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近所の買い物

家での一人酒 つまみ探しに買い物は必要です。

当然そのイメージは近所の買い物となります。

この言葉からは近くの八百屋さんや魚屋さんに出かけるのが目に浮かびます。

ところが現実はこのイメージは不可能になりつつあるような気がします。

大都市の近隣は大型マンション導入による再開発が2000年を過ぎて始まり

ました。駅前の小さな居酒屋が消えたように八百屋・魚屋が消えていくようです。 

東京から江戸川沿いの千葉側に住んで10年越えました。

メインの商店街抜けて我が家まで10分前後ですが来た頃は八百屋はあり、

魚屋は高い店ですがありました。ところが魚屋は来て3年で2軒無くなり 

八百屋も奥さんをなくして、お屋敷と料理屋への注文配達のみで一般も

買い物客からは消え 私鉄駅近くの肉屋も最近は店が閉まったままです。

JRの一駅先は典型的な商店街から住宅街に連なる町があります。

ここのJRから隣接する私鉄の駅を経由しての約1km前後の商店街ですが

八百屋はJRと私鉄の間に一軒 その後ずっと無くて商店街のはずれに

スーパー型の一軒だけ 肉屋は私鉄の先に一軒のみ

魚屋は私鉄からかなり行って1軒だが店に魚の商品は並んでいません。

少し惣菜物の天ぷらが出ているだけです。魚は恐らく住宅街の昔からの

お屋敷に注文で届けるものだけと思われます。  

 

小売の形が1970年代スーパーが台頭し始めて、単一の商品を売るXX屋の傾向から

スーパーマーケットとかコンビニエンスストアのように変化しました。

業界の専門用語で言うと業種から業態に変化したということです。

つまり 魚とか肉とか野菜といった売る品物の種類(何を売る)から 

みんなの近くで24時間営業のコンビニエンスストアのように

“何をどう売るか”に変化したということでしょう。

実際何時頃から変化始めたのでしょうか。昭和48年から昭和の終わり近くまで

北九州で暮らしていました。買い物は近所の市場でそこには

八百屋も肉屋も魚屋も数軒以上軒を連ねて競って売っていました。

当然スーパーマーケットもありましたが、地方都市では町の中心部で離れてました。

ただ一軒屋の八百屋・魚屋はすでに無かった気がします。

市場の魚屋では鯵や鯖を刺し身に捌いてくれました。

どこも活気があって賑わい、八百屋も魚屋も旬の物を進めてくれました。

そこに八百屋や魚屋の良さと近所の馴染みの良さがありました。

スーパーは余所余所しい感じであまり馴染めなかった記憶があります。

数年に一度帰って近所を歩いてみますが市場は徐々にさびしくなってきてます。 

転勤で東京に出て、時代は昭和から平成に移り、東京南西の郊外に11年弱住みました。

今度はスーパー主体になりました。しかし魚屋は高いけれどもありました。

私鉄の二つ先雪谷大塚には小さいけれど市場がありました。

その魚屋・八百屋さんは多くが年配の叔父さんと叔母さんでやっていました。

息子や嫁の姿はありません。最寄の私鉄の駅に近い魚屋が店を閉め、

暫くすると主人が亡くなりずっと店仕舞いと張り紙がでました。

どうもXX屋の親父の息子は跡を継がないようです。

つまり昔流の生活に密着した小商人の世界が子供の世代に伝わらなくなった世相も

XX屋が少なくなる大きな要因と思われる。

朝早く市場で買出しして 大手のスーパーに対抗しての営業活動は

余り割りの合う仕事でなく世襲が途絶えていくものと思われます。

これは老舗の料亭や割烹 鮨屋にとっても大きな痛手であり 

老舗の生き残りに繋がる課題とも思われます。

 

恐らく買う側にも大きな変化がおきたと思われます。

昔は冷蔵庫もなく神さんは毎日近所で必要なものを必要な分買いました。

冷蔵庫の普及で物が蓄えられるようになりました。

更に女性が社会に進出して共働きが普通になってきました。

とすると週末の休みに一週間の基本ベースを買い込むようになりました。

となると一箇所で全てが揃うスーパーで一度に買う消費側の動向にも合います。

専業主婦も余暇は趣味やボランティアのサークルで過ごし、少なくとも基礎部分は

纏め買いして蓄えることになりました。恐らく1960年代からこの傾向が始まり、

50年近くたった今定着して小売商でなく、大型店が必要不可欠な生活体系に

なってしまったとも思われます。 

こんな状況では自ずと近所の買い物は一番近くのスーパーとなる訳です。

東京近郊で主要路線の沿線であれば駅付近に、また郊外であれば

大型ショッピングセンターに行くことになります。

ここに品質とコストの見極めを消費者がしなければならない課題がでて来ました。

昔からの八百屋の良さは高めでも品質が確実なことです。

町の料理屋や鮨屋に入れている八百屋であれば、品質を保持する必要があります。

ところがスーパーでの買い物になると、品質よりむしろ値段に左右される

買い物になります。

特に複数のスーパーが有る場合値段に振り回される傾向が強くなります。

従ってどうしても品質・味が安定しない結果となります。

野菜の場合 比較的保存の利く常備野菜とものとそうでないものとありうます。

常備野菜はある程度質を確保したい物です。其れが崩れることになります。

また値段に吊られて要らない物を買うこともあります。

昔の八百屋の場合どこの店も多少専門性があるので買うものが決まっており、

余計なものに手を出すことはありません。

ただ八百屋や魚屋の親父は値段と品質のバランスを考えて仕入れますので、

状況によっては何時もあるものが無いときがあります。

かつ店により得意分野があるので、基本的にすべて揃いません。

ただいつもあるものが無いときは無い理由を教えてくれて 代替品を探してくれます。

その理由は気候の変化で好いものが無いことで納得がいきます。

野菜や魚の旬を把握し、自ずとこれが日頃の生活に反映されてました。

一方スーパーは品揃えを優先しますので、強みは一箇所で何でも揃うことです。

しかし買う方は品質と価格のバランス含め、商品の価値を見極める賢さが必要で、

旬の野菜感覚が無くなり、トマトや胡瓜のように何時もあるものは

栽培の周期 供給地の変化を把握する必要性が、買う側には出てきました。

ここに専門店が加わると少し事情が変わってきます。

最近大都市近郊の駅にはよく食品専門店街があり、ここに青果や魚や肉を専門に

扱う店があらわれました。価格設定はやや高めだが品質は確実です。

ただ必ず近所にあるスーパーと競合するのでその特売に連動して、

時折目玉商品がでてきます。そこは買う側にとって狙い目です。

ただ、専門店も売る形態はスーパーと変わらないのでやはり品質と価格について

見る目を持たないといけなくなりました。

今住んでる市川ですが、駅前に北に昔から大手のスーパーがありました。

JRの線路は大阪万博後高架になりホームの下は名店街ができ、

そこに青果や魚の専門店が入って専門店とスーパーが共存してました。

さらにここ2-3年特に最近大きな変化が起きました。

駅の南の再開発で高層大型マンションができて 其れを見込んでか3年前

駅ビル地下に地元のスーパー 更にこの大型マンションの1階に

東京南西部のスーパーが乗り込んできました。

この高層マンション以外にも駅を中心に再開発が進んでいます。

従って昔からの住人してみれば選択の範囲が広いがりすぎた感があります。

上記のように専門店の目玉商品がでますと、それに合わせて

新規のスーパーも同じ趣向の品物がでます。ただ大きさや価格に差がでます。

例えばじゃがいも一個38円で中ぐらい 片や大振りで一個58円といった具合です。

トマト・胡瓜は品質/価格比に大差は無いが大きさで店によりかなり違います。

特売のある曜日はチラシを見ての検討から始ますが、チラシの目玉を信じては

いけません。目玉商品は価格に重点が置かれるので、品質のチェックと

他店との比較が必ず必要となりました。

食品は加工食品以外の青果・肉・魚いずれも生産地は明記されています。

日本は南北に長く、多くが路地物でなくハウス栽培なので旬の幅ずれがあり、

これが品質価格に大きく影響するので、その流れを把握しておく必要があります。

昔は八百屋や魚屋がそれを近隣の市場を中心にしてくれて買うとき解説してくれました。

今は消費者が判断し生産の場は日本全国から海外も含むので、

真剣に安くて好いものをと考えると大変なことになります。

上手な買い方を一言では難しいが極力旬のもので、生産地が近隣のものを買う

ことが確実です。

情報化社会になってきた現在 このような単品 品物揃えの販売形態でなく、

旬の目玉商品を結び合わせて、献立を提供したり、消費者の個々の立場を把握して、

肌理の細かいサービスが要求される時代に来ていると思われる。

なおこの商業地区の駅周辺集中化と昔の八百屋・魚屋の衰退は、昔からの住民の

高齢者には駅まで行く買い物労働の負担が大きくなり、今後の高齢者社会にあった

流通システムの開発問題も提起しています。