赤トンボはなぜ赤いのか
この年になっても未だに鮮明に思い出す風景がある。
あれは確か7歳頃であったろうか。夏の終わりを告げるような、透き通った赤い色彩に染まる夕空に、無数の赤トンボが群れて飛んでいる光景。私は汚れたランニングシャツと半ズボン、ビーチサンダルといった格好で、手には小さい身体には不釣り合いな大きい採集網をしっかり握り、二つ年上の兄と、土手に立ち尽くしてその光景を眺めていた。
土手を散歩していた家族たちも歩を止めて、空を見上げていた。私は手を伸ばせばすぐに捕まえられる赤トンボたちの飛ぶ様をただただ眺めていた。
その時に私は知ったのだった。死ぬには勿体ないこの世界の美しさを。
「お前って本当にバカなやつだなあ」
兄はことあるごとに私にそう言った。人見知りが激しく、友達もほとんどいない。ましてや字もロクに書けなかった。小学生であってもひらがなで名前もまともに書けないほどであった。そんな私に兄はいつもそういって、頭を軽くこづいた。兄の目には明かに蔑みの色が見え、その目を見るたびに私はもどかしいほどの激情をただ泣くことでしか表現が出来なかった。泣くと兄は困ったふうもなく、知らんぷりしてさっさと私の側を離れた。泣きじゃくる私を見て、母はピリピリとした表情で頭をぴしゃりと叩き、泣くんじゃないと叱っていた。兄に対しての不満を言いたくても、その頃の私には説明をするほどの言葉を持っていなかった。泣くだけが、私の表現であり、主張であった。
そんな私を横目で睨む兄を私はとにかく嫌いであった。長男ということもあって過分な愛情を母から注がれていた兄。それでも近所に遊び相手もいなかった私には兄だけが遊び相手であった。兄に殴られようが蹴られようが、兄しかいなかったのである。兄には友人がたくさんいた。楽しく学校にも通っていた。学校が終われば兄はその友人たちと遊びに出掛けた。私も一緒に誘われて、何度か遊びに連れていってもらった記憶がある。しかし、自転車にも満足に乗れなかった私はいつしか置いてけぼりをくい、すいすいと自転車に乗って走って行く兄の背中を眺めるだけであった。
母は父がいない分仕事に出ていて、朝は早く、夜は遅かった。神経を擦り減らして家に戻ってきても、自分をロクに表現も出来ず、すぐに泣く私はその神経を逆なでする存在だったのかもしれない。母子家庭の中で私に愛情を注いでくれる人はいなかった。
母はいつも兄よりも私を叱り、押し入れに閉じ込められた。真っ暗な闇に恐怖を覚え、ひたすらに泣き叫び、謝っていたことを覚えている。
「あんたは橋の下で拾ってきた子供なのよ」
母は口癖のように私に言った。母親なら誰もが口にしていた、言い訳の聞かない、きかんぼうな子供にいうこの言葉を、私が癇癪を起こしたり、泣く度にそう言った。
そして兄もそれに同調し、私に言うのだった。
「お前はウチの家族じゃない。捨て子だ」
いつしかお仕置きで閉じ込められていた押し入れも、私にとっては誰にも邪魔されない、安らぐ場所になっていった。何かあれば私はすぐにこの闇の中に閉じこもり、何時間でもそこにじっとしていた。母や兄にいじめられることのない、そこは私にとって全てであり、楽園であった。
いつからか私の中で死ぬという意識が芽生えていた。学校にいっても、私をかまう同級生もなく、私はただ教室で机にしがみつき、じっと机に掘られた穴を見つめるだけであった。いじめられるがままで、私には遊び相手がいなかったのだ。そんな学校に行くのがいやで、仮病を使い、何日も休んだ。いい加減にしなさいと母はいつものように金切り声をあげ、私の腕に線香でお灸をすえた。私は泣きながらもその熱さに耐えた。それであの学校に行かなくて済むのなら、いくらでも耐えられる。私はそう思い、ただじっと耐えた。
私は捨て子だ。母が橋の下に捨てられていた私を気まぐれに拾ってきて育てたのだ。私は見たこともない、記憶にもない、母が泣きわめく私を拾い上げる映像をいつしか作り上げていた。友達もいない、本当の家族もいない私は、不要だ。この世界には不要なのだ。よるべない暗澹たる思いに打ちひしがれ、私は家のすぐ側にある空き地にうずくまってそう思っていた。
いっそ死んだほうがいいだろう。
私の中でそんな意識が首をもたげた。母も兄もその方が楽であろう。自分は捨て子だ。誰も悲しむものもいまい。私はそう思い、死ぬことへの憧れを抱くようになった。
死ぬという事に私はなんの恐怖も持っていなかった。ただ、あの押し入れのように真っ黒な闇に溶け込むだけなのだ。音も、色も、形もない、漆黒の闇に腕も、顔も、声も溶け、ただ静かな無が待っているだけだ。それはどんな宝物にもかえがたい、妖しく、輝かしいもの。その時、小学二年であった私にはそう思えていた。
こうした事で私の口には見えない糸が更にきつく縫われていった。そしてあらゆることにじっと耐えることが出来るようになった。じっと耐え、口をぎゅうと結ぶことで自分はそこにいることが許されているのだと、私はそう思った。
テレビも、食事も、外の景色も、私にはつまらないものであった。私に残されていたものはあの黴臭い、押し入れの闇だけだったのだ。
「なあ、僕と遊ばないかあ」
学校でそう声をかけられた時、私の心臓は止まりそうになった。同じクラスのひょろりとした痩身の男の子が私にそう声をかけてきた。私は机に座ったまま、かぶりを振った。声をかけられたことは喜びというよりも恐怖であった。何故自分に声をかけてきたのか。クラスでも目立たない、いじめられている自分に何故。恐怖の心はその子に声をかけられるたびに大きくなっていった。この子もまた私をいじめるのかもしれない。もしそうでなかったとしても、きっと先生に頼まれてしていることなのだと私は疑り、彼の誘いには絶対にのらなかった。
みじめだ。そうされているのが自分がみじめでしょうがなかった。
そして私はランドセルを背負い、泣きながら帰った。家にはカギがかかっていた。何度玄関を叩いても母や祖母は出て来なかった。家中の戸という戸、手の届く窓を叩いても、だれも出て来なかった。私はベランダにしゃがみこみ、泣き叫んだ。それでも反応はなかった。
捨て子。いらない子。私はとうとう見放された。そう思った。夕暮れが差し迫ってくると風が強くなってきて、私の泣き声をかきけすように荒れ狂った。
「お前は捨てられたんだよ」
風の唸り声はそう言っているかのように吹きすさび、体の体温を奪った。
母と祖母は買い物に出掛けていたらしく、それからすぐに窓を開け、泣いている私を家の中に入れてくれたが、泣き疲れた私には揺るぎない決心が出来ていた。
明日、死のう、と。
その日、私は母からの線香でのお灸を耐え、学校を休んだ。そして母が仕事に出掛け、祖母が昼の買い物に出掛けた頃を見計らい、家のすぐ近くの砂利道に落ちていたビール瓶のかけらをみつけ、台所に行った。だれもいない、しんと静まり返った台所の片隅で、私は拾ってきた鋭利に尖ったビール瓶の茶色いガラス片を洗い、じっとみつめた。
これで自分の腕を切れば死ぬのだ。あの憧れの闇の中で、ずっと永遠にさ迷えるのだ。切る場所は知っている。テレビのドラマで見た。痛みにも耐えられる。その為にお灸の熱さに耐えたのだ。声も上げない。その為にじっと口をつぐんでいたのだ。
私は迷いもなく、ガラス片を手に当て、すっ、と手前に引いた。
皮膚はキレイに切れた。痛みもない。ああ、これで死ぬのだ。この世界には必要のない、私は消えるのだ。母も、兄も喜ぶだろう。そう思った。
切り口からぽっぽっと血の玉が出来てきたかと思うとすーっと血の玉は一つになり、手首から流れた。その瞬間、激痛が走った。そして私はその血を見て、いいようのない恐怖を覚えた。
死にたくない。
その時初めて思った。とめどもなく流れてくる赤黒い血を見て私は死にたくないと思った。私はガラス片を窓から外に投げ、急いでちり紙で傷口を押さえた。みるみるうちにちり紙は赤く染まり、傷口の痛みはじりじりと激しさを増してきた。私は涙をこぼしながら、ごめんなさい、ごめんなさいと叫び、血が止まるのを必死に待った。
もう死ぬなんて思いません。だから血を止めて。
「おい、赤トンボがたっくさん飛んでるぞお」
息を切らして兄が部屋でマンガを読んでいる私にそう言ってきた。窓の外を見るともう夕暮れで、空は赤く染まっていた。
「どこにそんなにたくさんいるのん?」
「あっちだ。あっちの土手にたくさん飛んでるぞお」
兄は興奮した口調で手を思いきり広げて説明した。私は頷いて、物置にある採集網を手にして兄を追いかけた。
「ほら!」
土手が見えてくると兄は空を指さした。指の向こうにはまるでやぶ蚊の大群のような黒い点がひしめいていた。私は絆創膏をした左手から右手に網を持ち替え、走る兄に追いつこうと必死に走った。
土手に駆け上がったときの光景を私は今でも覚えている。
空には薄く伸ばした餅のような雲が朱色に染まってゆっくりと西に向かい、その空を無数の赤トンボが舞い、透明で微かに震わせている羽根に澄み切った鮮やかな赤い夕陽の光を反射させている様を。
肩で息を切らしながら兄と私は土手に立ち、その光景をただ眺めていた。土手を散歩していた人達も歩を止め、その光景を眺めていた。
川には水鳥が羽根を休めて流れにまかせて漂い、きらきらと夕陽を反射させ、眺める人達の顔はすべて穏やかに、笑いながらその赤トンボの舞うさまを眺めていた。
こんなにも美しい彩りがあったのか。
人にはこんなにも穏やかな微笑を浮かべることが出来たのか。
私はそう思いながら、周りを見渡した。
「ボウヤ、網じゃなくても手でも捕まえられるよ」
一人の男がそういって笑いかけてきた。側にいた女性は空を見ながら、
「ほんと、手を伸ばせばすぐに捕まえられそうね」と言って笑っていた。
しかし、私は見るだけで、捕まえる気はなかった。網をもっていても、捕まえることは考えていなかった。ただその光景がいつまでも続くことを望んでいた。
「なあ、赤トンボがどうして赤いか、知ってるかあ?」
帰り道、採集網を引きずりながら歩いている私に兄はそう切り出した。首をかしげ、かぶりを振った。兄はニヤニヤと笑いながら私に教えてくれた。
「人の血を吸って赤くなるんだぞお」
私は左手の絆創膏を見ながら、兄の言葉を反すうし、後ろを振り返った。赤トンボはまだそこにいたが、私のその傷口を狙って飛んでくるような気配を感じ、兄よりも早く走って家に戻った。
あの色彩鮮やかな風景は、私に生きる喜びを与えた。そしてその日以来私は死ぬという事に憧れを抱かなくなった。むしろ死ぬという事に恐怖を感じていった。
手を切ったあの瞬間は今でも思い出すが、粒子の荒い、モノクロ映像でしか思い出せないでいる。その日の夕方に見たあの景色の色彩にかき消されている。
赤トンボが何故赤いのか。薄く残った傷痕を見る度に私はその言葉を思い出す。
兄の答えを聞いて以来、時折私の夢の中で白いトンボが手にある傷口に群がり、赤く染まっていく様を見る。そして目が覚めると私は傷痕を見、そしてどんなことがあっても生きていこうと強く思う。
結局私は手首を切らなければ人は死なないと知ったのは中学に入ってからからだった。あの時、私は手の甲を切ったのである。
(了)
BACK