抱かれた愛情


ここ数年、ふとした瞬間に父の事を思うようになった。仕事をしている最中、小説を書いている時、寝る間際などなんの脈絡もない時にふっと頭をよぎる。そしてその度にいいようのない安心感に包まれて私の心は穏やかになり、闘志がふつふつと湧いてくるのだ。

 物心がつき、記憶の始まりをたどって見ても父の姿はない。父は私が生まれてすぐに死んだ。一番古い記憶の中にはまだ勤めに行っていた母と家にいた祖母とまだ白というよりも灰色の髪をもった祖父がいる。小さい頃の私の父親は祖父であった。だからジイちゃん子といわれるくらいに祖父にべったりであった。父は写真の中で笑いかけているだけで私にも兄にも話しかけてはくれなかった。
 小学生の頃にはそのことでよくいじめられた。オマエの父ちゃんはどこにいるんだ? 子供は残酷なことを平気で言う。そして子供は純粋なるが故に深く傷つくものだ。兄は泣きながら喧嘩をした。私は悔しいという思いがある反面、なぜそれがいけないことなのかと不思議に思っていた。むしろ家の中に父親というものがいること自体が不思議な感覚であった。親しい友人のところに遊びに行くとその子の父親がいる。その光景は私にとっては違和感のある光景だったのだ。
 父の事を多少なりとも聞くようになったのは中学に入ってからだ。母からつぶさに聞いて私の中で父親は形成されていった。
 父はひどく貧しい家庭環境に育ち、苦労をして大学に行った。卒業後は不動産会社に就職し、若いながらも課長になって部下の信頼も地域での信頼も厚かった。真面目が服を着て歩いているような人で、奥さんになる人はきっと清楚な古風な人だろうとみんな思っていたらしい。母とは見合いで知り合った。母は古風な人ではない。少し前の言い方をすればイケイケな人である。ましてや負けん気が強くて父とはしょっちゅう喧嘩をしていたそうだ。部下の人も母との結婚を不思議がったそうである。兄も生まれ、私も生まれ、男とすればいよいよ人生が充実していく時、父はあっけなくこの世を去った。
 父に世話になった人たちは父の死後離れていき、結婚に反対していた親戚も自然離れていった。それでも父の弟、伯父さんは母や私たちを気にかけてくれ、時折遊びにきてくれたりしてくれたし、近所の知り合いも会うたびにお菓子をくれたり、遊びにもきてくれた。
「大変に立派な人だったんだよ」
 父の事を聞くと必ずそう答えがかえってきた。頭が良くて信頼も厚かった。
 私はそれを聞くたびに溜息をついた。頭は並以下でいじめられっこの私には不釣り合いな父親であった。それで母も兄もできの悪い私を見るたびに「アンタは橋の下からひろってきた子」と言うのだった。いなくてもいいや。私はいつしかそう思うようになった。

 五年ほど前、父方の祖母が亡くなった。伯父さんのところにいたから祖母に対してあまり印象はない。それでも時折遊びに来てくれニコニコと笑っていたのを覚えている。祖母の葬式のさい、親戚が一同に会した。その中で私たち家族三人は浮いているよう思えた。伯父さんも心配してくれ母と兄を親戚に紹介してくれたりしていた。次男である私はそれほど親戚を覚える必要もなく、離れて煙草をふかすだけであった。そこに実に笑顔の似合うおじさんが声をかけてくれた。おじさんは長野の本家の親戚で父の事をよく知っていると教えてくれ、大きくなったねえと目を細めて私をみつめた。そして父がいかに優しい人であったかを話してくれた。
 その昔親戚が集う時があった。そのおじさんが帰ろうとしたけどよく道がわからない。八王子の道をよく知らなかったのだ。そんなおじさんに父は声をかけた。一緒に車に乗って教えてあげます。父はそう言って助手席に座り、そのおじさんの家、愛知まで行った。そして車を降りて父はそれじゃあ帰りますと言う。もう電車もないのにである。おじさんは泊まっていったらどうかと誘っても父は頑に断り、帰るといった。どうやって帰ったかおじさんの話を私はもう失念してしまって思い出せない。
おじさんは話しおわると泣きながら本当にいい人だったのだと言った。
父とは一体どんな人だったのか。母の話とそのおじさんの話を聞けばすぐにわかりそうなものなのだが、私は知りもしない父の言動、行動を夢想した。

父に世話になったという人と話す機会が三年前にあった。大層世話になったんだと私の名前を聞いてそう答えて笑った。父の死後一度も来なかったその人は意外な事を教えてくれたのである。
「あなたのお父さんはね、あれは夜中だったかな、むずがる赤ちゃんをあやす為に起きてその赤ちゃんを胸に抱いたんだ。お母さんはミルクを作るために台所に行った。赤ちゃんをあやしながら眠るように亡くなったんだよ」
 その時私の背中に衝撃が走った。その赤ちゃんとは紛れもなく私であったのだ。
母はその事を一度も話してはくれなかった。そしてその話を聞いて私は一緒にいた友人に悟られまいと歯を食いしばっていた。
 私が生まれてすぐに父は死んだ。父の愛情も知らぬままに育ったと二十年以上も思い続けて生きていた。なんという親不孝。恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。
 家に戻って母に聞くと母も同じことを言った。最後に抱いたのは兄ではなくこの私であったのだと。

 記憶にはまったくなく、声も匂いも、思いも知らない。そんな父親であるのに私は抱かれた時のことを思い出す。思い出しはしないのだけれど、私は父の眠るような安らかな顔が見える。それはまるで仏のような表情なのだ。私は父を尊敬せざるを得ない。ただただ愛している。
 父がいなかったからもしかしたらそう思っているのかも知れない。もしいたとしたら私はもっともっとだらしなく、スネが大好物な子供であっただろう。
 やりたいことは沢山あったはずだ。見たいものも沢山あったはずだ。話したいこともあったろう。その無念を私は思わずにはいられない。38という若さで亡くなった父の悲憤を私は受け継ごう。そう思う。みっともなくてだらしなくてスケベエで、ほとほとあきれるばかりの私だが、心が疲れ、生命力がなくなりかける時、決まって父の姿がよぎるのである。その度に私はウンウン唸って現実に立ち向かっていくのである。
 父を越える男になれるか否か。それはこれからのお楽しみである。


(了)



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