ボタン365:キングダム・オブ・ヘブン 2006.01.01 DVD
 なかなか重い内容の映画だった。十字軍が聖地奪還といいながら悪行を行っていたという事実を描いている。
 
バリアンがエルサレムに出発するイタリアのメッシーナの海岸がきれい、実際にどこで撮影したのか知りたい。

 戦闘場面がCGをほとんど使っていないということだが、迫力満点、投てき器の威力はすざまじいものだ。

 エルサレム攻防戦の終結の際バリアンがサラディンに「エルサレムにはどんな価値があるのか?」と聞くと、サラディンは「Nothing!」と答えて、続けて「Everything!」と言う場面、現在のエルサレムの現状を思うとかなり意味深なセリフだ。

 アラブの英雄サラディーンが登場する。サラディーンの墓はシリアのダマスクスのウマイヤドモスクにある。カラク城も出てくる。これは現在のヨルダンにあり、カラク城は観光地となっている。

正月、早々に見るには少し不向きな映画だった。もう少し軽いのを選ぶべきだった。
ウィキペディア百科事典より抜粋
 エルサレム王国(1099年〜1291年)は12世紀末西欧の十字軍によって中東のパレスチナに樹立されたキリスト教王国。ローマ教皇の呼びかけに答えて聖地へ向かった第1回十字軍は1099年にエルサレムを占領し、軍勢の指導者となっていたゴドフロワ・ド・ブイヨンは聖墳墓の守護者に任任命された。ゴドフロワはエルサレムをに残るイスラム勢力や農村の襲撃を行ったが1100年にエルサレムで死に、弟のボードワン(ボードワン1世)が後を継いで「エルサレム王」となった。

 元々、十字軍は利害が対立する諸侯の連合軍であり、互いに対立していた。さらに、現地の諸侯は異教徒と融和し共存を目指し始めたのに対し、新来の十字軍士や教会関係者はイスラム教徒との戦闘を要求したため、王国の方針は常に定まらなかった。

 エルサレム王国は近隣のイスラム都市ダマスクスと協力し、聖地騎士団の活躍により何とか領土を維持していたが、第二回十字軍が成果を収めず撤退しダマスクスがザンギーの息子ヌールッディーンに支配されたため、状況はいっそう悪化した。

 1187年イスラムの英雄サラディンがハッティンの戦いでエルサレム王ギー・ド・リュジニャンを破り、エルサレムを奪回した。エルサレム王国はパレスティナの海岸部に追い詰められ、第三次十字軍がやって来たが聖地奪還はできなかった。その後、シチリア育ちでアラビア語に堪能な神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が外交交渉によってエルサレムへの巡礼権を回復したが、1244年にはそれも失われた。

 その後もパレスチナの十字軍国家はエジプトにアッコン港周辺に追い詰められながら、エルサレム王国の名で存在し続けたが、1291年エジプトによってアッコンを落とされ滅亡した

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