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2010.1.9 池田 綾羽、呉羽神社参り

前から気になっておりました神社です。実家に戻りましたので散歩してきました。
呉羽神社では、恵比寿祭り…懐かしかったです。

◎綾羽神社

   
 伊居太神社(綾羽神社)  呉春酒造

阪急池田駅から北側へ。商店街をそのまま歩いて五月山公園の麓まで歩きました。
商店街…昔のままのお店も残っていて懐かしかったです。途中には呉春酒造があります。
現在、どこのメーカーも酒造り中!しかし造りの作業は早朝からなのでお昼前ではひっそりとしておりました。
しかし瓶詰め作業が行われておったようです。瓶が触れあう時の”コーン”という音になんともいえない風情が…。
ここは昔と変わっておりません…

綾羽(伊居太)神社

呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・穴織媛(あやはとりのひめ)と、応神天皇、仁徳天皇を祀っている。正式名称は穴織宮伊居太神社。
応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された猪名津彦命が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の妹、穴織媛が祀られている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

上記説明によれば応神天皇時代とあります。4世紀後半以降のお話だと考察されますが、同じ時期に松尾大社のところでも書きましたが、秦一族が京都に移ってきた時代と重なっているように思われます。池田にもハタの名前は多く存在します。おそらく同時代の出来事と考えております。

人皇十六代応神天皇二十年乙酉秋九月日本国に漢の直太祖後漢の霊帝四代の孫阿知使主その子都加使主十七の部下を卆いて帰化した。そこで天皇の三十七年丙寅春二月天皇思召して天下人民衣服裁縫の術を知らず春夏秋冬の衣服が作れなかった今呉国には立派な裁工女が居ると聞き勅使として阿知使主加主に命じて呉国に裁工女を求めようと考えられた…綾羽神社の看板説明文より
この説明文、よく考えるとひどい話ですよね。
当時の日本人は裁縫ができなかったので衣服が作れなかった…そんなアホな!
ほなら何着て生活してたんですか!!
当時の日本の文明レベルは相当低かったってことがいいたいのん??
まあ愚痴はこれくらいにしましょう…(笑)

◎呉羽神社

       
 @  A

呉羽神社は、大阪府池田市室町にある神社である。 呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・呉服媛(くれはとりのひめ)と、仁徳天皇を祀っている。呉服媛が祀られ、池田駅側にある呉羽神社が「下の宮」とされるのに対し、五月山山麓にある伊居太神社は「上の宮」とされ、互いの関係はとても深い。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

@参道からの写真です。説明文看板がありました。呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹は九州筑紫より”武庫の浦”に到着したとあります。今の尼崎あたりでしょうね。
このことにより機織り技術だけでなく、酒造技術、土木技術などが池田、伊丹周辺に伝えられたことが想像されます。
A本殿です。呉服媛(くれはとりのひめ)が祀られています。
B恵比寿神社です。。今日はこちらの方のお祭り日!しかし、なぜ恵比寿さまが祀られているのでしょうか?
 巫女さまが声高く間違いのないようにと!説明されてました。
C池田駅南側鳥居周辺です。露店がならんでいました。ここも昔のままです…

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