大阪砲兵工廠跡/第四師団司令部跡


大阪砲兵工廠跡碑(大阪城公園太陽の広場)

大阪城周辺は、戦前には重要な軍事施設が多数あり、中でもここ大阪陸軍 造兵廠(大阪砲兵工廠)は、面積1.18平米の東洋一の兵器工場であり、 戦争末期には約6万人の人が働いていたそうです。昭和20年8月15日未明の 空襲によりそのほとんどが、破壊されましたが、唯一残っていた本館 (現・大阪城ホールのある場所)も近年取り壊されました。

大阪城・片町口方面にある砲兵工廠の石碑
石碑を過ぎて大阪城内に入ると、大阪陸軍砲兵工廠科学分析場があります。 自衛隊が使っていましたが、今は空き家になっており取り壊される可能性も 出てきています。
その(科学分析場)向かいにある建物です。倉庫跡か何かだと思うのですが 定かでありません。



第四師団司令部跡(現・大阪市立博物館)

大阪に駐留していた第四師団の司令部です。大阪府警本部とは 向かい合わせの位置にあり、天神橋筋で発生した騒動で、 この2つの役所間で緊張が走ったことは余りにも有名です。

難しい漢字で読めないのですが、司令部跡の前にある石碑です。
その石碑の裏にガス燈が残っていました。
明治天皇がお越しになられた記念碑だと思います。 側面には「臨時陸軍病院跡」と刻まれています。
幾多の空襲により、大阪城天守閣の石垣もずれています。 (1トンば爆弾があたったらしい)
こちらは機銃掃射の跡です。(戦争末期には、戦闘機が低空で進入し、 民間人に向け機銃掃射をしたという話を戦争経験者から聞いたことが あります。)
JR京橋駅の片町口にある慰霊碑です。終戦前夜の空襲のおり、ここ 京橋駅の城東線(現・環状線)と片町線が交わる地点に1トン爆弾が 直撃し、避難していた数百人の人々が亡くなられたそうです。


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