心のカタチ

 心の時代と叫ばれて久しいけれど、その反面僕らは人に対して心を閉ざしがちではないだろうか。隣人は誰が住んでいるのか。もし知っていたとしてもどんな性格でなにが趣味といった事はほとんど知らない。
 なるほど心の時代だけあ;って他者には実にやさしい人が増えているし、相手の意見も尊重するようになった。でも、相手の心まではわかっていないように思う。
 やさしくするという事はどんなことなのか。
 相手を尊重するというのはどういう事か。
 あまりわからないで行っている人が多いのではないか。まあ、僕もその一人なんだろうけれど。
 ある意味僕らは他人を尊重するという言葉を袈裟に相手にあ;まり関わらないようにしているだけなのかもしれない。そんな人ばかりじゃないとはいえ、多いということもまた事実じゃないか。
 相手の心をわからなければその人との付き合いもわからない。心と心をぶつけなければ痛みと喜びを共有できない。
 そんなふうに思っている僕がここ最近始めたインターネットは実に興味深い場所であった。半ば衝動買いのようにノートパソコンを買い、インターネットにアクセスした僕にはそこに歴然と人の息遣いを感じた。
 機械という無気質なあの中で人は心を剥き出しにしていた。
 どんなに言葉で着飾ったとしても、言葉はその人の人格を形成する。
 映像や音であってもその人の哲学が剥き出しとなる。
 顔がわからなくてもその人がどんな人であるか僕には大体わかる。多分インターネットに参加している人達もまたそう思っているに違いない。
 僕がインターネットの魅力というのはその人の心に触れることが出来るからだと思う。その人の心のカタチまで見えてくる。
 ほんとうなら現実社会の中でそれは行われて当然の事が、この無機質なあの中でも行われている。ただ違うのは心との距離だけである。
 文芸サイトに参加する僕はここで出会った人達の名前も年齢も仕事も顔も知らない。ほんの少しだけしか一緒にいなかった人もいる。
 けれど僕は心に触れている。ここで知り合った人達の心に少しかもしれないけれど触れている。
 そしてその触れた人達の心は全て暖かくそしてキレイである。

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