいよいよ神域だと、心あらたまるところです。 (神宮のしおりより) ちょうど宇治橋の架けかえ工事中でございます。 |
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御手洗場 ここは昔からの祓いの場所で、参拝する前に先ずこの五十鈴川の清流で身も心もきよめ、さわやかになって大宮にお参りするのが古来からのしきたりです。 (神宮のしおりより) |
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子安神社 あんまり知られてないのですが、宇治橋を渡ったところに子安神社と大山祗(オオヤマツミ)神社があります。 子安神社では、コノハナサクヤヒメ命をおまつりしており、奥にある 大山祗神社の祭神の娘にあたります。これは、散歩道の部屋でも紹介しております、貴船神社中宮の祭神「磐長姫(イハナガヒメ)」の妹になります。おもしろいですね…なんで内宮にコノハナサクヤヒメ命とオオヤマツミ命が祀られているのでしょうか??まったくわからないのですが…(笑) 友人に子安君がおります。”子安”というのは由緒正しい名家なのかもしれませんね!! |
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猿田彦神社 主神:猿田彦大神 相殿:大田命 猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ"おみちび き"になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。 大神は天孫をおみちびきの後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導され、垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川の川上一帯の霊地を御献上、伊勢の神宮の御創建に尽くされました (猿田彦神社HPより) |
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境内社 佐瑠女神社 祭神 :天宇受売命(あめのうずめのみこと) 天照大御神が天岩窟(あめのいわや)にこもられたときに神楽をされ、大御神が再び現れて平和な世を迎えられたと伝えられます。天孫降臨の際は猿田彦大神と最初に対面、大神が御啓行(みちひらき)の後は詔によりともに伊勢に来られ、功により"媛女君"の称号を受けられました。 俳優(わざわざ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神と仰がれます。 (猿田彦神社HPより) この神様はとてもユニークな神様ですよね!天岩窟の前では全身裸になられて踊りなったとのことです。 また猿田彦大神と伊勢で結ばれた?といことは神話でいうと初めての国際結婚?になるんやそうです。 (猿田彦神社パンフレットより) |
こうしてあらためて伊勢さんをお参りしますと、不思議なことがいっぱいあることに気がつきました。月読宮では、ご両親?伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、そして月読尊(弟)、内宮では天照大御神(お姉さん)が祀られているのに、もう一人の弟である出雲を平定されたスサオノ命が祀られてないですよね。でも外宮の豊受大御神はスサオノ命の子供であるという説もあるようです。そう考えますと役者は全てそろった??
しかし気になるのは、天皇家の神様は出雲の神様に常に気を使っているように思えてなりません。出雲の神様「大国主神」の国譲りの神話は有名ですよね!
これは神話の話ではなく、実際になにかの形で天皇家に日本国が譲渡されたように思われてなりません。たとえば「日本書紀、崇神天皇8年12月の条には、大国主神を祀る三輪の地から神酒が天皇に献上されたときの歌として、「此の神酒は 我が神酒ならず 倭(やまと)成す 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久 幾久」:素直に読めば大物主(大国主神)が倭をおつくりになったと理解できるのではないのでしょうか?また、「雲太・和二・京三」という言葉があります。十世紀頃の成立と思われる教育書?「口遊(くちずさみ)」に出て来る「日本の三大建築」の覚え方なんやそうです。つまり古代における建築物で一番高いのは「出雲大社」で次が「奈良の大仏さん」、そして京都にある「御所」のことのようです。
天皇さんは日本国の権力者なのですから、御所を一番高い建築物にするのはたやすいことでしょうに・・・なんでそうしはれへんかったんでしょうか??
何かふか〜い訳がありそうな気がしませんか?(笑)。そない考えますと、外宮(出雲系)の神様から順番にお参りするという説明がうまいこといくんですけど…
最近このような本ばかり読んでおります(笑)
出雲大社、元伊勢神社、三輪大社にはもう一度ゆっくりと足をはこんでみたいものです。