大東諸島

大東諸島は、「ウファガリジマ(遥か東にある島)」と呼ばれた島で、 周囲の十数mの断崖絶壁が人の上陸を拒み、長い間無人島でした。 八丈島出身の玉置半右衛門という方が苦難の末、1900年1月23日に上陸を 果たし開拓に着手しました。


「祝・大東諸島開拓100周年 」

(左)南大東島「ふるさと文化センター」内のボスター等
(右)北大東島空港近くの看板


海路でなら、この大東海運の貨客船「だいとう」で那覇・泊港から 約14時間。南大東島、北大東島を順番に行くので、後に行くほうは、 さらに2時間30分かかります。どちらが先かは基本的に交合になります。 揺れる時は、歩行困難な程度に揺れますので、船酔いされる方は、 高くても飛行機をお勧めします。
空路なら、この琉球エアコミューターのDASH8で那覇から約1時間10分 南北間は約10分です。但し、料金は船の約4倍となります。 この飛行機を南大東から北大東に移動する際に利用しました。
「だいとう」の夕日の眺め
太平洋のど真中なので、 雲がなければ綺麗でしょうね。
島の港は断崖絶壁と、太平洋の荒波のため接岸できません。 この位の間隔に停泊した後、全ての荷物は陸上にあるクレーンで 釣り上げ積んだり降ろしたりします。
(写真は北大東島北港)
接岸できないので、人もこのような檻に入って、クレーンで 釣り上げて頂きます。
「だいとう」の船長様のお話によると、世界唯一だそうです。

大東諸島を開拓した玉置半右衛門の碑です。(南大東島)

離島であるからして、本土の2倍も3倍も努力が必要であり、 ”離島根性”を捨て、人材を資源として玉置氏らの先人達の ”開拓精神”を21世紀に引き継ごうというのが、南大東村の 教育立村としての方針だそうです。

南大東島西港近くの上陸記念碑。上陸を試みた 探検隊の勇気と功績を称える。
南大東・西港近くの開拓100年記念碑です。
碑の左に「農夫の像」、右に「玉置半右衛門」の像があります。
南大東村役場裏の「ふるさと文化センター」内には、 開拓当初の村民の生活を示す展示がされています。
南大東島では、シュガートレインと称する軽便鉄道が大正7年に 開通しました。 こちらは、「ふるさと文化センター」前に展示してあるサトウキビ 運搬用ディーゼル機関車8号です。 本島の軽便鉄道は戦災により破壊されましたから、沖縄県下 唯一の鉄道でしたが、昭和58年に廃止されました。
こちらは蒸気機関車2号(1917年製)です。
南大東島には、シュガートレインの鉄路の一部が、 未だ残っています。
帝国海軍が明治初期に、日本領であることを示した海軍棒です
海軍棒前には、岸壁をくりぬいて作ったプール、海軍棒プールが あります。
海軍棒とは、島の反対側にある塩屋プールです。
南大東島には砂浜がないためこのようなプールが2箇所あります。 満潮時には危険なため泳げないですが、干潮時には逃げ遅れた お魚がプールの中を泳いでいます。
南大東島の展望台からみた島の風景です。
南大東島のあちこちに鍾乳洞がありますが、こちらは 一般に公開されている星野洞です。
星野洞の鍾乳石は、他の鍾乳洞に負けない美しい物です。 また、鍾乳石の成長速度は、日本一早いそうです。
南大東・北港近くにある「バリバリ岩」です。 高さ約10mに渡って岩を引き裂いたようになっています。
南大東島には、とにかく蛙(ミヤコヒキガエル)が多い。 踏んづけない様に気を付けて。(道路には多数の平面蛙がいる)
北大東島にも、玉置半右衛門の碑がありますが、 小さくて大和墓のようです。(墓ではありません)
断崖には、太平洋の荒波がブチ当っています。 (北大東村上陸の断崖)
北大東島は、かつて燐鉱石を産出する島として知れ渡っていました。 こちらは、その貯蔵庫跡です。そして、燐を掘った露天掘りの跡は、 今やゴミ捨て場と化しています。
北大東島が日本の領土であることを示した国標だと思います。 (危険なので近づけなかった)




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