発 芽 期 

1993(平成5)年度
幼稚園年長組・学級委員

 長女が年長組になった4月、幼稚園で委員決めの懇談会があった。入園した時から、「委員決めの時は、必ず下を向いて、指名されないように気をつけなきゃだめだよ」と言われていた問題の懇談会である。下を向くほどではなかったにせよ、2歳の妹もいることだし、絶対に指名されるはずがないと思って、のん気に構えていた。
 その気分が乱されたのは、年中組の時から仲良くしていたポンちゃんが、学級委員に決定した時だった。自分が決まったわけではないのだから、困ることは何もないはずなのである。けれども、「ポンちゃんが学級委員になってしまったら、忙しくてあんまり遊んでもらえなくなるかもしれない・・・」と、漠然とではあるが、取り残されたような気分になっていた私は、残りの一人がなかなか決まらず、困り果てた先生の「いかがですか?やっていただけないでしょうか・・・」と言う問い掛けに、思わず「下の子がいても、大丈夫でしょうか?」と答えてしまった。肯定的な発言に教室中から拍手が沸き、めでたく私は学級委員に決定したのであった。
 とにかく気の合う3人だったので、クラス親睦会の開催やPTA行事のお仕事など、とても前向きに取り組むことができた。1学期に1回、「White Mammy's Club」というクラス新聞も発行し、クラスのお母様方に大好評だった。

 

1994(平成6)年度
幼稚園年少組・学級委員

 昨年度の学級委員のお仕事が、とても充実していて楽しかったので、二女が入園した年少組のお友達から「一緒に学級委員をやらない?」と誘われた時、すぐにOKしてしまった。だから、委員決めの懇談会では二人で立候補し、担任の先生から感激されてしまった。
 私は2年目の学級委員ということで、実行委員(PTA役員)さん方からも、とても可愛がってもらい、仲良くしてもらった。バザーと運動会の時には、昨年度と同じく「放送」を担当させてもらったのだが、マイクに向かって話すのは得意だし大好きだったので、楽しかった。それまで、自分では全く思ったこともなかったのだが、マイクを通した私の声がすごく良いらしく(今でも自分ではわからないが)、評判になってしまった。「MBS(毎日放送)のアナウンサーだったんだって!」とか、「NHKのアナウンサーだったけど、その後フリーのアナウンサーになったんだって!」とか、お母様方の間では、かなり噂になっていたそうである。

 

  

 成 長 期 

1995(平成7)年度
幼稚園・実行委員(教育委員長)

 かなり早い時期から「ぜひ来年度の実行委員に・・・」というお話をいただき、あまり深く考えないままお引き受けしてしまい、とうとう実行委員になってしまった。2年任期の1年目なので、とにかく仕事を覚え、流れを把握するのに一生懸命だった。9時半から保育時間が終わるまで、幼稚園で仕事をする毎日。お弁当持参で、作れなかった日は近くのローソンまで買出しに行く。プリントの印刷や配付などの雑用には、すっかり慣れてしまった。
 教育委員長は、PTAの広報誌を担当することになっていたので、原稿の依頼に始まり、原稿の回収、校正、編集、印刷所への手配と、とても大変だったが、勉強になった。
 女性実行委員が4名なのに対して、男性実行委員は9名だったので、実行委員会はいつも土曜日の午後7時からである。また、先生方との懇親会なども夜に行われるので、8年ぶりに、夜のお酒を味わった。カラオケにもしっかりはまってしまい、誰が言ったか「幼稚園の松田聖子」は、毎回張り切って歌っていたのだった。

 

1996(平成8)年度
幼稚園・実行委員(学級委員長)

 実行委員も2年目となり、学級委員長を務めることになった。学級委員を経験していたこともあって、実は、学級委員会を自分で取り仕切る学級委員長が、最も経験してみたい仕事だった。学級委員会に使うレジメ作りから、自分の進行マニュアル作りまで、とても力を入れてがんばった。そして、実行委員会での男性実行委員のやり方を学ぶことによって、議事進行についても、学び直すことができた。それを学級委員会の議事進行に応用することによって、かなりスムーズな議事進行ができるようになった。
 また自分が最も満足できた活動は、バザー準備における学級委員さん達の仕事の内容を、かなり濃くした点である。チームを作り、担当を決め、責任を持って任せてみたところ、学級委員さん達の頑張りは目を見張るものがあり、バザーのディスプレイ関係は大成功だったのである。現在のバザーでも、このやり方は引き継がれているはずである。

 

1997(平成9)年度
小学校・4年学級委員長(常任委員)

 始業式の日、ポンちゃんから電話があった。「同じクラスになれたね。おまけにN先生だよ。一緒に学級委員に立候補しよう!」早速、懇談会の日に2人で立候補したのだが、4年生は狙い目ということもあり、壮絶な争奪戦となった。最後はジャンケンで決めることになり、代表でポンちゃんがジャンケンをし、見事勝ってくれて、無事学級委員になることができたのだった。
 こうして活動の場は小学校へと移った。委員総会で4年の学年長が当たり、常任委員として常任委員会へ出席しなければならない、というおまけまで付いてきたのだった。
 4年生の学級委員8名は、かなり個性的なメンバーが集まっていて、巷では「きっともめるよ〜」と、半ばもめ事を期待されている有り様だった。私も委員長として、委員会が分裂することだけは避けるよう努力しなきゃいけないな、と思っていた。けれども、会議を重ね行事をこなすにつれ、チームワークが出来てきて、まとまりができた。夏休みが開けると、8人でテニスサークルを結成し、テニスを楽しむまでになった。今でも、年に数回集まってランチをするし、テニスサークルも細々とではあるが続いている。

 

1998(平成10)年度
小学校・家庭教育学級運営委員長

 家庭教育学級とは、家庭教育に関心のある小学校区の成人を対象に、市教育委員会が小学校の施設(PTA室や集会室)を借りて開設する。参加するのは、ほとんど小学校の保護者であり、運営は、学級生のなかから選ばれた運営委員に任されている。
 私も4年間学級生として籍を置いていたのであるが、その運営委員長になって欲しい、というお話をいただき、お引き受けしたのである。運営委員は8名だったのだが、PTAとはまた違って、かなり自由な活動ができた。なかでも「パソコン体験」として、まだ新しかった小学校のコンピューター室で、子ども達が使っているソフトを使用し、パソコンの得意な先生に指導していただいた学習会は、かなり評価されたようである。
 私はまた、委員長会議で市内にある28学級のAブロックのブロック長にも当たっていた。ブロック長として、企画、準備から当日の運営までの全てを担当したブロック研修「ビーチバレー大会」を成功させたことは、大きな自信につながった。

 

  

 発 展 期 

1999(平成11)年度
小学校・PTA副会長

 指名委員会の指名を受け、ついにPTA副会長になってしまった。「おっとりとした会長さん(男性)」と「責任感が強く頼りがいのある、もう1人の副会長さん」「パソコンでの書類作りを張り切ってくれる書記さん」「プロ級の腕前の絵を書いてくれる書記さん」「お金のことは完璧に管理してくれる会計さん」の5人と共に、最高のチームワークで楽しく仕事することができた。(私はと言えば、のほほんと明るいだけで頼りないのであるが・・・)
 役員会として結果を出せたものとしては、まず「委員会だより」を「PTAだより」としてリニューアルさせた点である。今まで固いお便りのイメージだった「委員会だより」が、書記さんのプロ並のイラストと「PTAQ&A」などで、親しみやすく読みやすいお便りと感じてもらうことが出来た。また、会長さんの連載エッセイも好評だった。何度も編集会議を開きながらのこの「PTAだより」は、PTA役員そのものに対する親しみやすさにもつながったように思う。また、委員選出に関するシステムの変更、地区委員会の改革なども、時代に沿った新しいPTAへの確かな手応えを感じることができた。
 会議での議事進行を担当していた私としては、常任委員会がとても和やかで、かつ活発な会議が出来、また今後もずっと続けて集まろうと思ってもらえる会(「ココア倶楽部」として今も続いている)になったのは、うれしい限りである。

 

1999年度役員

1999年9月26日(日)に行われた小学校の運動会の本部席に於いて・・・。
左から、書記さん、会計さん、会長さん、私、副会長さん、書記さんです。☆彡

 

2000(平成12)年度
小学校・PTA副会長

 またまた指名委員会より指名を受け、副会長を続投することになった。会長さんも続投することになり、PTA30年の歴史の中で、会長と副会長が揃って続投するのは初めて、という快挙となった。小学校創立30周年の年に当たり、11月には「30周年記念行事」も行われ、卒業生の私としては、そういう記念すべき年にまた役員をすることが出来て、とても光栄だった。
 「昨年に引き続いての、有名な合唱団に所属なさっている会長さん」と「英語が得意で頼もしい限りのもう1人の副会長さん」「そこにいてくれるだけで心強い書記さん」「おっとりしているようでしっかり者の書記さん」「お金のことはドンとお任せできる会計さん」の5人と共に、充実した活動をすることができた。前年度と比べて今回のメンバーは、PTAに対する考え方も様々で、問題が起こった時の対処の仕方も変化に富んでいたので、いろいろな考え方や行動形式を学ぶことができ、自分にとって大きなプラスになった。
 また2年目になる今回は、副会長の職務の上に「30周年記念事業実行委員」と「指名委員長」が加わった。時期が重なってしまったので「指名委員長」に専念せざるをえず、「30周年記念事業実行委員」の方は、他の役員さん達に任せっきりになってしまい、本当に申し訳なかったと思っている。けれどもそのお陰で「指名委員長」の重責を果たすことができ、余りある達成感を感じることが出来た。次年度の役員候補者を選出するという、指名委員会の役割の奥の深さを知ることが出来、とても勉強になった。

 

2001(平成13)年度
幼稚園・50周年記念事業実行委員

 創立50周年を迎える幼稚園が記念事業を行うため、旧みそら会(PTA)会長を中心に「創立50周年記念事業実行委員会」が組織され、光栄なことに私もその一員に選ばれ、幼稚園の記念すべき節目に関わらせていただくことになった。実は私は、1年前に行われた実行委員会の組織編成のための会議から参加させていただいていたのだった。幼稚園から5年間も離れていたとはいえ、私にとってPTA活動の基盤となる経験をさせていただいた幼稚園だったので、ご恩返しの気持ちもありとても張り切っていた。けれども実行委員会のメンバーは男性12名・女性6名という大人数で、男性メンバーが中心になって動いてくださったので、「事業部会」に所属していた私ではあったけれど、ほとんど忙しい思いをすることもなく、申し訳ないくらいだった。それだけに、旧みそら会実行委員という立場として、記念誌への原稿の依頼をいただき記念誌に掲載していただいたことは、少なくともそれだけはお役に立てたような気がしてうれしかった。
 50周年記念事業としては、記念誌発刊、記念運動会、モニュメントの設置、記念コンサート、記念祝賀会などが中心だった。大成功に終わった記念祝賀会は、準備した実行委員の側でありながら大変感激してしまった私だった。公式行事における常識やマナーを改めて学ぶことが出来たこと、また記念事業の企画運営について勉強することが出来たことは、私にとって得難い経験だった。

 

2002(平成14)年度
中学校・PTA会計監査

 全く予想もしていなかったのに、中学校の指名委員会から「会計監査」のお話をいただいてしまった。PTA役員ではあるけれど年に数回の監査だけのお仕事だということだったし、そろそろ学級委員をさせていただかなければいけない時期ではないかと思っていたところだったので、即答でお引き受けしてしまった。承認をいただいたPTA決算総会の翌日に、まさかアキレス腱を断裂することになろうとは、夢にも思っていなかったのだが・・・。
 中学校では初めての役員経験だったのだが、会計監査のお仕事そのものは、中間監査・期末監査・年度末最終監査の3回だけだったので、それほど負担に感じることなく楽しく済ませることが出来た。会計さんが各項目別、各委員会別に付けてくださっている帳簿と、領収書などを突き合わせて確認し監査していくわけなのだが、会計さんの完璧な帳簿に、家計簿すら付けられない私はひたすら感動してしまった。また会計監査を経験させていただいたことによって、PTA会費の流れを具体的に把握することが出来たことは、とても勉強になった。

 

2003(平成15)年度
中学校・PTA副会長

 昨年に引き続きまた中学校の指名委員会から、今度は「副会長」という大役のお話をいただいてしまった。中学校となるとPTAの規模は大きくなるし、その分責任も大きくなってしまう気がして、かなり迷ってしまった私だった。けれどもお話をもってこられた指名副委員長さんが、小学校で一緒に副会長をさせていただいたNさんだったこともあり、お断りすることが出来ずお引き受けしてしまった私だった。
 副会長2名は内担当と外担当に分かれていて、私は内担当の副会長だった。つまり、校内に関する仕事は全て私が担当だった。総会の司会や実行委員会の司会などを中心に、校内の仕事は全て私の責任であり、「私だけしか詳しい内容を把握していない」という仕事も多かった。けれども役員5名全員が小学校でのPTA役員経験者ということもあり、それぞれがそれぞれの仕事を責任を持って務めてくれていたので、私も自分の仕事のみに専念させてもらうことができ、とても仕事がやりやすかった。

 

2004(平成16)年度
中学校・PTA副会長

 昨年に引き続きまた中学校の指名委員会から、「副会長」のお話をいただいてしまった。会長さんと二人での続投ということだったので、自分としてもPTA活動の総仕上げという気持ちで、前向きにお引き受けすることができた。
 私達女性役員の後ろにど〜んと控えていてくださり、でも仕事には口を出さず任せてくださる頼もしい会長さん。おっとりとマイペースな外担当の副会長さん。PTAだより「心の懸け橋」作成に熱く燃える書記さん。真面目に几帳面に仕事をこなしてくれる会計さん。と、驚くほどメンバーに恵まれた、ほのぼのとした役員会だった。
 私は内担当の副会長という同じポジションだったので、慣れた二年目ということもあり、今回はいかに委員の皆さんが仲良く楽しく仕事できるかということにポイントを置くことにした。そして自分が議事進行する実行委員会でも、良い雰囲気で委員会が進むためにと、とにかく「笑顔」を心掛けたのだった。
 その成果と言えるのかどうかはわからないが、実行委員会メンバーはとても仲良くなり、年度末の実行委員会の打ち上げは一次会・二次会と大変盛り上がり、教頭先生からも「こんなに盛り上がった打ち上げは、未だかつてない!」とのお誉めの言葉をいただいてしまった。
 女性役員4名での「トミーの会(!)」は、もちろん今も続いている。

 

 円 熟 期 

2006(平成18)年度
高校・1年学年委員長(実行委員)

 我が母校へ次女が入学した数日後、担任の先生から委員依頼のお電話をいただき、学年委員として母校での念願の(?)PTAデビューを果たすことになった。そしてついつい勢いに乗り、委員総会では1年学年委員長という大役までお引き受けしてしまった。お友達のFさんが副委員長を引き受けてくださったことは、本当にうれしかった。副委員長として私の足りない部分をいろいろと助けていただけるし、一緒に実行委員会へ出席してもらえるし、すごくすごく心強い。
 1年の学年委員会は16名で、しっかりしている方ばかりだったので、委員長として私がやっていけるだろうか…と、最初はかなり不安に思ってしまった。でも引き受けたからには委員の皆さんに安心していただけるよう、精一杯がんばった。また自分の母校でのPTA活動ということで、小学校のPTAの時のように必要以上に肩に力が入り力んでしまわないよう、それにだけは気を付けて努力したので、なんとか肩の力を抜いて勤めることができた。そして担任団の先生方の生徒達への熱い思いを身近に感じることができたことは、素晴らしい経験だった。

 

2007(平成19)年度
高校・2年学年委員長(実行委員)

 昨年度ひ引き続き、担任の先生からの委員依頼の学年委員をお引き受けし、役員の皆さんからもぜひにとのお言葉をいただいたので、またもや学年委員長をお引き受けしてしまった。Fさんも副委員長を引き受けてくださったので、昨年度同様に一緒に実行委員になれたのでうれしかった。昨年度はとにかく高校のPTAでの役割をこなすことに一生懸命だったが、今回は2年目の学年委員長ということもあり、少し周りを見渡しながらお仕事することができたような気がする。そして、学年委員会のメンバーが仲間意識を持てるように、少しではあるけれど雰囲気作りをがんばれたように思う。その成果と言えるのかどうかわからないけれど、今回は学年委員会がチームとして活動することができたように思う。また今年度の2年学年委員会は前向きで個性的で明るいメンバーが多く、お仕事や親睦会への参加も積極的でとてもありがたかった。最後の打ち上げ親睦会は笑いあり涙ありでとても盛り上がった。また「来年もまた学年委員になりたい!」「来年もまたこのメンバーで学年委員会をやりたい!」という声がたくさん上がり、委員の皆さんに充実感と達成感を感じていただけたようで、委員長として涙が出る程うれしかった。また担任団の先生方とも充実した暖かい関係を作ることができ、PとTのつながりの大切さを初めて実感することができた。

to be continued・・・  


  

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