輝く瞬間

こう見えても僕は舞台というものに何度か立たせて頂いている。
と偉そうにいっても町内会だのちょっとしたサークルでのイベントだから新聞にも乗らないし観客だって世界の人を相手にしているわけじゃない。
一応物書きをしている身分であるから脚本などの依頼はしょっちゅうある。それも明後日までだの今日の夜までだの緊急のもの、多くても一週間。寸劇の台本を書く。一日が二四時間しかないのにどうせいっちゅうんじゃ! と心では思っても、それより更に深い部分では「やりたいなあ」なんて矛盾にも思い、「できない」と口を動かすと不思議と「やりましょう」と声になる。で結局睡眠2時間だのの世界が展開される。もうやらねえと思いつつも喜んでくれるおばちゃんやおじちゃんがいる限りは「だめ」とはいえない。どうやって興味をひきつけるとか、こうしたら老若男女すべての人に受けるだのを考えて書くのは小説を書く上で大変に参考になる。その魅力に抗えず、口を「やりましょう」と動かすのである。
閑話休題。
そんな裏方専門の僕が舞台に立ったのである。近所の中学の体育館じゃない。ちゃんとしたコンサートホールである。
小学校では演劇クラブに所属し、そのかわいらしい姿を舞台にさらしたことをきっかけに演劇に傾倒した僕だ。高校では生徒会に所属して舞台に上がって仕切ったこともある。そういう類いなら一応ある。これでも自分は性格俳優であると思うほどである。
さてそれは冗談にしてもそれくらいの度胸と経験はあるのだけれど、それは度合いが違う。三千人は収容できるほどのホールである。ましてや出演するのは地元でプロのダンサーや歌手、将来プロになろうと努力している人がメインでやるイベントである。その中で踊りも歌もど素人の僕が出るというのは相当無理がある。
「地域のイベントですから地元の素人さんの演目をいれたい」
かれこれ八年も前、イベント役員をしていた知人からお話しをいただいた。出演総勢五〇〇人。全員が歌も踊りもど素人である。半年の練習期間。
この話を聞いて即座に僕は断るという事を決めた。こればかりはいけない。相手は近所のおばちゃんやおじちゃんではないのである。そう思い、僕はその知人宅へ赴き、こう言ったのだ。
「ぜひやらせて頂きます」
全くもってアホである。帰り際自分の小心ぶりを罵りながらその日は寝れなかった。
演目はジャズダンス。五〇〇人の青年による唯一の演目であった。ま、素人だから多少のヘマは仕方なかろう。そう誰もが思った。
が、これが地獄であった。インストラクターの先生はプロに教えるようにビシビシと僕らをしごくのである。これが参った。なんせ素人な男たち五〇〇人である。教えてくれるインストラクターの振りを何一つ満足にできないのである。ジャズダンスの先生でその世界ではそれなりに有名な先生という妙齢の女性インストラクターの怒声がやむことはなく、僕らはびくびくしながら練習をした。
その先生が練習も折り返し地点に来た時に言った。
「なんでそんなにカッコつけるのよ!」
僕らはこれを聞いて黙る。踊りや歌というものはそういうものじゃないか。そういう意識があったから意味がわからなかった。
「踊りや歌っていうのはカッコだけじゃ輝かないのよ。芸術にならないのよ。今の自分をもっとさらけだしなさいよ。ありのままの自分をさらけだせもしないから輝かないのよ。いいじゃない。下手なのを隠さなくても。いろんな大変な状況の中ここに来てるんだからそれをそのまま出せばいいのよ。そっちのほうが断然かっこいいのよ。自分を曝け出せもしない人は輝かないし人を感動させることも出来ないのよ」
僕はここではっとする。今まで僕らは素人だからしょうがないという思いを捨て切れずにいた。そして少しでもカッコよくしようという見栄えだけを気にしていた。インストラクターの先生の言葉に誰もが恥ずかしい思いをした。
俺たちゃ何やってたんだ。
「やったるぞー!」
誰かが叫んだ。それに合わせて僕らは拳を挙げて歓声をあげた。
「俺達は素人だ!」
「それがどうした!」
「最高の輝きを見せてやるぞ!」
「プロなんて目じゃねえ!」
「それは無理」
その時に僕らは一丸となったような気がする。お互いがお互いを励ましあい、振りが覚えられなかったら居残りをしたし、夜中の公園でひっそり練習した。人が多い真昼の公園でもやった。子供に笑われたし若い女の子にも笑われた。
「うっせえ、うっせえ。恥ずかしくて何もできないより恥かいてもやったほうがいいんだ!」
僕らはインストラクターの先生の言葉を信じて一生懸命にやった。
イベント当日、僕らはここまで来た道のりを思い、これが今の僕の姿だと胸をはって演技をした。
土木工事の兄ちゃんもいた。サラリーマンもいた。少しぜい肉のついたオッチャンもいた。最後まで振りつけの左右を間違えたものもいた。プロなんて誰もいやしない。けれど誰よりも観客を感動させたのは僕らの努力して、自分を曝け出した輝きだったのだ。

あれからもう八年。僕は舞台に立つということはほとんどない。一緒に苦労をわかち合った人のそのほとんどとは離れ離れになってしまってあれ以来逢っていない人もいる。
そんな中で小説を本格的に書きはじめて僕はこの時のインストラクターの言葉の重要性を噛み締めている。とかく僕らは内面を見せようとしない。こんな社会であるから他人を信用できないということもあるだろうし、そうしたところで何も変わりはしないというあきらめもあるのかも知れない。自分のみっともない姿や悩みを見せるのは恥ずかしいことじゃないと思いつつも僕らはそれをためらい、どこかで恥ずかしいと思い、隠している。
小説に限らないけれど、自分をどれだけ曝け出せたかでその人の輝きは違う。実生活でも、絵でも、音楽でも、踊りでも、仕事でもそうであろう。自分の内臓をさらけだして更にそこに何が加わるとき、それは輝きだす。自分を出していったからこそ、名作は残ってきたのだろうし、その輝きを失わない。僕はそう思う。それを出来ないものは消えるのみだ。
出来そうで出来ない、その行為。それが出来た人を僕は心から尊敬する。
小説を書く度に僕は自問する。格好つけてないか。自分を曝け出しているか。作品は輝いているか。あれから僕は耳朶に残るインストラクターの声を思い出し、小説を書いては破り、もがいては書くことを繰り返している。
そうそうこれはつけたさなくてはいけない。二年前、そのインストラクターの先生に会う機会があった。先生は益々輝き、はつらつとしていた。そして軽やかで何かを感じさせる饒舌なステップを踏んで踊ってみせてくれた。五〇〇人のうちの一人でしかなかった僕の方を見ると先生はつかつかと近寄ってきて懐かしそうに微笑んだ。
「六年ぶりねえ。立派になったわね」
その時の僕はどうみても立派とはいえない風体であったけれど、先生はそう言って握手をしてくれた。この人こそ芸術家であろう。そう僕は思うのだ。


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