ありがとう
「せっかくの帰郷じゃないか。ゆっくり休んできたらどうだ?」
本社への会議出席の必要書類を揃えていた僕に上司はスケジュールをのぞきこんでそう言った。
「いやあ、帰郷っていったって東京のすぐとなりですからね。それほどのものでもないですよ」
事実帰郷っていうのは都心で働く人が、実家のあるのんびりとした土地に戻るものだと思っていた。僕の場合はいうなれば逆の立場である。
三年前、港ヨコハマにあるコンピュータ会社に就職した僕はソフトウェア開発を志望していた。
『どうせ仕事をするなら何かモノを作り上げる職につくのが男だ』
これからは資格の時代。技術がものをいう時代だ。といった就職誌をにぎわせる言葉を受けての志望ではなく、カタブツで何の根拠もないくせにやけに説得力のあるじいさんのその言葉だけを信じての志望だった。
会社は僕の希望をくんでくれ、配属はソフトウェア開発になったが、勤務先は福島であった。その話を聞いて母は幾分寂しそうに聞いていたがじいさんはそれを聞いて深くうなずくと、
『仕事で行くんだ。めでたいことだ。男なら勝ってこい』とまた説得力だけはある言葉で僕を見送ってくれた。
「中島クンの実家ってヨコハマ?」
上司の厚意でここしばらく溜まっていた年休を使ってのんびりしようと考え、休暇届けを書いていると、女子社員がこぞって僕の机を囲んだ。
「そおっスよ」
「ヨコハマって海が近いんでしょう?」
「いいなあ、海の見えるところに住んでて」
「いや、ヨコハマっていっても山ばかりの方ですよ」
いわき市のこの付近のほうがよっぽど海に近いのに、女子社員の皆はこぞってやれ中華街っておいしい店があるだの、港の夜景を一度見て見たいだのと話し合っていた。そして最後には必ずいいなあ、ヨコハマに行ってみたいなあと口をそろえていう。
僕はそんなにいいところだったかなと思いながら煙草をふかした。
横浜のはずれのほうにTという町がある。昔は温泉街で賑わったこの町も赤線に変わり、そしてさびれてしまった。そして小さな町工場がひしめきあう住宅地へと変貌した。
いかがわしくて、喧騒の絶えない町。
そんなTという町が僕の生まれ故郷である。
同じ横浜に住む友人をして『なるべくなら住みたくない町』といわしめたこの町の猥雑さはよその人間を簡単にうけつけない冷たい一面もある。
むしろ福島のほうがきれいで洗練された町のように感じたくらいだ。こんなのも悪かないよなと思いながら僕は自分の仕事に没頭していたのだ。
「なんだ、四日間でいいのか?」
休暇届けをみた上司は拍子の抜けた声でいうとチラリと僕を見た。僕からしてみれば四日間も休みを取るなんて一大決意だった。
「去年の夏休みも取らなかったし、この間のゴールデウィークも休まなかっただろう?仕事も取りあえずは片付いたんだからもうちょっと取ってもいいんだぞ」
「そんなに休んだら出社拒否症になってしまいますよ」
「中島クンは仕事の虫だものねえ」
女子社員が口をはさみ、小さく笑った。僕は苦笑しながらまあそれで宜しくお願いしますといって僕は席に戻った。
「オレだったら一週間はとるね」
隣の田代がそう言って話しかけてきた。卓上カレンダーとにらめっこしながら僕は田代に頷き返し、
「ちょっと失敗したかな」と聞いた。
「今からでも修正は可能だぜ」
田代のその言葉で随分と悩んだが、結局僕は休暇の変更はしなかった。
故郷なんて呼べるほどでもない町に対して僕は皆が抱くような郷愁を感じるのだろうか。僕は出張の日を書き込んだ卓上カレンダー眺めながら考えた。出張の前日、実家に電話をしたら母親は電話口で若い娘のようにはしゃいでやいのやいのと喋りまくった。僕は苦笑しながら受話器を少し話ながら適当に相槌を打った。
『孝志、仕事は大丈夫なのか?』
いつまでも変わらない母親から無理に受話器を取りあげたじいさんはいつもの口調でそう言った。
「大丈夫だよ。仕事は会議だけだし、ましてやもっと休めなんていわれる始末だったんだぜ」
懐かしいイゲンのあるじいさんの声が聞けたことが妙にうれしくて僕はじいさんにあれやこれやと話してきかせた。
『そんなに色々喋らんでもいい。戻って来た時に聞くからな』
そう言ったじいさんの声が心なしか嬉しそうに思えた僕は、仕事が終わったら一度電話するよといって電話を切った。
「なんだか賑やかな家族ね」
週末になると僕の部屋に食事を作りに来てくれる恋人の鴨井夏子は小さく笑った。
おっとりとしていて清楚な顔立ちの彼女はこういっては失礼だけれど典型的な田舎娘だ。けれどもどこか品のある雰囲気は垢抜けすぎたヨコハマの女性よりは僕の好みだ。
「いいなあ。ヨコハマ」
「なんだ夏子もそう思うクチだ」
「それはそうよ。田舎の女の子は皆憧れるモノよ」
「そんな外国じゃないんだからすぐに行ける所だよ」
煙草をふかしながらお茶をすすると僕は笑った。
「そうだけど、仕事もあるし、なかなか足が向かないわ」
夏子はそういうといいなあとまたつぶやいた。
「そんじゃあ、今度休みの時一緒に行こうか」
「本当かしら」
「オレ嘘つかないぜ」
「ダメよ。私日曜とか休みじゃないし、タカシと休み合わないもの。それに……」
「それに?」
「タカシは仕事忙しいでしょう?休みとれないでしょう」
そういわれちまうとな。僕はそうつぶやくと夏子の膝にごろんと頭をのせて寝っころがった。
「すぐにじゃなくてもいいわ。いつか行けたらでいいのよ」
「うん。でもな……」
ふふっと小さく笑うと夏子は僕の髪をそっと撫でた。
「会わせたい奴がいるんだよ。夏子に」
「いつもタカシが話す友達?」
「そう、麻島。麻島逹雄」
僕はそう言うとチラと机の上のフォトスタンドを見た。そこには夏子と僕の写真ともう一枚、僕と親友の麻島が肩を抱き合った写真があった。
麻島逹雄。
僕は彼の事を恥ずかしげもなくこう言い切れる。
無二の親友であり、僕の尊敬してやまない人だと。
唯一僕が心を開き、常に僕を励まし続けてくれた男は彼しかいない。
人は親友が一人いれば強くなれると何かの本で読んだことがある。その親友こそが僕にとってまさしく麻島だ。
就職してから連絡も取れていなかった麻島がよこしてくれた一枚の葉書が僕の心の支えでもあった。休みを四日も取った理由はただ一つ。この麻島に会うためだけだ。
「連絡したらいいのに」
「いいんだよ。突然帰って驚かしてやるんだ」
「意地の悪い」
「そうかなあ」
僕は起きるとカレンダーと麻島の写真を交互に見ながら彼に言いたい事に頭を巡らせた。今回の会議は本社技術部が開発したソフトと僕たち福島支社の開発したソフトの経過報告とどちらを市販するかの社内競合プレゼンの場でもあった。
もともとソフト開発は福島支社の専門なのだが、業務拡張の意味も含め、ソフト開発に力をいれるための意味があった。本社技術部には本社直轄の意地、僕らにはソフト開発専門としての意地があった。そんな重要な会議のプレゼンを僕みたいな入社三年目の若造にやらせる支社長の考えがわからないが、男の一世一代の大舞台には絶対に勝たなくてはいけんというじいさんの言葉を繰り返し言い聞かせ、僕はその大任を背負っての会議であった。
僕たちが開発したソフトウェアは会議で概ね好評で、結果この会議で僕たち福島支社のソフトが市販される事が決定した。
本社技術部とも今後の改良のポイントを煮詰め、開発の継続を僕たちに任される事になった時はようやく会議が終わったと深く溜め息をついた。
「これで思う存分羽を伸ばせるだろう」
得意満面の上司に言われ、僕は煙草をふかしながら笑って頷いた。
よくやった。オレはよくやったよ。僕はそう何度も胸の内でつぶやくと麻島に話す事が一つ増えた事を喜んだ。
「じゃあ、オレは一足先に戻ってるからな」
上司とお祝いの席を持った後、上司は少し赤ら顔で駅に向かっていった。時計を見ると家に帰るにはまだ随分と時間があった。僕は心地好い酔いにまかせて久し振りの横浜をぶらつくことにした。
三年振りの横浜は僕にとって違和感のかたまりであった。
人の流れ。繁華街の喧騒。目が痛くなるようなイルミネーション。なんだか随分と賑やかに、そして人もせわしくなったなと僕は思いながら地下街をそぞろ歩いた。でもふと足を止め辺りを眺めるとここの環境が変わったわけではなく、むしろ僕がスローペースになっているんじゃないかなと考えた。
僕の知っている横浜に違いないのだ。あの と同じままのはずなのに僕はなんだか居心地がわるかった。
家に帰るかなと考え歩き出した時、僕の体が通行人に当たった。その拍子に僕は少しよろけてカバンを落とした。
「あ、すいません」
ぶつかった男はそういったままさっさと歩いていってしまった。僕はカバンから出た書類をかきあつめながら、昔は人にぶつかったりしなかったのにとひとりごちた。
カバンをしめかけた時、少しはなれた所に一枚の薄汚れた葉書が見えた。
「いけね」
僕はすぐに葉書を拾って踏まれてないかを確認した。
「大切なハガキ、だもんな」
僕は背広の内ポケットにしまい、小さく溜め息をつくと駅に向かって歩いた。
「タカシじゃないか?」
ふいに名前を呼ばれ、僕は声の方へ向いた。そこには少し痩せぎすの男がこちらの様子を窺っていた。
「やっぱりタカシじゃないか。オレだよ、オレ。古村だよ」
男はすきっ歯を見せて笑った。その顔を見てようやくああ、ケンタかと言って笑った。
「なんだよ、髪の毛切ってるからわからんかった。少し痩せたか?」
「おう、少しね。それよりタカシ、福島じゃねえの?」
「仕事で戻ってきてるんだよ。おまえ、何してるの」
古村健太郎、ケンタは独特の笑い方をするとちゃあんと仕事をしてるよと言った。
「そうだ、タカシ。タッちゃん覚えてるだろう?」
「当ったり前だよ。オレらの親友じゃないか。オレ明日から休み取ってあるんだ。あいつに話があってさ」
「あれ、タカシは知らないのか」
ケンタはおかしいなとつぶやいて首をかしげた。
「なんだよ。麻島がどうかしたのか?」
「タッちゃんさ、先月死んだんだよ」
「えっ……」
突然の事に僕はそう言って絶句してしまった。一気に酔いがさめ、心臓が高鳴った。
「タッちゃんの事、誰もタカシに連絡しなかったのか。オレてっきり誰かが連絡してると思ったのに」
「本当かよ。嘘ついてねぇだろうな」
「嘘つかないよ。だってオレ葬式に出たんだからさ」
「そんな……」
急に目の前が暗くなってきて、僕は背中にじっとりと変な汗をかいていた。
「なんで亡くなったんだよ」
「交通事故だって聞いた」
「あいつ、一人暮らしだったんだろう?誰が皆に連絡したんだよ」
「さあ……。オレ連絡網で流れてきたから」
ケンタののんびりした口調にイラつき、僕はケンカ腰になっていた。
「落ち着けよタカシ」
ケンタにいわれ、僕は大きく息をはいた。
「すまない……。ちょっと、な……」
「しょうがないさ。タカシとタッちゃん、すげえ仲よかったもんな」
すぐカッとなるのは相変わらずだねというとケンタは笑った。
「なあ、もう少し詳しく聞かせろよ」
「ごめんよ。オレ、これから仕事なんだよ」
「少しくらい大丈夫だろ。どっか喫茶店でさ」
腕時計を見てケンタは悪い、明日必ず連絡するといって足早に駅に向かっていった。僕はケンタの丸めた背中を見ながら麻島が死んだという言葉を繰り返し繰り返しつぶやいていた。高校生活も惰性に流されはじめ、日々が退屈と焦燥の繰り返しだった三年の始め。新しいクラスでの生活は僕にとっては苦痛でしかなかった。大学進学を取るべきか就職をするべきかを考えあぐね、自身のやりたいことも見えなかった当時は何にたいしてもイライラしていた。
三年になって三日目には早々に僕はそのイライラを教師に向けてしまった。今を思えば随分と恥ずかしいほどの単純行動だったと反省するばかりだ。
そんな僕に機嫌取りの級友はいても遊ぶ仲間としては縁遠い奴等ばかりだった。
「なあ中島、進路決めたか?」
進路調査を提出した際、僕の後ろにいた奴が声をかけてきた。僕はのっそりと後ろを振り返る。飄々とした口調で顔付きはいかにも好青年といった顔であった。僕はそいつとはそれまで口を聞いたことはなく、うさんくさそうに顔をしかめた。
「別に、決めちゃいねえよ」
「そうだろうな。まだ四月だもんな」
僕はこういった奴がとにかく好かなかった。いかにもの容姿もさることながら、変になれなれしい態度を取る性格も嫌いであった。
「進学にするのか?」
「言ったろう、決めてないって」
「なんだ、進学か就職っていうのも決めてなかったんだ」
僕はその言葉にカチンときてそいつをにらんだ。そいつはまあ、そんなもんかなみたいな顔をして天井を見上げていた。
「ま、お互いノンビリといこうや」
僕が睨んでいるのを意に介さないふうにそいつは言うとカラカラ笑うと席をたって教室を出ていってしまった。僕はそいつの背中をみながらふんと鼻をならした。
この馴々しくてどこか拍子の抜けた、僕の嫌いな好青年こそが麻島逹雄であった。
急激に接近しはじめたのは夏休みの時であった。この夏には就職か進学かを決める時であった。僕はとりあえず受験の勉強はしておくべきだろうと考え図書館に通うことを決めた。
ふた駅先にある公立の図書館に僕は毎日足を運んだ。そして学習室で参考書に向かって悪戦苦闘していた。そしてそれに疲れると僕は廊下にある喫煙所で密かにはじめた喫煙をして休憩するのであった。しかし元々自分に甘い所のある僕は一週間すぎたところで勉強が正直馬鹿らしくなっていた。真剣に大学にいこうなんて考えてもいないのに勉強もないよな、なんて言い訳をはじめ、僕は参考書を開けずに小説やら雑誌やらを読むようになっていた。
その日もいつものように図書館に行くと形だけになった参考書を引っ張り出し、併せて読みかけの小説を借りると冷房のきいた学習室で本を読み始めた。
「あれ、中島じゃないか?」
ふいに聞きなれた声がし、僕は顔をあげた。そこには一番会いたくない顔がニコニコと笑いかけていた。
「なんだ麻島かよ」
僕は口をへの字に曲げ、不愉快そうに言った。麻島はまあそう邪険にしなさんなと小声でいうと僕の隣に座った。
「なんだよ、隣に座るなよ。他、空いてるじゃないか」
「勉強しにきてるんだ。偉いなあ」
「いけないかよ」
「いけなかないよ。中島、受験勉強してるなんて偉いなあって感心してたんだよ」
「嘘くせぇ」
僕がそういうと周りの人間がチラリとこちらを見た。麻島はペロっと舌を出すと肩をすくめた。
「へえ、ゲーテなんて読むんだ」
読んでいた小説を覗くといつもの調子でつぶやくと、麻島は感心したふうに頷いた。僕はその仕草がイヤで、本を閉じると席を立った。
「あれ、どこいくんだ?」
廊下に出ると後から麻島がついてきた。
「休憩」
「待てよ。オレも一緒にいくよ」
「来るなよ」
僕は後ろからついてくる麻島を振り返り、うんざりといった表情を露骨に浮かべて言った。
「なんだ、中島はオレが嫌いなんだ」
「ようやくわかったか」
白いモヤがかかったような喫煙所の長椅子に座ると僕は煙草をくわえた。
「中島、煙草吸うのか?」
麻島は少し眉をひそめた。
「学校に連絡するか?」
「いや、そんなことはしないさ」
麻島は僕の横に座ると天井を見上げた。
「麻島も吸うか?」
僕はちょっとした悪戯で煙草を差し出した。
「いや、いいよ」
「だろうな。麻島逹雄ともあろう好青年が煙草なんて……」
「自分のがあるから」
僕の横で麻島はさっさと煙草をくわえ、年季の入ったジッポーで火をつけた。出しかけた煙草をしまうと僕は口を尖らせ煙草をふかした。
「オレは中島と仲良くなりたいだけなんだけどなあ」
煙をふうっと大きく吐くと、麻島は天井を見ながらつぶやいた。
どうしてかその言葉を聞いた瞬間から僕は麻島の事を嫌なヤツとは思わなくなった。なんとも説明のしようのないこの瞬間、麻島の言葉がいやに胸をついた。
それから僕らは煙草を吸いながら色々な話をした。今となってはどんな話であったかなんていうのは覚えていない。ただことごとく僕とは正反対の男であった。共通点といえば二人とも煙草が好きな事と英語教師の葉山が気に入らない点ぐらいであった。
その日から僕らは毎日図書館で会い、勉強をし、煙草を吸って話し込んだ。煙草の本数が増える度に、僕らは仲良くなっていった。そう、所詮僕が彼を疎んでいたことはただの食わず嫌いみたいなものだったのだ。Tの駅に着くと僕は町並みが少し変わっていることに気がついた。駅自体はさしも変わっていないのだが、商店街はきれいに舗装され、そこに並ぶ店も多少の変化が見られた。
「こんな所にファーストフードが出来たんだな」
駅前で賑わうハンバーガー屋を見て僕はつぶやいた。そこのハンバーガーが好きだった僕は、自転車で十五分もかけて食べにいっていたくらいで、もっと近くに出来ないかなとずっと思っていた。
結局僕はそこでハンバーガーを買い、まるでお上りさんみたいにキョロキョロしながら家に向かった。家までの十分ほどの距離でも変化はあった。大きなマンション群がならび、僕が福島に行く前には建設中だった所も完成していくつもの窓に明かりが見えた。少なかった街灯も多くなり、明るい道になっていた。
三年という月日はこうも町を変化させるんだな、そう僕は感心し、麻島もケンタもそんなものなのかなと思った。
「ただいま」
玄関をあけると真っ先に出たのは母ではなく、妹の節子であった。
「タカニィ遅かったじゃない」
節子は僕が紙袋を持っているのをみつけると嬉しそうに言った。
「何これ、お土産?」
「オレより土産の方を待ってたのかよ」
僕はそう言って笑い、紙袋を節子に渡した。
「おお、帰ってきたか」
奥の部屋からじいさんが顔を出し、喜色満面に言った。節子の呼ぶ声で母親とばあちゃんも来て僕を迎えた。
「別に長くて遠い旅に行っていた訳じゃないんだ。それより早くあがりたいんだけど」
入り口をふさがれた僕は苦笑し、歓迎する家族に言った。
「おかえり」
じいさんのその言葉に僕の気持ちはゆるゆるとほぐれ、小さく息を吐いた。
「ただいま」食卓に並べられた寿司やおでん、母親の得意の餃子といった料理もほとんどなくなる には僕の福島での話も一段落した。
「タカニィは向こうで彼女できたんだ」
節子は水割りを作って僕に渡すとそう言って笑った。
妹の節子は今年大学四年生で、夏にはもう就職活動を控えていた。少し年が離れているせいか、さしもケンカらしいケンカはしたこともなく、又世間からみれば仲のいい兄妹であった。おしゃべりなのが玉にキズのこの妹は利発でそれなりにカワイイと評判なのだが一向にカレシが出来ない。兄としてはそれはそれで心配のタネであった。
水割りをもう一つ作ると節子は自分で飲みながら自分の事を機関銃のように話しはじめた。
「きょうの節子はいつにも増しておしゃべりだな」
聞くのに疲れて僕はそうつぶやいた。
「タカシがいなくなってからいっつもつまらなそうな顔してたのよ」
母は茶を飲みながらそう言った。
「違うわよぉ。私別につまらなくなかったわ」
「いつも帰ってくるとタカニィから電話なかった?って聞いてたじゃないの」
節子は口を尖らせそんな事いわなくてもいいじゃないのと言って水割りをなめた。
「なんだ、オレは愛しいお兄様だったのか。これからは可愛い妹に時々電話するかな」
その言葉に節子は信じらんないと言って寿司をつまんだ。そんな光景をみながらじいさんはカカカと高笑いした。その笑い方で僕はふいに麻島を思い出した。
「なあ母さん、麻島って覚えてる?」
「ああ、麻島君? 覚えてるも何もアナタの一番の友達じゃない」
「麻島さんがどうかしたの?」
「うん、亡くなったって」
僕の言葉に母親はえっと驚き、節子は呆気にとられた。それを今日横浜で友人のケンタから聞いた事を説明すると何か連絡はなかったかと聞いた。
母親も節子もじいさんもおまえ宛の連絡はなかったと口を揃えた。
「どうしてまた……」
「さあ、オレもよく知らないんだけど。まあ、明日ケンタから詳しいこと聞けるだろうから」
麻島の話を潮に僕らは食卓を片付け、それぞれの部屋へ戻った。翌日ケンタからの電話で僕は目を覚ました。
時々雑音の混じるケンタの声を煩わしく思いながら聞くとケンタは今T駅にいると答えた。駅で落ち合うことに決め、僕はすぐに着替えて駅へ向かった。
ケンタと合流すると僕らは昔トグロを巻いていた喫茶店に足を向けた。
行きつけの店のすぐ近くに新しい喫茶店が出来ていた。洒落た作りはおおよそTの風景には似合っていなかった。
「あっちの喫茶店、繁盛してるのか?」
斜め向かいの喫茶店を見るとケンタはあの店のお陰で客が減ったってマスターが愚痴をこぼしてたと説明した。
「フウゾクの店のすぐ隣っていうのがこの町らしいけどな」
店に入ると昔のままの風景と雰囲気があった。マスターは小さくあっというと僕らにカウンターを薦めた。
「久し振りだね」
お冷を出すとマスターは僕の顔を見て笑いかけた。僕は仕事が忙しくて戻ってこなかった三年間のことや戻ってきたいきさつをかいつまんで説明した。昼時もあってか買い物客のオバチャンたちが来ると店は少し賑やかになり、マスターとの会話も途切れた。
「昨日あれから連絡網辿ったんだ」
ケンタはコーヒーをすすると僕にメモ用紙を見せた。そこには何人かの同級生だった奴の名前が雑然と書かれていた。
「オレにかけてきたのはマツなんだけど、マツに聞いたら谷村からで」
ケンタはメモ用紙に書かれた名前を辿りながらあいつは今どうしてるだのあいつは結婚しただのと横道にそれながら喋った。
「で、肝心の奴は誰だったんだ?」
途中でうんざりした僕はケンタの話をさえぎって聞いた。
「うん、ここには書いてないけど」
煙草に火をつけるとケンタはしばらく黙り、言うか言うまいか考えあぐねていた。僕は煙草をふかして返事を待った。
「朝倉」
「は?」
「朝倉、麻衣子」
「朝倉……」
馴染みのありすぎるその名前を僕は反芻すると無性に が立ってきた。
「何であいつが知ってるんだ?ましてやなんで皆連絡してこないんだよ」
ケンタもそうだ。薄情じゃないか。僕はそうなじると冷めたコーヒーを一気に飲んだ。
「いや、通夜の時に誰かタカシに連絡したか話してたんだ。誰もしてないっていうからオレが連絡しようとしたんだけど……」
「だけど、何だよ?」
「その時朝倉が私が連絡するからって言うんで……」
「連絡なんてなかった。家族も知らなかったぞ」
舌打ちをすると朝倉麻衣子の顔を思い出した。
朝倉麻衣子は高校時代の僕の彼女だ。おとなしく、一見線の細い性格にみえるが実に一途でしっかりとした女性だった。それが可愛らしく見え、僕は多少の事なら自分が折れていた。元々大雑把な性格だった僕は彼女のその性格が度を越してガンコになることにウンザリとしてしまって別れてしまった。向こうも僕のいい加減さに呆れていたところがあったしでお互い様であった。
確かに彼女を麻島に紹介したことはあったがそれほど仲のよかった二人ではなかった。それなのに……。
「じゃあ、直接聞く事にするよ」
僕は虫の居所が悪いまま、席を立つとケンタに金を渡した。
「なあ、昼間はいないぜ。会社なんだから」
「わかってるよ」
「おい、機嫌悪いのはわかるよ。でもさ、今戻ったってスグに朝倉がつかまるわけじゃないんだし」
「じゃあどうしろってんだよ。ええ?」
「とりあえずはコーヒーをもう一杯頼もう。オレのオゴリで」
ケンタのその言葉で急に冷めていき、僕は苦笑しながら席に戻った。
「瞬間沸騰は今だ健在だな」
そうそう治るモノじゃないよな、ケンタは笑うと僕を見た。口を尖らせ、煙草をくわえると高校の時分から変わっていないこの短気な性格を恥じた。
「全くこの子は情緒不安定だから」
僕がすぐにカッとなると麻島は子供をあやすようにそう言った。そんな呑気な口調を聞くと火に油を注ぐようなもので僕の怒りはなかなかおさまらないのだが、麻島だけはなんだか本当に肩の力が抜けるように、バカバカしくなってしまうのだった。
だからといって麻島は呑気なヤサ男ではない。機転がキクし、物事をはっきりというし、情熱家でもある。ましてや人に対しては気を使い過ぎるほどの奴であった。
癪にさわるけど第一印象そのままの好青年タイプであった。だけれども僕はあの図書館の件以来、彼は憎めない存在であった。
「タッちゃんはタカシといると呑気になるんだよな」
ある時クラスの奴がそう言ったことがあった。
「なんせこいつが気性激しいからボクが呑気にならないと釣り合わないじゃない」
麻島は机の上に腰掛けると僕の肩を叩いた。
「そいつは迷惑をかけますな」
「ホント、相方には苦労しますわ」
変なイントネーションの関西弁を使って麻島は答えると高笑いをした。そして何かある度、といっても対外僕がカッとなる時、すぐに麻島は僕の肩をポンと叩き、
「全くこの子は情緒不安定なんだから」といってあの肩の力が抜けていくあの独特の笑い声をあげるのだった。
今この場所に麻島がいたならば、きっとこの言葉を、あの笑い声を響かせたことだろう。そして僕はああ、またやっちまったと笑って皆に謝るだろう。
でも、もうそれを聞く事はかなわない。
ケンタと別れた後、僕は家の目の前を流れる川の土手に座り込み、煙草をふかしてケンタの話を整理した。
麻島は夜中の十二時近く、近所のコンビニからの帰り道、細い通りの十字路を渡った時、車にはねられ死亡した。十二時以降その十字路にあった信号機も点滅信号に変わっていたし、車も夜遅くの住宅地の通りなのでスピードを出していた。
一瞬の不注意といえばそれまでだが、僕にはどうにも腑に落ちない点があった。
いくら住宅地の細い道とはいえ、街灯があって人影が見えないことはない明るい場所だった。僕は何度もそこに足を運んだことがあるからよく知っている。
それにまず間違っても周りを確認してからじゃないと渡らない慎重な麻島が一直線の道を走ってくる車に気がつかなかった事。
僕はこの二つがどうしてもひっかかって仕方がなかった。
「ま、人が死ぬなんてそんなモノなのかもしれないけどさ……」
僕はつぶやくと川を見やった。微かに赤みを帯び始めた陽光を反射させて流れる川は無数の麻島の言葉を思い出させた。
「それでも、麻島ぁ、そりゃあないぜ」
僕はそう一人ごちて煙草を消した。
「帰ってきたらもういないなんてさ」麻島の両親は幼い 離婚をした。
「オヤジは性格の不一致って言ってたけど、言い訳でさ」
夏休みももう終わりかけた午後、図書館のヤニ臭くって白いモヤで覆われた喫煙所で麻島は煙草に火をつけるとそう切り出した。
僕には父親がいなくってじいさんが父親の代わりであとは母、妹、ばあちゃんの女ばかりだという話をした時であった。
「オレの母ちゃんはアバズレでさ」
なんとも母親らしくない人で家にあまりいない人であった。
「オヤジ、知ってるだろう?」
麻島の父親には一度だけ会ったことがある。本を借りに彼の実家にいった時、白髪がまじったおじさんは愛想のいい人であったが、昼間から酒臭かった。
「今は工事現場でセメントこねてるけど、あれでも昔は大学出の新聞の記者だったんだ」
ヨレヨレの作業着を着たまま、赤い鼻をかいた仕草がどことなくひょうきんであった少し老けたおじさんが大学出の人にはとても見えなかった。
「同僚にさ、松本良治って人がいたんだ」
まだ小学三年生であった麻島はよく遊びに来たその人によく小遣い銭をもらったりして可愛がってもらっていた。麻島もピシッとスーツを着て理知的な風貌のその人に憧れていた。
「でもさ、とんでもない間違いさ。よく遊びにきてたのはオヤジと仲がいい以上に母ちゃんに気があったからなんだよ」
五年生の には母親はいなかった。その同僚であった優しいおじさんも来なくなった。
「そしてオヤジは新聞社を退社して飲んだくれになっちまった」
中学に入って父親は母親とは離婚したことを話した。
「性格の不一致だった。逹雄にはわからないかもしれないがそういう事もあるのだって言ってたけど、おれにはわかったんだ。母ちゃんと松本って奴が出来ちまって家を出たんだってこと」
「本当にオヤジさんのいう通りかもしれないぜ」
ようやく口を開いた僕はあの気の優しそうなオヤジさんが嘘をつきそうに思えなかった。
「見たんだよ、これが」
渋谷に出た時にその松本と母親が仲良く歩いていた所を偶然見てしまった麻島は昔の記憶を辿ってすべてに合点がいったそうだ。
「でも怒りも悲しみもなかったよ。ただただ哀れだった」
「オヤジさんが?」
「オヤジもそうだけど、あの二人もさ」
「哀れか……」
「でもさ、オレ結構好きなのよ」
麻島は大きく伸びをすると天井を見上げた。
「何が?」
「今のオヤジがさ」
大学出の新聞記者なんてハクがあるけど、なんだか傍観者みたいで好かない。今の生活の主体者であるセメントこねて汗するオヤジのほうが好きなのだ。麻島はそう言うとまたあのカラカラと愉快そうな笑いをした。
「なあ、なあ、高村光太郎って知ってるか?」
麻島はふと思い出したようにそう言った。僕は教科書にのってた人ぐらいしか知らなくてかぶりを振った。麻島は高村光太郎の詩で好きな詩があると言うとその詩ををそらんじた。もう止そう。
ちいさな利欲とちいさな不平と
ちいさなぐちとちいさな怒りと
そういううるさいけちなものは
ああ、きれいにもう止そう
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦々よせて
この世の地獄に住むのは止そう
こそこそと から へ
うす汚い企みをやるのは止そう
この世の抜け駆けは止そう
そういう事はともかく忘れて
みんな一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸の心で
らくらくと、のびのびと
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑うもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆこう。オヤジの本棚にあった詩集のなかにあった詩で大好きな詩なのだと麻島は言った。
この詩を聞いて僕は麻島がこの詩をそらんじるほど好きな理由をあえて聞こうとは思わなかった。そのかわりに僕は煙草を切らした麻島に煙草を差し出した。
「オレさ、オヤジのために大学行くのやめようと思うのよ」
おまえは行けるから行ったほうがいいとは僕にはいえなかった。
「でも、もったいないよな」
「おまえもそう思う?」
オレもそう思うんだと麻島は笑いながら言った。
あの後僕は何回読んだ事だろう。高村光太郎のあの詩を。
あの後何度聞かされた事か。麻島の口からあの詩を。翌日、僕は節子に叩き起こされた。横浜に買い物に行きたいから付き合ってくれという節子に僕は一人で行けよと答え、布団をかぶった。
「就職活動の服、買ってくれるっていったじゃない」
節子はおととい僕が酒を飲んで酔った勢いで言った口約束を覚えていた。
あの時に約束をしたはずだ、欲しいモノがあるから一緒にいってくれと機関銃のようにまくしたてられた。
「うるさいなあ、金渡すから買ってこいよ」
「普通お祝いなら一緒に行って買ってくれるものじゃない?」
仕方なく僕はベッドから出ると大きな欠伸をした。
「なんだ、まだ八時じゃないか。早過ぎるよ」
「準備する時間考えたら丁度いいじゃない」
「オレは男だからそんなに時間かからないよ」
「だめ、煙草なんて吸ってるヒマないわよ」
くわえた煙草を取ると節子は早く着替えてくれと言って部屋を出た。
やれやれ、これだからカレシが出来ないんだよと僕は一人ごちると服に着替えた。
「なあ、一辺妹の節子ちゃんに会わせてくれよ」
二学期に入ってすぐに、麻島は妹の節子に会いたいと僕に頼んできた。別に会わせても何の問題もないのだろうが、なんでまたそう会いたがるのか不思議でしょうがなかった。
「タカシの話し聞いてるとなんだか可愛い妹さんらしいからさ」
いぶかる僕をよそに麻島は懇願した。その時妹は中学三年であった。
「麻島にはそんな趣味あったのか」
学校が終わったあと、僕らはいつもの喫茶店に節子を呼び出した。「別にそういう訳じゃないさ。ただ妹を可愛がってるからその妹ってどんな子なのかなってね」
「対した女じゃないよ」
節子はTシャツにジーパンで来るとコーラを注文した。
「こいつが麻島。どうしても会いたいっていうから」
節子は少し顔を赤らめ、小さく挨拶をした。
「あの時はお前、おとなしかったよな」
電車の中で僕は節子が麻島と初めて会った時の話をした。
「それはそうよ。急にお前に会いたい奴がいるからいつもの喫茶店に来いっていうから言ったら麻島さんがいるし……」
麻島は節子に挨拶されると感心したように腕を組み、カワイイなあとつぶやいた。あれこれ話す麻島に節子はその一言で完全に舞い上がってしまって頷くだけであった。そんな節子を僕は不思議な気持ちで眺めていた。
「あの時タカニィったらこんなにおとなしくなるなら麻島と付き合えばっていったのよ。信じられなかったわ」
「そうかぁ? 麻島だったらいいと思ったんだけど」
他の知らない男にこんな女らしい姿を見せるより、麻島にだったらいいかなとその時僕は本気で思ったのだ。
「あれから時々麻島さんと会ったけど」
「えっ? 麻島に会ってたのか?」
「やだ、タカニィ知らなかったの?」
節子の話しでは二回ほど映画を見に行ったことがあったらしく、麻島は僕には言わず、節子は節子で知っているとばかり思っていたらしかった。
「で、どうだった?」
「別に。映画見てお茶飲んで買い物して終わり」
「それだけ?」
それ以上何かあるわけないでしょう。節子は呆れた顔でいうと周りを見た。
麻島は確かに節子を気に入ってたし、よく僕に電話をかけてきても最初に節子とよく話していた。
「二回目のデートの時、お茶飲んでたら麻島さんが話したんだけど」
節子は二回目に会った時に自分には妹がいて、節子と同じ年だと麻島が話していたと言った。
「知らないぞ妹なんて」
初めて聞く話に僕は呆気にとられた。
麻島はオヤジさんと二人暮らしで妹の話なんて聞いた事も見た事もなかった。
「私も変だなあ、タカニィもそんな事いってなかったのにって思ったの」
実は麻島の母親は妹を妊娠したのだが、流産をしてしまった。だから本当なら妹がいて、年も節子ほどだというのをその時分に麻島もオヤジさんから聞いたのだ。
「そうだったのか……」
麻島はそんなことを何もいわなかった。だから僕はてっきり麻島が節子に惚れたとばかり思っていたのだった。
「知らない事もあるよな、やっぱり」
僕は横浜で降りると節子と麻島が本当の兄妹のように歩いている光景を思い浮かべた。
「服買うのに一体何時間悩めば気がすむんだよ」
何軒も回ってまだ考えている節子を見て僕はうんざりしていた。
「だって気に入る服がないんだもの」
「就職活動用の服なんてそんなにこだわるものかな」
さっきの服でいいじゃないか。おまえもいいっていってたじゃないか。僕はデパートの休憩所の椅子に座って煙草をくわえた。
「だって高いじゃない」
「金出すのはオレだからいいじゃないか」
「安月給の優しいお兄様にそんな高いものねだるほど愚かな妹じゃありません」
ちぇっ、安月給だけ余計だよ。僕は煙草をふかし、もう一件見ていいのがなかったらアレにしようと提案した。
「とりあえず自分だけ見てこいよ。気に入ったのがあったら呼んでくれ」
疲れたからここにいると言うと節子は一人で店にいった。
「夏子ですらこんなに悩まないぜ」
夏子は買い物で悩む事は少なかった。あらかじめ買う物を決めているかのようにさっさっと買うのが常であった。
「麻島なら嫌な顔せずにいくんだろうな」
それともはっきりとこれにしろといってあの服を買うだろうかと考えた。
節子が戻ってきたのは僕が三本目の煙草に火をつけたときだった。結局いい服がみつからなかったというと僕はさっきの店にあったあの服にしようと言って、立ち上がった。
「高い買い物させちゃったね」
「人に服買ってくれってダダこねてたのにしょんぼりするなよ。気に入った服を買ったんだから嬉しい顔しろよな」
じゃないと買ってあげたオレの立場がないと言って笑った。節子は大きく頷き、嬉しいなと何回も言った。
家に帰ると母が僕に電話があったと言った。
「誰だった?」
夏子かなと思い、ソファに座ると母親は朝倉さんという女性からだと言った。
「朝倉?」
どうしてまたウチに電話をしてきたのかわからない僕は口を尖らせた。
「また後でかけるって」
母は晩飯の準備をしながら答えると節子に手伝うように言った。
食事をすませ、二階にあがってすぐに電話がなり、僕が出ると受話器の向こうで雑音に混じって聞き覚えのある声が聞こえた。
「もしもし、わたくし朝倉と申しますが……」
「あ、オレだけど」
幾分ぶっきらぼうに答えると電話の向こうで朝倉はあっと小さくつぶやいた。
「お久しぶりです」
「何か用事かい?」
「あの、麻島君の件なんだけど……」
「ああ、それならケンタから色々聞いたから」
「私から話たいことがあるから」
朝倉はそういうとT駅のすぐ近くの喫茶店にいるから来て欲しいと言った。
「別にいいよ。さっきもいったとおりケンタから聞いたから」
「どうしても話したいことがあるから」
そういうと朝倉は一方的に電話を切った。僕はカッとなって受話器を思いきり置くと絶対行かないからなと電話にいうとベッドに寝っ転がった。
だいたい麻島の話は聞いたし、墓の場所も聞いた。明日には墓参りにいこうと思っている。それで十分ではないか。これ以上に何を朝倉から聞けばいいのか。
夕食を終えてもまだ苛立つ僕は一階に降り、ウィスキーをロックで飲み始めた。
二杯飲んだ後、結局僕は朝倉に会う事にした。朝倉のことだ、きっと閉店までまっているだろう。そして明日も電話をかけてくるに違いない。それのほうが僕には面倒臭いことだ。そう僕は考え、出かける準備をした。
喫茶店に入った時に僕は随分と間抜けなことをしてしまったなと後悔した。一時間も遅れてきてしかも酒臭い僕が昔の彼女に会いにいくなんてどう考えても情けない。そう思いながらコーヒーを注文した。
「髭、剃ってないの?」
朝倉は僕を見ると小さく笑った。今日朝から剃らなかった無精髭をさすると僕は麻島の事とは一体何の話なのかを聞いた。
朝倉はちょっと困った表情をするとゆっくりと話した。
「昨日、古村君が電話してきてね、孝志が戻ってきてるって聞いたから」
「それで?」
「麻島君のお葬式の件、連絡しなかったの、ごめんなさい」
「もういいよ」
煙草に火をつけると僕は朝倉の顔を見た。少しうつむいて紅茶のカップを眺めている顔は幾分やつれているようにみえた。
「麻島君、交通事故で亡くなったの、聞いてるでしょう?」
「ああ」
「あの事故での加害者の車、あれに私が乗っていたの」
「えっ?」
その告白に僕はコーヒーを飲む手を止めてしまった。
「運転は私じゃないけど、あの車には私が乗っていたの」
朝倉の声は微かに震えていた。
「 の時彼氏に部屋まで送ってもらう途中だったの。途中で口論になってしまって。彼少しお酒も入っていてスピードを上げるから危ないなって思ったの」
「そこで事故か」
「本当にちょっとした瞬間だったの。危ないから速度を落としてって言って彼が私に目をむけた瞬間だったの」
朝倉は事故の直前を思い出しているのか肩をきゅっとすくめた。
「なんで気がつかなかったのか私もわからない。あっと思った時には人が飛び出してきて……」
「それが麻島だったんだ」
黙って頷く朝倉を見ながら僕はコーヒーをすすった。
「すぐに降りて倒れているのが麻島君だとわかったらパニックになって、どうしようって思って」
「それで警察に電話をしたのか?」
「そうしようとしたら、彼が逃げようって」
「逃げたのか?」
朝倉は強くかぶりをふって警察に電話をしたといった。
「沢山血が出て、私は声をかけたわ」
「麻島は答えたか?」
「……もうその時には」
目から大粒の涙がこぼし、朝倉はうなだれた。僕は腕を組んで天井を見上げた。
「でも、どうして麻島は飛び出してきたんだろう。あいつはそんなに不注意な男じゃないのに」
「子供」
「は?コドモ?」
「すぐ近くに小学生くらいの女の子がいたの」
「その子をかばって?」
「多分……」
その言葉を聞いた僕は大きく息をはいた。あいつらしいじゃないか。子供をかばうなんて。自分の事よりまず他人と考えているあいつはそうするしかなかったのだ。
「……あいつ、そう言う奴だよ」
僕は煙草をくわえ、火をつけないままそうつぶやいた。
「その子、近所の子供で蒸発した母親を探しに時々あの時間に出歩くらしいの」
「よく知ってるんだな」
「事故現場に花を添えに行った時にその子の父親が話してくれたの。麻島君、すごく可愛がっていたって……」
僕は麻島の妹の話を思い出しながらそのまだ見ぬ子供は多分節子に似ているのだろうなと思った。
「朝倉、やつれたな」
「……」
「終わった事はしょうがない。その事を思い悩んでやつれるのも仕方がない。でもな」
「でも?」
「それじゃあ、麻島の供養にもならない。麻島はそれよりももっと強く生きて行こうとする奴の味方だった。だからお前も麻島に申し訳ないと思うならしっかりと強く生きろ。それが償いってもんだ」
小さく頷くと朝倉はありがとうと言った。
「別にお礼をいわれることじゃない。ただ麻島ならそう言っただろうから」
その彼はどうしてる?と僕が聞くと朝倉は交通刑務所にいるとこたえた。
「ちゃんと待ってやれよな。彼氏のこと」
「うん。私、待ってるわ。何年でも」
「それでこそ朝倉麻衣子だよ」高校三年の冬。僕はとうとう自分を抑えることが出来ず、教師を殴ってしまった。
理由なんて単純だった。麻島が大学入試を失敗し、英語の葉山が麻島に言った言葉にカチンと来たのだ。
「君は失敗だらけの人生ね」
少しとはいえ麻島の身の上を知らない人間はいなかった。
その入試の直前父親が倒れた事を僕は知っていた。毎日徹夜で看病しながら勉強なんて身に入るものじゃない。ましてや大好きなオヤジさんだ。並大抵の精神力じゃない。いかに気丈な麻島だって心乱れるはずだ。落ちるのも無理はない。
なぐさめるのが普通ではないか。いうに事欠いてその言いぐさはなんだ。
僕は人を殴った事なんてなかったし、ましてや女を殴ったこともない。その時僕はその二つを実行してそう言い放った。
葉山の頬は真っ赤に腫れ、目からはボタボタと大粒の涙がこぼれていた。鼻からは血が流れていた。
僕は倒れ込んでいる葉山にケリを一発入れ、わめきちらした。
謝れ。麻島に土下座して謝れ。そして病院にいるオヤジさんに謝れ。そしておまえなんか死んでしまえ。
歯をくいしばって黙っている葉山に更に僕は逆上し、もう一発殴ろうとした。
その時に僕を抑えたのは麻島だった。
やめろ。もういいだろう。相手は女だ。
麻島はそう言って葉山と僕の間に入った。そして、もういい、もういいんだ。と何度も言った。
僕はくやしくて、ただくやしくて泣きながら教卓を殴ったり蹴飛ばしたりして葉山を罵るだけ罵った。
騒ぎを聞きつけ入ってきた他の教師も僕の暴れる姿にひるんで入ってこれなかった。
結局その後僕は体育教師の張り手一発でおとなしくなったのだが、教卓はすっかり壊れ、葉山はその場に泣き崩れた。
せっかく頑張って三流だけれども大学に受かった僕には退学処分が待っている筈だった。体育教官室に連れていかれた僕は竹刀をもった教師に囲まれる中、そんなことはどうでもいいこったと何度もつぶやいた。
「お前がそんなに熱血漢とは知らなんだ」
古参の体育教師の山田がお茶を出し、そう言った。
「いっつもハスに構えて興味ないって顔して、怒ってはみても殴りはしなかったのになぁ」
顎をさすると山田は僕を見た。
「あいつは、いっつもそうだった」
「?」
「あいつは、いつもオレらを見下した」
「あいつって葉山先生か?」
「他に誰がいるっていうんだよ」
「それで?」
「別にオレは自分のこと言われたって対した問題じゃなかった。すぐにカッとはきてもすぐに冷めちまう」
「どうしてまたこんな事になっちまった?」
「麻島のこと」
僕はそうして山田に事の顛末を話した。そしてどんな処分でも甘んじて受ける。だけれども葉山を教師として認めない。あいつも辞めさせてくれ。そして麻島に土下座して謝らせてくれと懇願した。
「おまえは、随分と友達思いなんだな」
そんな事はなかった。
僕は友達思いなんてガラじゃない。むしろ麻島のほうが友達思いなのだ。
僕は退学の処分を免れ、停学一週間で済み、大学側へも連絡しないことになった。
そして葉山もそれを機に僕のクラスには顔を出さなくなり、代わりの教師が来た。
それが麻島とケンタの懇願でそうなったのを僕は山田から聞いた。
「あいつら、泣いて頼んでたぞ。しかも校長に直談判で」
体育教官室に呼ばれた僕はそう言われた。
「いやあ、お前が元気でよかった」
停学がとけて学校に行くとすぐに麻島はそう言って笑った。
「おおかたどうしようどうしようってオロオロしてるかなって思ってたんだ」
なあとケンタに振るとケンタも笑いながら頷いた。僕は礼を言おうとしたのに麻島はそのスキを与えずに機関銃のように喋った。
結局僕はいいそびれ、そのままいつものように麻島たちとの学校生活に戻っていった。
麻島は誰に対してもそうだった。守る事が生き甲斐のような男だった。
そしてそれからほどなくして麻島のオヤジさんは亡くなり、麻島は一人になった。
通夜に顔を出したのは僕とケンタだけであった。「朝よ、ちゃんと起きなさい」
翌日の朝、母親に起こされた僕は激しい頭痛と吐き気に見舞われた。
前日朝倉と駅で別れて足を運んだ居酒屋で僕はしこたま酒を飲んだ。記憶があいまいで覚えていないが、どうやら僕は節子に迎えにきてもらったらしい。
「タカニィったら重くてしょうがなかったわよ」
節子はそういいながら起きてきた僕に言うと水を一杯ついだ。
「はいこれ」
「ああ、サンキュ」
冷たい水を一気に飲み干すと僕はソファにぐったりと横になった。
「タカニィ、大丈夫?」
あんまりに具合が悪そうにみえたのか、節子は心配顔で覗いてきた。僕はもう少しすれば良くなるから心配するなといった。
「昨日何かあったのかと思って心配しちゃったわよ。一人でブツブツいってたし」
「オレなんか言ってたか?」
「何か詩みたいのを呪文みたいにずっと」
「ああ、そうか……」
僕はのっそりと起き上がると頭を掻きながら煙草をくわえた。
僕は安酒をあおりながら高村光太郎のあの詩をくちずさんでいたのだ。
午後になってようやく体調が戻ってきた僕は服に着替え、髭を剃ると節子を呼んだ。
「お前、ちょっと車運転してくれよ」
麻島の墓参りに行くのに車を運転してくれと頼むと節子は頷いた。
「大学はいいのか?」
車に乗り込むと僕は節子に聞いた。
今週は講義に出なくても大丈夫なのだと言い、節子は運転席に座った。
「少しは運転うまくなったのか?」
「まかせてよ。タカニィより上手くなったんだから」
本当かよ。苦笑しながら僕は煙草をくわえた。
麻島の墓はTの隣町の山の上にあった。大きな寺の境内にの に墓地があり、麻島はそこにオヤジさんと入っていた。
「ひでえ運転じゃないか」
車から降りると僕は気持ち悪くなってしまって苦笑した。節子はそんなことはない、二日酔いだからそう感じるだけだと言って口を尖らせた。
墓地に入ると何人かの人がいて、それぞれの墓を丹念に洗っていた。
麻島の墓は奥の方にひっそりとあり、誰もお参りにこないのか、汚れていた。
僕と節子は丹念に墓を掃除し、雑草を抜いてやると線香を焚いた。節子は途中で買った花束を添えて手を合わせた。
「少しここにいるから、すぐそこの公園でも散歩してろよ」
僕の言葉に節子は黙って頷き、公園に足を運んだ。それをしばらく見たあと、僕は麻島の墓の横に腰をかけ、煙草をくわえた。
「お前、せっかくオレが帰ってきたのにいなくなりやがって」
買ってきた日本酒を開け、一口飲んで墓前においた。
「これはオヤジさんのだ。それとこれはおまえに」
くわえた煙草に火をつけ、僕はそれを線香の横においた。
「昔、お前言ってたな。死んでもボウズの世話になりたくないって。でもこうして墓に入ったら世話ないよ」
もう一本煙草をくわえ、火をつけると僕は福島での事、仕事で横浜に戻ってきたことを話した。
「……それで会議でオレのプログラムしたソフトがとおったんだぜ。スゴイことだろう?」
緩く吹いた風が隣の公園でさいている花の香りを運んできた。
「……お前さあ……。早いよ。死んじまうのがさ。これからだっていうのにさ。
「一杯いいたいことあったのにな」
僕は不思議と涙が出なかった。そして、ポケットに入れてきた葉書を出した。
「これ、お前がくれた最初で最後の葉書。おぼえてるか。これ、何度も読んだぜ」
僕はその葉書の文面を見た後、空を仰いだ。
「又、来るよ。何度でも足運んで、いろんな話し聞かせるよ。彼女連れて、夏にでも」
夏に来よう。僕と麻島が仲良くなったあの夏休みの時期に。
「おまえには色々な言葉で励まされた。オレがこうしているのもお前のお陰だよ。たった一言が人生を変えるっていうけど、そうだと思うよ。
「そんな陳腐な言葉が信用出来るようになったのは、麻島、お前のおかげだよ」
煙草を消すと僕はゆっくりと立ち上がり、墓を撫でた。
「オレはお前の事が好きだったんだ。一生の、ただ一人の親友かもしれない」
手を合わせ、小さく息を吐くと僕は今までいえなかった言葉をかけた。今までと、そしてこれからも変わらない気持ちをその一言にのせて。
「ありがとう」休みの最後の日。僕はじいさんと縁側で将棋をさした。子供の 何度も相手をしたが勝てないでいた。久し振りに将棋でもしようといいだしたじいさんと僕はお茶を飲みながらの対局となった。
「王手」
「あれ、本当?」
「相変わらず弱いなタカシは」
カカカと笑うとじいさんは茶をすすった。盤上を睨んでいる僕にじいさんは話しかけてきた。
「墓はどうだった」
「うん……、ちょっと汚れてたね」
「昨日言ってた彼の可愛がっていた女の子に会いにいかなくていいのか?」
「いいよ。会ったからってどうなる訳でもないしさ」
この飛車は待ってくれないかなと言うとじいさんはかぶりを振った。
「少しは落ち着いたか?」
「まだまだ忙しいと思うんだけどさ」
「バカ。仕事の話じゃない」
「何?」
「麻島君のことだよ」
「ああ、不思議と最初から落ち着いてたよ」
僕はケンタから聞いた時だけ動揺したがそれ以降はそんなに動揺しなかったなと言った。じいさんは首をかしげて外を見た。
「わしには泣いてるようにしか見えんかったがなあ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸がぎゅっとなった。
じいさんは小さく咳払いをすると、昔の戦争にいった時の話をした。
「戦友がなくっなった時、いくらお国のためとはいえ、玉砕とはいえ、わしは声を出して泣いたよ」
「……」
「男は不用意に泣いちゃいけないが、泣くのは決して恥じゃない」
その言葉で僕の目からは堰をきったように涙があふれてきた。
呼んでもかえらない麻島。僕の親友で尊敬する麻島はもういない。
その言葉が頭でこだまし、僕は泣いた。
「麻島君の分も生きてけ。そうやって人は生きてくものだ」
「うん」
「麻島君の分も勝て。人生は勝負だ。勝たなくちゃいけない」
「うん」
「麻島君はいい友達を持ったといわれるような人間になりなさい。お前が麻島君を親友と思い、尊敬するなら」
「うん」
僕はただ頷くばかりで、声を殺して泣きつづけた。帰る日、僕が断ったにも関わらずじいさんと節子は新横浜駅まで迎えに来た。
「新幹線に乗って帰るなんてビジネスマンね」
節子はそう言って僕に社内で食べてくれと弁当を渡してくれた。
じいさんは体に気をつけて、時折電話をしてこいと言って僕に小遣いをくれた。
「いいよ、子供が修学旅行にいくわけじゃないし」
「いいから貰ったほうがいいわよ」
節子はそう言うと時間は大丈夫か聞いた。時計を見ると時間まであと十分はあった。
「早めにホームにいってろ」
じいさんはそう言って気をつけろよと言って僕の肩を叩いた。節子も電話してきてよねと言った。
二人と別れホームに来ると僕は急に夏子の声が聞きたくなった。この四日間夏子に電話をしなかった。きっとむくれてるだろうなと思い、僕は公衆電話から夏子の部屋に電話した。
「あら、タカシ。今どこ?」
すぐに夏子は出て、呑気な口調でそう言った。
「今新横浜なんだ。これから帰る」
「じゃあ、夜になるかしら?」
「多分ね。あ、おみやげがあるんだ」
「でもどうしたの急に」
「うん、声が聞きたくて」
「おかしな人」
電話口でふふっと笑う夏子の声に僕は急に嬉しくなって夏には横浜に来ようと言った。
「色々話したいことがあるんだ」
「はいはい。帰ってきたら聞くわ」
「じゃあ、夜駅に迎えにきてくれよ」
僕は電車の時間を言って電話を切った。
新幹線に乗ると僕は節子のくれた弁当をほおばり、流れていく風景をながめた。
きっと麻島が可愛がった少女は節子に似ていないだろう。
そして麻島が言った流産した妹の話は嘘に違いない。
多分麻島はあのおしゃべりでそそっかしい妹の節子が好きだったのだ。
そうだ。そうに違いない。
あの時喫茶店で見せた麻島の表情はまさしくその顔じゃないか。
僕はそう思い、次に墓参りに行く時も節子を連れて行こうと考えた。
弁当を食い終わって僕は胸ポケットからあの葉書を出し、また読み返した。
「そうだよな、麻島」
僕はそうつぶやき、葉書を眺めた。
葉書には小さな字でびっしりとあの麻島の好きな高村光太郎の詩が書いてあり、横にたった一行だけ麻島の言葉が書いてあった。
永遠の親友でいよう。頑張れ、と。
そして僕は忘れない。オヤジさんの通夜の時、泣きながら何度も僕にありがとう、ありがとうと言ってくれたのを。あの言葉ほど、僕の胸に刺さった言葉はない。
僕は麻島が書いた高村光太郎の詩を何度も読み返すうちにいつしか寝てしまった。
参考文献 日本の詩歌一〇 『高村光太郎』(中公文庫刊)より「最低にして最高の道」