ソバはまだか

「うへぇ、暑い」
 上信越道の松代パーキングエリアで、車から降りて開口一番そうつぶやいた。
 夏なんてとうに終わって心地よい風が吹く秋の風情が感じられる季節と思っていたのに、 長野は晴れ渡って未だ残暑の暑さが残っていた。
 トイレで用を足し、じっとりとかいた汗を拭う。パーキングエリアで休憩をしている人達 は皆眩しそうに目を細め、長袖のシャツをたくしあげていた。僕も袖をたくしあげ、ベンチに腰掛けてカンコーヒーを飲みながら煙草に火をつけた。
 遅すぎる夏休みを会社ともめながらようやく取り、会社の長野出身の方のソバの話を聞い ただけで長野に赴いた。相変わらずの頭のシンプルさに呆れつつも僕の頭の中はソバで一杯である。
 前日開いた長野駅周辺のマップにはこれでもかのソバ屋の名前が書き込まれていて、僕は どこで何を食べようかなんて考えていた。
 確かにソバを食べるなら戸隠や少し足をのばして山形のソバロードなんて走ればもっとお いしいソバをたくさん食べれるのかもしれない。けれど僕はそんな所に出向かなくても長野 であれば何処でもソバはおいしいという会社の人の話を信じて長野駅周辺、いわゆる善光寺 の表通りに焦点を絞った。
「随分年寄りじみた旅行ねえ」
 ご近所のおばちゃんにそう言われても僕はソバが食べたかった。ただそれだけで長野に向 かった。
 松代パーキングエリアを出てしまえばすぐに長野のインターチェンジがある。僕は下道に 降りる前に宿をとってしまおうと片っ端から電話をしようと思った。お金のない僕にとって は普通のホテルは泊まれない。旅館も高い。となればビジネスホテルしかない。ガイドの中 からビジネスホテルをピックアップし、電話をかける。
 珍しく一件目でとれた。まあ観光シーズンをはずした平日なんてものは簡単に取れてしま うものなのかもしれない。長野オリンピックのお陰も手伝ってホテルも多くなったと言うし、どこでも満室はありえない。ともあれ宿がとれた僕はこれと言って見たい場所もないし、夕食を取るにも早すぎる。時計は3時30分。
 僕はここでちょっとのんびりと休憩しようと思い、側に座って老夫婦が食べているアイス がおいしそうだったので僕はアイスを買いに店に入った。

 下道に降りてから駅まではあっけないほど簡単につく。インターを降りて右にひたすら走れば長野駅には出れるのだ。僕は駅のターミナルに車を止めると取ったホテルの場所を確認した。
 駅前には大きな本屋がある。最近出来たばかりであろうその大型の本屋に後で寄ろうと考える。わざわざ長野に来てまで本屋に入ろうと思うのは僕だけか。
 その本屋の脇のすぐにホテルはあった。僕は部屋代と駐車場代を支払い、車を少し離れたパーキングに止め、部屋に入る。9階建のそのホテルは古くからそこにあるのだろう。その 部屋に入ればなるほどと思う。別段部屋には文句はない。ベッドがあってテレビがあって、風呂とトイレがあればいいのだ。ビジネスホテルに多くを求めてはいけない。
 部屋に入って僕は風呂を覗く。ドライヤーがない。困る。でも前日にばっさりと髪を切ったのだからドライヤーは必要ないか。そう考え、煙草をふかす。
 夕食、どうしたものかなと考えた。教えてもらったおいしいソバ屋は明日の昼に食いたい。 となると今晩はどうしたものか。
 せっかく長野に来たのだ。ソバ、食いたい。
 僕はホテルを出て、善光寺の表通に向かおうとする。その時思う。マップを見る限り確か に歩いてでもいけるけれどなんだかチト不安である。車で行ってもいいのだけれど、駐車場 が混んで要ればこれもまたツライ。となるとたまには電車で行くのもいいかな、と考える。 地元の人が利用する電車に乗ってゴトゴト揺られて行くのもいいかもしれん。僕はそう思い、そういえば電車が通っていたっけな。二駅ばかりだけど、それもいい。電車の速度で見る景 色もまたオツなものだ。そう考えるとなかなか名案じゃないかと、褒める人がいないので自分を褒める。
 そして駅に向かった。
 JR長野駅の階段を上がっていくとハテ? なんでこんなに利用する人が少ないのかと回 りをみて思う。地元の人は普段電車を使わずにバスを使うのか。そんな事を考えながら階段 を上がって納得する。そこは新幹線の駅なのである。恥ずかしい思いをしてそそくさと階段 を降りると「長野電鉄のりば」の看板がデカデカと光っている。
 ああ、あれだ。なんだすぐ脇だったのか。
 僕はそうつぶやきながらその看板を目指して歩く。またそこで不安になる。改札がない。 切符売り場もない。なのに看板はデカデカと案内している。左をふと見る。地下への階段。 地下街があるとは聞いてない。よく見るとそこに長野電鉄長野駅とある。
 恥ずかしいの2連発である。良く良く考えればわかることである。雪国なのだから外より も地下が便利ではないか。しかもマップにも点線で書いてあったではないか。あれは地下鉄 の意味じゃないか。我ながらいい加減な性格に呆れる。
 地下鉄の駅で地元高校生やサラリーマンに紛れて切符を買い、電車に乗る。当然景色はな い。乗らなくても良かったじゃないかと思う。僕はセコイから160円損したと思う。  二駅目の権堂駅で降りる。地上にあがると善光寺がどっちかわからない。人どおりも寂し い。ま、確かこっち側だろうと野生のカンを働かせて裏路地に入る。だれもいない。僕は内心あせりながら煙草をふかし、見えぬ大通りを目指す。
 少し歩いていけばすぐに善光寺の表通に出れる。そこはもう門前町で、通りをはさんで店 がひたすら緩い坂の上の善光寺の門まで続く。平日の夕方、人はそんなに歩いていない。 おかしいな、なんでこんなに人がいないのか。あの善光寺の表通りである。多少の観光客がいても良さそうなのに、いない。変だなと思い、また何か恥ずかしい間違いをしてるのじゃないかと考え、あたりをお上りさん状態でキョロキョロする。すれ違う女子高生らしき女の子に怪訝な顔をされる。
 ま、時間もあるし、まあ、のんびり歩いていこう。そして門前にある地元の人に教えてもらったソバ屋をみつけたら抹茶ソフトでも食いながら他のそば屋を探そう。僕はそう考え門前を目指して緩い坂を上り始めた。
 善光寺の表通りには案外と時計屋が多い。後日知ったけど長野は日本でも有名な時計生産の地と聞いたけど、そんなことてんで知らない僕は「へえ、これもオリンピックがあったからかなあ」なんと意味不明な事を思い、ガラス越しに良い時計はないかと物色した(決して中には入らなかった。衝動買いしちゃいそうで)。また古美術、骨董の類いの店も多い。これまた店を覗く程度。ほしくなってはいけない。お金、ないんだから。
 交差点を挟み、門前がある。そこからはそば屋、ミソ屋、喫茶店。はては旅館もある。で、 何故か本屋もある。本屋に入りたい欲求を抑えてソバ屋を探す。門前なのだから多少は人も 多くなるかと思ったけれど、いない。おかしいなあ。なんでこんなにもいないのか。地元の人によれば観光シーズンでなくてもソバ屋は並ぶ可能性があると聞いていたけど、そんな行列はない。
 テレテレと歩きながら喫茶店を見つける。入ろうと思った時、他に客がいないのがわかった。僕は小心者なのでやめる。それよりソバを食えよ。
 僕はソバ屋を手当たりしだいに覗く。客はいない。で、店のオバちゃんたちが茶をすすって談笑している。よく見る。玄関に立て札。
「本日はソバがなくなったので終了しました」
「本日はもう終了しました」
 そんな看板やら立て札がずらりと並ぶ。
 アセる。
 このままだとソバにありつけない。困った。長野まで来てそばを食わないとは。
 僕は駅前のマクドナルドの看板を思い出す。長野でマックか・・・・・・。そこで我に返る。アホである。マック食べたら近所のオバチャンに嗤われる。これはまずい。ここでソバを食べなければ一生オバチャンたちに「あすこの息子さん、長野まで行ってマクドナルド食べ たんですって」などと言われたら母親は卒倒し、僕の妻(まだいないけど)も子供も(当然 いない)一生肩身の狭い生活を送るだろう。人生最大のピンチ。なんちゃって。
 腹が減るとなんともいい加減なことばかり考える。僕は教えて貰ったソバ屋に向かった。そこならやってるかもしれない。そんな意味不明な確信を持ち、店に行く。
 あった。
 これは家ではマネ出来ないタレ。ましてやそばがきは絶品である。会社の人のアツイ語りを思い出す。
 店前に立ち、中をチラと覗く。
 ここにも客はいない。
 店のオバチャンと目が会う。ニッコリとほほ笑むオバチャン。良かった、これはやっている。僕はそう思う。閉店のカンバンもない。それで僕は一歩足を踏み入れる。オバチャンもにっこりしながら僕に近づいてくる。
「すいません、本日はもう閉店なんですよぉ」
「え・・・・・・?」
「ウチは夕方4時までなんです」
 腕時計を見る。5時10分。挨拶もそこそこに僕は通りに出る。夕闇は迫り、善光寺表通りに街灯がポツポツと灯っている。ひたすらまっすぐに伸びる通りを眺めながらタバコをくわえる。帰りはここをひたすら歩いて駅まで行くかな。
 で、それからどうしよう。僕は思う。一体どれくらいで駅につけるのかわからない。その間にソバ屋があるとはガイドマップにもない。駅周辺にもソバ屋は見なかった。
 ジッポーで火をつけると、ショートホープはじじっと音を立てて紫煙をふわりとあげた。 なんだかただのアホだな。僕はそう思い、しかたなしに来た道を戻り始める。相変わらず人通りは少ない。
 まだ見ぬ本場信州そばを思い描きながら僕は緩い坂を歩き始めた。
 ソバは、まだ遠い。

(後編に続く)



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