菟田野から大宇陀へ・古刹仏隆寺から阿騎野宿・かぎろひの丘へ



9月17日、週間予報では17日の天気は雨降りでしたが、朝起きてみると良い天気なので大宇陀方面に走りに行くことにしました。近鉄竹田駅まで自走し、竹田駅からは橿原神宮行き急行で八木駅へ、八木駅で大阪線急行に乗り換えて榛原駅への到着は9:05でした。
榛原駅から国道369方面へは、駅前の道を左へとり暫くすると国道へ出られると思います。僕は正面の道を取りすぐ左へ暫くすると変則T字路へおそるおそる右へ、するとすぐに十字路どこやねんなどと思いつつ辺りをみると、十字路左へ折れた所に観光看板があったので位置確認、どうもこのまま直進したら良いみたいなのでそのまま進むことにしました。道が川に沿い始めると、対岸に墨坂神社の神々しい神域が見えてきます。今回は川を挟んでの参拝で許してもらいました。そのまま進むとR369への標識が現れてきたのでそれに従います。国道を右にとります。
国道369は山間の縫うように走ります。昔は伊勢本街道と呼ばれていたそうで今でも所々に面影を残したお堂や道標がありました。道は広めの走りやすいのですが、以外と車が横を飛ばしてゆくので気の抜けないところです。しかし風景はのどかで、道ばたにはコスモスや曼珠沙華、刈り取られた稲などを見つつ走りました。道は山越えの雰囲気になり小さなピークを越えると仏隆寺方面分岐はもうすぐです

榛原駅から約30分、国道から仏隆寺方面への分岐に到着、此処から旧道を走ります街道筋らしい街並みが見え始め暫く走ると更に仏隆寺方面の分岐が現れます。分岐を左にとり小さな橋を渡ると道はひたすら登りになります。

道は、小さな集落をいくつも通り過ぎながらひたすら登りつづけます。ようやく進行方向に茅葺きの建物が見えてきたら、もうすぐ仏隆寺です。しかしこの手前数メートルの登りが強烈!思わず降りて押しました。一息ついていると野良仕事をしている老夫婦が声をかけてくれたので、しばし自転車の話やお寺に続く道の話、室生寺に至る室生古道の話など立ち話をしました。
仏隆寺は、空海・弘法大師の高弟の創建といわれる古刹です。しかし難しい事はわからないのですが、茅葺きの建物(中には石仏がまつられていました)の横の石段を上がって行きます(右の写真2枚)。両脇は曼珠沙華が沢山咲いていました。この時期はこの花の名所のようで沢山のカメラマンが、撮影をしていました。また境内にはいると、珍しい黄色い曼珠沙華の花や白い曼珠沙華の花が咲いていました。

この道が室生古道です。この先、室生寺へは自転車で約40分位で行けるようです。ただし登りは拳大の石の転がるかなりのガレ道のようです。峠を越えて室生側へでると舗装された走りやすい道になるようです。今回はパスです。

仏隆寺を後に、旧道の分岐まで一気に下ります。分岐まで降りてきたら進路を左へとり旧道を走ります。趣のある集落をぬいながら走るとR369と交差します。そのまま旧道を走り再びR369と交差したら国道を走ります。旧道を下方に見ながら暫くすると県道との分岐を示す標識が現れるので、県道方面に進路を取ります。緩やかなアップダウンを越えると、菟田野町の中心地へと入って行きます。宇太水分神社へ続く街道を走ると直ぐに神社の鳥居の前に出ます。下の写真は左から宇太水分神社の鳥居、つぎはその前を通る榛原街道、後の2枚は榛原街道旧道です
宇太水分神社は大きな木々に囲まれた静かな神社でこの地方の水を守護する古よりの神様のようです。参拝を済ませて旧道を走ります。この道は榛原街道と呼ばれ佐倉峠を越えると伊勢街道と合流します。静かな旧道沿いの田んぼは所々稲刈りが始まっていて秋色を漂わせています。旧道が新道に吸収されてしばらく走ると右手に天然記念物八房の杉の看板があり、つられて集落沿いに坂道を登って行くと、山手の中腹に桜実(さくらみ)神社の社殿が見えてきます(右の写真)。八房の杉は?と思いつつ神社の中に入って行くと、拝殿の横奥に大きく枝を伸ばしていました。案内によると神武天皇お手植えのものと言われているようです。しかし大和の社は集落の奥まった所にあるようなものでも、すごいいわれや歴史があり村の鎮守様だけでないところが奥深いです。街道へ戻るとちょうどこの辺りから佐倉峠へ向けて高度を上げて行きますが、おそれることもなくすんなり峠へたどり着きました。
佐倉峠からは、綺麗な舗装路や田舎道やアップダウン変化に富んだ道を淡々と走ります。山間の集落をいくつも過ぎると左手下方が開け、正面も開け始めると大宇陀の市街にむけて下り坂となります。左から1枚目は佐倉峠を国道から県道に向かってのものです。2枚目は峠からしばらく走った場所でのものです。このあと道路状況は変化に富んできます。
上の2枚の写真は、森野薬草園と薬草園へ向かう山道よりみた、大宇陀阿騎野宿の家並みです。
大宇陀・阿騎野宿は秋山城の城下町と街道の宿場として開けた様で、今なを町屋の風情を多くのこした家並みが続きます。ゆっくりと家並みの散策や森野薬草園を訪ねながらの走行は時の立つのさえ忘れます。ただこの街で困るのは食事で食堂は道の駅にしかないようです。しかしコンビニは以外と目にしたのでかぎろひの丘や阿騎野・人麻呂公園などでおにぎりと言うのも悪くないかも知れない。などと思いながらかぎろひの丘・万葉公園へむけて走っていると公園の麓に万葉食堂を発見!とりあえず場所を確認して先に阿紀神社へ行きました。鳥居をくぐり鎮守の森に入って行くと中に能舞台と本殿があり、やはり此処も古の時を感じました。ちゃんとお参りをしてかぎろひの丘・万葉公園へ、この地は、柿本人麻呂が、軽皇子ともにこの地を訪れた際「ひむがしののに かぎろひのたつみえて かえりみすれば つきかたむきぬ」この有名な歌を詠んだとされている場所です。下の写真は左が阿紀神社の鳥居、右がかぎろひの丘の風景です。ちなみにかぎろひ鑑賞会が旧暦11月17日に行われるそうです。かぎろひは日が昇る数時間前にうっすらと茜がさす現象と聞きます。
かぎろひの丘・万葉公園散策の後、麓の万葉食堂でよもぎうどんを頂ました。こしがありなかなかおいしいうどんです。温冷両方ありましたが、僕は冷の方を頂きました。おなかを満たしたところで、町にもどりR370を近鉄榛原駅に向けて走り出しました。街並みを抜けて田園を横切り榛原駅には15:05の到着でした。この日はこれで走了です。
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