[ノスタルジー]  2000.11.1

涙が出てきてしまいそうなほど、懐かしい風景。
忘れようにも、忘れられない情景。
人は、そんな思い出を心に刻んで、それを生きる力にしているのかもしれない。
「卒業生の立場から小学校の30周年について」のエッセイを依頼された時、
エッセイの根底に流れるテーマは「ノスタルジー」にしよう・・・
と、すぐに私は心を決めたのだった。
エッセイを読んだ人が皆、郷愁を感じられる文章を書きたかった。
心の中に懐かしい風が吹くような、そんな文章を目指した。
PTAだよりが発行されてから、エッセイを読んでくださった皆さんの感想が、
だから正直言って、かなり気になっていた。
「読んでいて、涙が出てきてしまった」
「自分の子どもが、この小学校に通っているんだと感動した」
「自分の子どもも将来こんな風に思うのかと思ったら、うれしかった」
「自分の卒業した小学校へ、行ってみたくなった」
皆さんの感想を聞かせていただいて、私はしみじみ思った。
大人は皆、ノスタルジーを心の中に、大切に抱え持っているんだと・・・。
過ぎ去った日々は、二度と戻ってはこないけれど、
心の中に大切な情景を積み重ねていくことが、
生きていくということなのかもしれない。

 

 

[卒業写真]  1999.12.7

聞き覚えのある曲をピアノで弾いていた上の娘が、私に尋ねた。
「ママ、この曲知ってる?今、学校で習ってるんだけど・・・」
もう一度弾いてもらい、今度はちゃんと聴いてみる。
知ってるも何も、これは私の高校時代の青春の歌、「卒業写真」だ。
「卒業写真じゃない!ユーミンの歌だよ!学校で習ってるの?」
すごいな。ユーミンを学校で習っているなんて・・・。
早速CDを取りだし、娘を引っ張ってきて、一緒に聴いた。
この歌を聴いて、まず目に浮かんでくるのは、高校の校門への道。
そして思い出すのは、高校3年生の時のこと。
まさにこの歌の通り、片思いだったNくんのこと。
どこが良かったのかも、もう覚えてはいないけれど、大好きだったな。
隣の席になった時は、うれしかった。
でも緊張して、あんまりお話出来なかった・・・。
Nくんが欠席した日の現代国語の授業のノートを、一生懸命清書して、
Nくんの現国の教科書に挟んでおいてあげたんだよね。
Nくんが私の親友に尋ねていたけれど、内緒にしてもらった私。
かわいかったな。
今はどこに住んでいるのかも、全くわからないNくん。
所在さえわからなくなるなんて、夢にも思わなかったあの頃。
ずっと友達でいられると思っていたのに・・・。

先のことなんて、全くわからないものなのだから、
今を、今この時を、大切に生きて行かなければいけない。
そう改めて実感させてくれた「卒業写真」だった。

 

 

[キーボードタッチ]  1999.10.30

キーボードタッチの早さに、私はちょっとばかり自信を持っている。

私が初めてキーボードに出会ったのは、大学の4回生の時だった。
卒論に必要なアンケートを作るために、我が恩師である教授が、
当時はまだ新しい備品であったワープロを使わせてくださったのだ。
その時は、自己流でマスターした「かな変換」で打ち込んでいたものだった。
卒業を控えた頃、英文タイプを習うために、短期間だがスクールに通った。
英文タイプをマスターしてからは、統一した方が便利なので、
ワープロでも「ローマ字変換」を使うことにした。
就職して、英文タイプとワープロを毎日使って仕事をするようになり、
キーボードを見ずに原稿だけを見て打つのが、とても早くなった。
結婚退職したのだが、夫の職場の方に結婚祝いにワープロを頂いたので、
それから11年間、細々とではあるが、キーボードに触れ続けることができた。
2年前からは、ようやく書類作りでもパソコンを使うようになった。
インターネットを初めてからは、書類を見ながらではなく、
画面を見ながら、かなりのスピードで打つようになっていった。
下の子ちゃんが「ママのパソコンのまね」と言ってやって見せてくれるのだが、
ただ一心に画面を見つめながらすごい勢いでキーボードを打ち、
「あ、間違った!」と言って、すごい勢いで delete を押すのである。
これがそっくりなのである。(家族全員、大ウケだった)
普通ブラインドタッチと言えば、原稿と画面の両方を見ながらだが、
私の場合、下書きを全くしないタイプなので、画面だけを見ているのである。
これからもキーボードタッチの早さに、より磨きをかけていきたいと思っている。

「キーボードタッチの早さとメールの量との関係について」
「キーボードタッチの早さとメールの頻度との関係について」
という論文が書けそうだという私に、某先生が提案してくださった。
「『キーボードタッチの早さと掲示板の管理の関係について』はいかがですか?」
う〜ん、なるほど・・・。これは一本取られました!

 

 

[運動会]  1999.9.29

台風の接近で心配された運動会が、予定通り9月26日に行われた。
「組体操」や「ダンス」、「リレー」や「100m走」で、一生懸命がんばる
子ども達を見ているうちに、応援しているうちに、
ふいに自分が子どもだった頃を思い出した。
元気よくダンスを踊る下の娘を見ていたら、自分の姿がよみがえる。
演技をしている時に舞い上がる、土煙の懐かしいにおいが感じられる。
走るのが苦手だけれど、バトンを持って必死で走る上の娘を見ていると、
まるで自分が走っているような、そんな気がしてくる。
倒れ込むように身体を斜めにして曲がった、トラックのコーナー。
アンカーの私に、担任の先生がトラックの内側から叫ぶ声が聞こえてくる。
「がんばれがんばれ!思いっきり行け!!」
沸き上がってくる思い出は、次から次へと果てしない。
そうだった。運動会とは、長い間、自分が応援してもらうものだった。
気が付けば、今は応援する側にいる。
時は二度と戻らないけれど・・・。
子ども達を応援することで、思いがけず追体験ができた。
それは不思議な、そしてステキな感覚だった。
子ども達と私達・・・。時は流れたけれど・・・。
時代によって変わっていく運動会ではあるけれど、運動会ってやっぱりいい。

 

 

[「お姉ちゃん!」「あっこちゃん!」]  1999.9.14

9月10日、バレー部の試合の応援に、総合体育館へ行った。
妹がアタッカー(ライトオープン)だし、友人もたくさんいるので、
今までもずっと、都合のつく限り応援に行っていた。
でも今年からは、妹の1歳児ちゃんの子守り、という役割が加わったのである。
8時30分に集合場所へ行くと、みんながとても自然に挨拶してくれる。
まるで私もバレー部員のようで、ユニフォームでないのが不自然な感じである。
妹が私のことを「お姉ちゃん」と呼ぶので、バレー部のみんなも、
私のことをいつの間にか「お姉ちゃん!」と呼ぶようになっていた。
何人かの友人は「あっこちゃ〜ん!」と呼んでくれる。
ついに今回は、監督さん(男性)にまで「お姉ちゃん!」と呼ばれるに至った。
体育館で、監督さんが私に話かけてきて「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言うので、
いったい誰のことを言ってるのかと、きょろきょろと辺りを見回してしまった。
どうやら私のことだとわかった時には、ただただびっくり・・・だった。
試合後の場所を変えてのミーティングにも連れていってもらい、
徐々に、バレー部“準部員”の地位は確立されていると言えるかもしれない。
「このままバレー部に入ったら?」とよく誘っていただくけれど、
インディアカで手一杯なので、準部員で充分満足している私である。

2試合目が始まる前、みんながアップしている時・・・。
1歳児ちゃんを連れ戻そうとした私は、思わず走り出していしまい、
1歳児ちゃんを抱いたまま転んで、右の手首と腰の骨を強打してしまった。
監督さんの目の前だし、大泣きされるしで、ふらふらになってしまった。
「抱っこされずに自分で歩いてたら、ちゃんと転ばないのにね〜」
返す言葉が無かった私・・・。

 

 

[バザーのお手伝い!]  1999.9.7

一昨日の日曜日、旧実行委員として、幼稚園のバザーにお手伝いに行った。
「都合がつくなら、少しだけでもぜひ・・・」とのご依頼をいただいたのだが、
ちょうどインディアカの練習がお休みだったので、1日中手伝うことができた。
担当したのは、正門を入ってすぐの「金券・福袋」のコーナー。
「やっぱり正面は美人が必要だからって、お声が掛かったの?」
とからかう男性実行委員さんに、大きく頷く私。(そんな訳ないけど・・・)
バザーのプログラムが、過去に私が新しく変えた形のまま引き継がれていたり、
売り場のネーミングも、アンケートで募集した中から私が決めたものが
そのまま引き継がれていてるのを見た時、結構感動してしまった。
自分が実行委員として努力して作り上げたものが、いつのまにか伝統として
受け継がれていたなんて、実に感慨深かった。(ちょっと大げさかな)

「ホームページ見た見た!めっちゃ、おもろかった!」
と、真っ先に声を掛けてくれた現会長のS氏。
「のほほんとした気分になれたよ。ちゃんとお気に入りに登録したから・・・」
と、喜ばせてくれた元会長&元顧問のK氏。
「インターネットに接続すると、まず最初にのほほんが出るようにしとこか」
と、大胆な提案をしてくれた元体育委員長のT氏。
ありがとう。うれしかった・・・。

金券を購入に来た小学校のお母様方は、私を見ては驚いてくれた。
「昨日は小学校で会議をやってらして、今日は幼稚園でお仕事なんてすごい!」
朝の9時から午後4時過ぎまでしっかり働き、とても充実していた。
本部になっている職員室に戻った時は、すぐに缶ビールが差し出される。
「OGもなかなかいいもんだな」と、お局気分も満喫できた1日だった。

 

 

[ホームページを作るぞ!1]  1999.8.31

 ホームページ作成を思い立ったのは、今年の1月だった。
高校時代の先輩から頂いた年賀状に、書かれてあったホームページのURL。
早速、パソコンでURLを直接入力してみた。
すると先輩の作ったホームページが、すぐにパソコン画面に現れた。
「すごい・・・。かっこいい・・・。」
先輩の写真もたくさんあって、めちゃめちゃおもしろかった。
「個人の作ったホームページでも、こんなに楽しめるんだ!」
 単純な私は、すぐに自分も作ってみたくなった。
夫は、私の作るホームページの内容には特に関心は無いようだった。
けれど、作成する過程には大いに興味が湧いたようで、
早速九州在住のその先輩に電話をして、いろいろと尋ねてくれた。
そして先輩のアドバイスのもと、まずは日本橋までソフトを買いに走った。
それから、マニュアルを読みながらの特訓の日々が始まった。

 

 

[ホームページを作るぞ!2]  1999.9.2

2000円もするマニュアル本も購入し、とにかくそれにそって練習を開始。
本の通りに練習しながら、とにかく基本操作を覚え、作業を学んだ。
早く自分のを作りたい、と気は焦るのだが「急がば回れ」と思い直す。
けれども、だんだん飽きてきてしまい、なかなか進まなくなった。
 そのうち、ソフトを開くことすらしなくなった。
そのままだったら、このソフトも無用の長物になってしまっていたはずである。
それが8月初旬、とあるホームページを見たのである。
たまたま見つけたそれは、30歳前後の主婦の方が作った刺激的なものだった。
またまた私は、強い刺激を受けてしまった。
「やっぱり、作らなきゃ!!」
その日から、具体的なホームページ作りに突入した。
レポート用紙を持ってきて、タイトルを決定し、コンテンツを考え、
ページの骨組みを作り、内容を検討した。
それから、タイトルの作成を依頼し、ページ毎の作成を開始した。
そこから後の追い込みは、自分ながらよくがんばったと褒めてあげたい。
ようやく、どうにかこうにかオープンに漕ぎ着けた。
今、小学校の体育館で開かれている「夏休み作品展」に展示してもらい、
みんなに見に来てもらいたい・・・、そんな気分である。

 


  

HOME