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何故桜の花は万人に好かれるのでしょう。人の貴賤を問わず、

歌にも詠まれ、飲み食い伴う花見まで絵になります。

他にそんな華があるでしょうか。

梅は花の下に毛氈引けば其れこそ和歌でも詠んだり 

句会のような高尚な趣味で酒食は考えられません。

他の華は基本的にそぞろ歩きで愛でるものと思います。

しかもそこに高雅な趣味が伴なわないと様になりません。

どうも桜には何でも様に成る要素があるのかもしれません。

一つはパッと華やかに咲いてさっと散る潔さが日本の国民感情に合うのでしょう。

更にもう一つ気候の変化に一番即して人に関わってくれるのが桜では無いでしょうか。

暑さ寒さも彼岸までといいますが、春の彼岸を過ぎて桜が咲く四月の初旬になると

さすがに厚手のコートは不要になり、身の動きが軽快になります。

本当に寒い冬が終わり春になります。花祭り 復活祭と洋の東西問わず

活動的な季節を迎えます。そこで花見で酒を飲むのも良しとなるのでしょう。

花の咲く前は枯れ木の桜も花が散ると葉桜となり、日の光を遮って木陰を準備します。

そう桜は日差しを感じて木陰を気にするようになるのを察知して姿を替えます。

このタイミングのいい変わり身の良さがあると思われます。

しかも秋に入ると真っ先に葉が落ちだし、日差しが欲しくなる小春日和の季節

にはほぼ葉が落ちて、暖かい空間を準備をします。

つまり春夏秋冬のはっきりしている日本の気候の動きに人が感じるものに対して

一番素直に反応してくれています。

これも恐らく桜が好かれる大きな要因の背景では無いでしょうか。

またちょっと花見のできるところは日本中いたるところにあります。

少し足を伸ばせば必ず桜の名所があり、城跡や公園には桜が付き物で

身近に感じられるところにも結果としての要因で好かれる理由でしょう。

自分にとっての桜は中年までは、新しい年度の始まる不安と期待のシンボルでした。

小中高大学までは年次が上がり、勉強する中身も変化してくるので、

この一年乗り切れるかという不安の方が大きかったようです。 

小学生の頃は病弱で 何故か秋口に入ると体を壊すので、其れが無いことを

祈るばかりでです。中高は年次が上がることは受験に近づくことであり、

大学は学部への進学 就職活動へ等何かしら精神的圧力がかかるスタートが

桜の時期でした。

社会人になり先にまだ望みを掛ける中年までは今年度は卒なく 過ごして、

今度は少しでも成績を上げたいとある程度希望を抱き 

新規な気持ちで正月あけと違った期待を持つ季節です。

中年過ぎて先の見通しがなくなると 定年に近づく不安の開始時期となり、 

退職してからは4月生まれの私は棺桶に近づく一里塚を越すといった具合です。

いずれにしろ不安と期待をはらんで始まる起点に桜の花があるような気がします。

花の下で浮かれて飲むのは今年も金回りはうまく行ってと祈る気持ちなのしょうか。

千葉県市川市真間の桜