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遠くに行けない(いつもの所)

酒を飲むとき、どうも遠くに行けません。

つまり勝手の解っていて、帰宅が円滑に行き 安心して呑めるところになります。

これは冒険心の無い臆病者の呑み方とどうしても思われます。

小さいとき良く積極性が無い消極的と言われました。

基本的に自分の性格を分析すると突込みが足りないようです。

適当なところで妥協しとことんやりません。

臆病というより面倒くさがりなのかも知れません。

もう少し突き詰めれば大きな成果が出ますが、ある程度結果で

そこで良しとしてしまいます。

趣味・学問・仕事何事についても言える気がします。

鶏頭になるとも牛後となること勿れと言われますが、

まさに牛後の人生は大学・社会人になってそのものになってしまいました。

つまり高校まで出来る学校のできる群れのしんがりで、

大学はお陰様で名門校で、そこそこの成績 一流会社に入るも出世競争に乗れず 

関連会社に移り役員にはなれずで、年満まさに牛後そのものです。

この性格が酒の上にも反映されてどうなるか。検証してみます。

料理が好きで美味しいものを食って酒を飲むのがまさに趣味です

でもテレビのグルメ番組で出てくる安くて美味しい店も、

少し遠ければ絶対に面倒で行きません。

射程距離で行ってみても人が並んでいたらもう入りません。

社会人になって長いこと北九州に住んでました。

偶に博多に出かけたら、其処で呑むのが常識です。博多は言葉も易しく、

北九州に比べ当然都会的で洗練されており、美味しい店も多いはずです。

ところが呑むのは必ず戻って戸畑か小倉の家に近い勝手のわかるところとなります。

更に一度東京に出て、逆に北九州に単身赴任時代がありました。

土曜日には時折唐津や柳川まで足を伸ばしました。

それでも夜は基本的に小倉に戻ってきます。

何回か行った先で泊まったことがありますが、準備不足で料理のでる旅館には

お一人様ではと断られ、結局駅の案内で湿気たビジネスホテルで一泊となります。

そこでまず一軒目は適当な小料理屋を見つけますが、次にどこに行けば良いかと

悩みます。小料理屋で安心な飲み屋を紹介して貰いますが、

得てしてカラオケ付きで1人静かに飲めません。

結局小倉の馴染みの店がちらついて、欲求不満のままウイスキーの小瓶を

買って宿でわびしく飲んで翌朝みすぼらしい思いで帰宅に付くわけです。

そんなのが続くと結局無理をしても小倉に帰って来ます。

博多から小倉止の新幹線は夜10時過ぎてもありますので、それで戻っても

十分小倉の夜は問題ありません。それなら博多から先に出た時は、

せめてゆっくり博多で飲んできても好いはずですがどうも其れが出来ません。

転勤で東京に出てきました。初めは久が原という南の方に住んでいました。

都心は赤坂・六本木・新橋あたりで北限は上野 西北は代々木から渋谷 

東は秋葉原の先には行かず、中央線方向は新宿さえも行きません。

今は総武の沿線市川ですが東は船橋 西は四谷 南は芝で北は相変わらず上野です。

冒険心が無いわけではありませんが、新宿は頭から近づかないと決めてます。

渋谷は昔静かであったが今は若者の町 どうも年寄りに合わないとこれも決めて

掛かってます。

東京の東隣に落ち着いた関係での呑む範囲は 南は新橋 西は四谷 

北は上野 沿線では亀戸から小岩の間は殆ど縁が無く、後は地元か船橋です。

東京は山手線の外は浅草橋から馬喰町界隈以外は土地勘の無い人間には限りなく

異邦人になる傾向が強くなります。

つまり近所の馴染みさんや勤め先が近所で其処の地縁に縁がないと

何故か浮いてしまいます。(そう思い込んでいる傾向があるのか)

都心は雑多なので其れがありません。地縁が無くても問題が無いのです。

地方に出るとその傾向は無くなりますが、2軒目は結構勇気がいります。

1人酒の場合 カウンターで板さんが適当に話しかけてくれると助かりますが、

基本的には周りの話し声を聞きながら呑むことになります。

都心ではあまり地元に密着した話題が聞けず 

勤め先の仲間同士の話でまあそんなものかと聞き流すことが出来ます。

土地勘のあるところでの近所話はイメージが湧くので馴染めないことはありません。

基本的に帰りが面倒で落ち着いて呑めないのが理由です。

しかしこれは冒険心に欠ける消極的な生き方の言い訳にしかならないと思います。

明日こそ少し遠出をして旨い飲み屋を見つけ、

積極的な生き方に自分を変えようと常日頃考えています。