陸軍禁野火薬庫跡/陸軍大阪工廠香里支所跡


大阪府枚方市の香里団地内に残る「陸軍用地」の石標



現在の大阪府枚方市香里団地には、戦前「陸軍大阪工廠香里支所」がありました。 広大な敷地の中に、宇治火薬香里工場などの砲弾を製造する工場が点々としていた そうです。ここで製造した砲弾を輸送するために、省線(現在のJR)の片町線 星田駅から、貨物線が伸びていました。私の調査では、おそらく香里橋近くの 京阪バス車庫付近が終点だったと思います。
一方、枚方市の中心部、禁野には禁野火薬庫があり、陸軍大阪工廠香里支所で 製造した砲弾をここに貯蔵していました。砲弾の運搬には、SL(C11)を使い、 津田駅から伸びていた貨物線(禁野側線)を使って、中宮の貨物駅(現・小松製 作所大阪工場内)まで運んでいました。

まず、最初に禁野火薬庫跡と中宮支線の跡をたどります。

JR津田駅の北側の踏み切りから駅のほうをみました。 線路の右側の舗装されている道が線路の跡と思われます。
先ほどの踏み切りから逆の方向を見ます。駐車場に 停まっている車の前の砂利道が線路の跡だと思われます。
線路は300mほど片町線と平行に走って、分岐し、この交差点の所に出てきます。
道路になっているこの場所に線路が走っていました。
途中、現在の国道307号線の上を通り、国道1号線の池之宮北交差点を 通って、この松ヶ岡町交差点で右に曲がります。
そうすると「中宮平和ロード」に出てきます。
これが、「中宮平和ロード」の始点です。
途中、SLをかたどったオブジェがあります。オブジェの後ろの 電柱(一方通行標識のすぐ右の電柱)が、唯一残っている当時の 電柱です。この先を真っ直ぐ行くと、小松製作所大阪工場の門に たどり着きます。その門の中が終点です。(積み荷を下ろすため のプラットホームの跡が残っているそうです。それも今年中に、 整地されてしまうそうです。)
中宮の町には、こんな石碑も残っています。(建立の目的は不明)
昭和14年3月1日の爆発事故で亡くなった労働者の碑です。爆発事故では、 死者94名重軽傷者602名、全半焼1720棟の被害がでたそうです。(信管の取り 外し作業ミスで爆発した火により保管してあった砲弾が次々誘爆した。) 枚方市では、この3月1日を平和の日と定めています。

次に、「陸軍大阪工廠香里支所」に行く星田支線を紹介します。
星田駅の北西側にある分岐地点です。すでに道路になっています。 この先、急な左カーブになり府道(山之上−高田線)に合流します。
線路の終点は、道路脇のこの三角形の敷地の先、京阪バスの 営業所辺りだと思われます。敷地の形が操車場を想像させます。
香里団地として開発された今、当時の建造物で残っているものは、 浄水場のこの煙突のみです。

先ほど、紹介した禁野火薬庫の爆発事故以後、一部の施設が京都府の祝園地区に
移転されました。ここにも、省線からの引込線がありました。その足取りを辿ります。
片町線の下狛駅北、第三菱田北踏切りの北側で分離していました。
写っている踏切りが第三菱田北踏切り。だんだん、片町線から離れていきます。
途中、府道を渡ります。
堤の脇には、防衛庁という石標がありました。戦後、しばらく使われていたため、 打ち直されたのだと思われます。
町中で、唯一残っている構造物である橋です。一応、橋梁と枕木(本物)が 残っています。この橋を渡ると、南京都学園の裏側を通って、道路に合流します。
道路を真っ直ぐ進むと、自衛隊専用道路に入ります。 道路際の敷地内を線路は走っていたと思われます。
道路脇の自衛隊敷地です。
さらに、進むと陸上自衛隊祝園分屯地/祝園弾薬支処に到着します。 交渉しましたが、アポなしでは駄目でした。また、出直そうと思います。


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