どこまでも行こう!


 

 僕は団体行動がニガテなのであんまり旅行というのはいかない。気の知れた友人は何人もいるけれど、本当に気の合う、いわゆる「意気に感じ」るほどの友人となるとそうそういない。僕以上に神経を使う人間もまあそんなにいやしない。
 そうなると結果的に旅行はムリになる。
 ケド僕は一人で旅をするのは好きである。ま、ご近所をクルマでぶらつくのも一人だし。
 一人でどこかに行くというのは自分には合っている。
 そう僕はハタから見ればサビチイ人間なのかも知れない。

 そんな僕が初めて一人で旅に出たのは案外と遅い。今から五年前、仕事やらにかまけて旅行に行っていなかった自分に気づいた時、僕は会社をやめてアルバイトをしていた。夏休みなんてそれまでなかったけれど、その会社は一週間の盆休みをくれた。その時ひたすら寝て過ごすかなと考えながらクルマの雑誌を開いた。
 これがマチガイだった。
 その号にはグランドツーリングの特集。ハテ、グランドツーリングってなんだ? と僕は読み始めた。
 グランドツーリングというのはいわゆるクルマでの旅。遠くの彼の地を求めてひたすらクルマを走らせる。
 そしてまんまと引っ掛かった。
 コレだ。
 オレの求めていた旅とはこれだ!
 僕はそう思いいても立ってもいられなくなった。そして帰りに本屋でロードマップを買い、目的地を捜した。
 僕はシンプルな人間だったのですぐに目的地は決まった。
 場所は新潟。
 理由はカンタン。
 日本海をそれまで見たことがなかった。日本海と太平洋の海の色は違うのか。それを確かめたいだけ。それだけ。
 日本海は他の場所でも見れるけれど、新潟だったのは高速の終点が新潟だったのと僕の好きな上杉謙信の土地だから。ホント単純。
 そうなるともうそれだけで胸が一杯。そんなにクルマで遠出したこともないし、僕のクルマはどっちかというと長距離に向かない小さいクルマ。他に色んな問題もあった。
「旅は日常の延長である」という言葉だけで僕はまあなんとかなるさという気持ちになっていた。
 こんなにワクワクするの久しぶりだな。そんな思いの中、出発の前日に本屋に行く(これもマチガイだった)と五木寛之の本、「青年は荒野を目指す」を見てもう完全に盛り上がってしまった(その本は衝動買いしてしまった)。
 着替えを三日分、文庫本三冊、ロードマップ一冊。
 たったそれだけをカバンに入れ、ホテルも取らず、土地の前情報もなく僕はいつものように起き、まるで仕事に行くように出掛けた。

 で、結果どうだったかというとそれはまあ失敗の方が多かったけれどすごく気持ちがゆったりとした。これはいいなぁ。こういう事なら毎年一人でどっかに行こう。そう決めた。
 ただひたすらクルマを走らす。しがらみは後に流され、枯れた生命力が溢れてくる。そして人間に対してささくれだった気持ちがやわらかくなっていく。
 その一人旅、グランドツーリングの効能は僕が必要としていたモノだった。ヒトにやさしくなり、そしてガンバるかなという希望を与えてくれたのだ。

 人は旅に出るべきだ。
 特に東京近郊に住む人間関係にキュウキュウとして仕事に忙殺され、人にやさしくない人は行くべきだ。
 夏になると僕はふと心は枯れちゃいないか。ヒトにやさしくないかを考える。そしてそう思った時、僕は遥か遠い、僕を知らない町や人、僕の知らない道を思う。
 そしてそう思ったら僕はクルマのキーを握る。

 あれから毎年一人で旅に行くけれど、今の会社は忙しいから中々ヒマがみつけられない。今この原稿を書いていても僕はすぐにでもクルマのキーを取りたいと思っている。
 僕みたいなアホな理由でなくてもいい。ちょっと知り合いに会いに行くでもいい。そこが日本であるならば(別に海外でもいいだろうけど)ちょっと足を伸ばすだけだ。それだけであれば人はどこまでも行ける。
 そう旅は日常の延長だ。
 どこまでも行こう。ひたすらにどこまでも。
 そうすればヒトはホンの少しやさしくなれる。
 今年はどこに行こうかな。
 ああ、そうだ。あそこに行こう。あそこの知らない町の人に会いに行こう。


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