ライン

ずっこけフランスドライブ旅行 
2002.9.13-B
サン・マロ Saint Malo

ライン

 モンサンミッシェルからサンマロまでは快調に飛ばして、午後5時頃に到着した、港町で城壁に囲まれている。狭い門を入って石畳の道路を走る。内部は第二次世界大戦でドイツ軍との戦闘で破壊されたそうだが、完全に修復され、まったくその傷跡はない。遠くから全景を見る方がきれいだ。
 
狭い道路の片方に駐車してよいことになっている。駐車スペースを見つけられなかったので仕方なく城壁の外の駐車場に車を止め、まずは城壁の上を歩く、海は引き潮で小さな岩礁が3―4ヶ見え、なかなか景色がよい。

カルチエ(カナダを見つけて、フランスの植民地にした人だそうだ)の銅像を見て、夕食を摂ることにし、人のたくさん入っていそうなレストランに入った。話の種にムール貝を注文した。ボールに山盛り出てきた。ワインで蒸しただけだが、少し塩味が利いてうまかった。残念ながら車で来たのでワインは飲めなかった。仕方がないのでペリエで我慢した。


サンマロの市庁舎と博物館で城壁内にある。(sm1.jpg)

城壁から内部を見る
この城壁は12世紀頃から作り始めたものだそうだ。第二次大戦中もこ城壁だけは戦火を免れたとのことである。城壁の前の海は引き潮で遠浅の砂浜が広がっている。
絵はがきを見ると嵐の時は城壁を越えて波が打ち寄せている。(sm2.jpg)

グラン・ベ島
サンマロの海岸にある島で、この付近の潮の干満の差が著しく、引き潮の時は島は陸地とつながってしまう。
この島にはサン・マロ出身の作家シャトーブリアンの墓があるとのことである。

シャトーブリアン広場、正面の建物はシャトーブリアンホテル
シャトーブリアンの生家、現在はホテルになっている。彼は1768年にここサンマロで生まれたロマン派文学者で名文家として有名とのこと。代表作は『墓のかなたの記』(どんな内容か知らない・・興味のある方は読んでください)
 また彼は外務大臣、駐英大使として活躍した有名な人のようです。有名なフランス料理牛のフィレ肉のステーキ『シャトーブリアン』彼のおかかえコックが考え出した料理だそうです。

ジャック・カルチエの銅像、カナダを見つけフランス領にした人物。彼はサンマロの港を出てカナダのセントローレンス川を見つけた。
海の向こうにイギリスがある。(sm3.jpg)

サンマロで夕食を摂った食堂。上部はホテルになっている。(sm4.jpg)
サンマロという地名は6世紀にキリスト教の布教に訪れた修道士サンマロに由来する。サンマロ港は17〜18世紀にはフランス国王公認の海賊(コルセール)の根拠地であったとのことである。

帰りはとんでもないことに・・・・・(教訓:帰り道は必ず確認しておこう!)
 外は少し暗くなりかけたのでモンサンミッシェルに引き返すことした。もと来た道を引き返したつもりだったが暗くなると方向感覚がはっきりしなくなる。分岐点を間違えレンヌの方向に進んでしまった。途中でUターンしようとしたが、出来るところがない。へたに道をそれるとまた道が分からなくなる、仕方がないのでレンヌまで走った。周回道路に入ってフージェール、モンサンミシェルの標識がありそれに向かって進む。真っ暗の中を140kmで突っ走る。
 途中で標識がなくなりどっちに行ったらよいか分からない、午後10時・・・。
ドライブインがあった、そこに駐車していた人に地図を見せて尋ねる。あっちだと教えてくれた。当初走っていく道とはかなり違っていた。


あとで地図で確認したら、迷走もいいところだ。夜間の走行の難しさを痛感した。(sm5.jpg)

 

泊まったホテル、ルレ・サン。ミッシェルの看板(sm6.jpg)
まあ間違いないだろうと細い道路を進む。
T字路にぶつかった。ホテルの少し手前の道に出てきた。

午後11時半、ホテルのドアが閉まっている。どうしようかと思っていたら、中でアメリカ人の団体が食堂で騒いでいた、その中の何人かがホールに出てきた。中の何人かが気づき、ドアを開けてくれた。やっとホテルにたどり着いてほっとしてどっと疲れてしまった。

夜景のモンサンミッシェルを見る予定だったのに・・・・・。

やはり夜の走行は止めた方がよい。やっとのことで元にもどれた。サンマロまで50kmなのに帰りに100kmくらいかかってしまった。

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