PYRRHIC VICTORY





「ピュロスの勝利」 ソロリプレイ

《2003.12.21 UP》

コマンドマガジン43号付録。「I AM SPARTACUS (スパルタクス)」のバリアント (ルールはコマンドマガジン44号に掲載) として紹介された、「PYRRHIC VICTORY (ピュロスの勝利)」の簡易リプレイです。

南進政策を続けるローマ人と、南イタリアに大港湾都市を開いたスパルタ人の末裔であるタレントゥム人の依頼を受けた、ピュロス軍との戦いを描いたゲームです。(タレントゥム人は長い間海上交易により発展を遂げた金満都市国家で、紛争の際にはもっぱら傭兵を雇って敵に対するという、平和ボケ国家でもあったようです)
※ピュロスはエペイロスの王にして、戦術に長けた優秀な指揮官。大国マケドニアの王位継承争いに破れるも、強力な軍隊を有し、後にカルタゴの名将ハンニバルをして、「アレクサンドロス大王に次ぐ戦術の天才」と讃えられる。

ゲームはローマとピュロスの2陣営に分かれて戦いますが、しかし、実際の図式はそう単純ではありません。
北アフリカでは巨大海運国家カルタゴが互いの戦況を見つめながら、どちらに付くべきか注視していますし、カルタゴの脅威に怯えるシチリアは、幾つかの町を見返りに、ピュロス軍の助けを求めています。また、北方ではガリア人が入植地を求めて不穏な動きを見せており、ローマ人にとっても予断は許せません。

新鋭ローマ軍のレギオンと、アレクサンドロスの血を引くピュロス軍のファランクスという、異なった戦術を持つ部隊同士のぶつかり合いや、ローマ人が初めて戦象を目にする戦いとしても興味深いところ。(戦象の脅威に対抗するために考案された、牛戦車部隊も登場します)


■コラム1  ファランクスとレギオン

ファランクスとは、盾と鎧。そして長槍により重武装した歩兵による密集方陣のことで、紀元前8世紀頃のギリシャに端を発するとされる。
戦い方としては、前方に長く突き出した無数の槍でミドルレンジから敵を攻撃し、(射程は長槍の長さによる。最大で6mほど)接近戦となった場合には、盾や鎧による力押しで敵陣形を崩して勝利を得るというもの。
この一見して強引で力任せな戦術に、(とはいえ、その拾得には並々ならぬ訓練と規律が求められる)テーベのエパミノンダス、マケドニアのフィリッポス2世といった名将が変化を加え、アレクサンドロス大王という史上稀に見る天才が、現代にも繋がる多兵種の混合戦術を編み出すに至る。

近代戦術の基礎を築いたアレクサンドロス大王だったが、没後には様々な理由からその戦術も徐々に実現性を失い、やがて中世という、長い長い退行の時代に全てが途絶えることになる。(完全な復活には、約2千年後のフリードリヒ大王やナポレオンの登場を待たねばならない)
※当ゲームの一方の将であるピュロスもファランクスを取り入れていたが、それがどの程度アレクサンドロス大王のレベルに近いものだったのかは不明。

一方、新進気鋭のローマ軍が取っていた陣形はレギオンと呼ばれていた。
それは重装歩兵による密集隊形という意味では同じだったが、主兵装は長槍ではなく、投げ槍(ピールム)と短剣(プーキオ)で、槍を放った後は、必然的に接近戦を挑むことになった。
ローマ歩兵は何よりもまず剣士であることが求められ、理想とされたのだ。
※ローマ軍の象徴とも言えるグラディウス(スペイン製の鋼鉄剣)が行き渡るのは、もう少し後の時代になる。

また、戦列は3列横隊となり、1列目(ハスターティ)が突破されれば2列目(プリンキペス)が応対し、これは予備部隊の役割を果たした。また、3列目(トリアリィ)にはいわゆるベテランが配され、陣形が崩されるような最悪の自体にも対処できた。(トリアリィの存在は、ゲーム内でもルール化されている)
レギオンはカエサルの時代(紀元前1世紀)に最も進化したが、このゲームの時代にはまだ未完成のものだった。

ローマ軍の強さはその戦術以上に、軍組織や政治体系そのものであったり、戦争の認識を根本から変えた殺戮色の強さにあるとされるが、これについては長くなるので割愛する。
簡単に記すなら、負け続けても負けを認めないことが、彼らの強さだった。(そしてそれを可能にしているのが、ローマ特有の組織力ということになる)



■コラム2  ファランクス対レギオンのゲームによる実例
 (※このコラムは、ロプノールのメダカに掲載されたものの再録です)

 レギオン対ファランクス
図では、ローマ軍とピュロス軍が、それぞれ横一列で対峙している。
ローマ軍の戦力はそれぞれ5。ピュロス軍の方は6。すなわち、ローマ軍はサイの目5以下で敵にダメージを与え、ピュロス軍は6以下の出目で (つまり100%) 敵にダメージを与えることができる。
しかし、凄まじい防御力を誇るファランクスは、3以下の出目を無視する特別ルールがある。つまり図の場合、ローマ軍部隊はそれぞれ4か5の目を出さない限り、ピュロス軍にダメージを与えることはできないのだ。

一見勝ち目はないように見えるローマ軍だが、こと部隊の耐久力においては大きく異なる。
ローマ軍レギオンは最高で5ステップ持つのに対し (つまり、5回損害を受けないと全滅しない。戦力は損害ごとに5、4、3…と失われていく)、ピュロス軍のファランクスは (ステップロスによる戦力低下はほとんどないものの) 2ステップしか持たないのだ。
また、もしも下図のように戦列の一角を崩し、突破することができれば、ファランクスの側面を取ることができる。しかも側面からの攻撃に対し、ファランクスはサイの目による優遇は受けられなくなってしまう。

もしも1箇所でも戦列が崩されれば、ダムに空いた穴の如く、一気に崩壊する危険を秘めている陣形。それが強力な防御力を誇るファランクスの持つ、もう一つの一面ということになる。

ただし、戦列が突破されるかも知れないと感じたピュロス軍側には、奥の手がある。何物をも蹂躙する巨獣。戦象部隊の投入だ。(指揮官ピュロスがいる時のみ、戦象を戦列穴埋め用の予備部隊とすることができる)
システムの詳細は避けるが、その巨体はまかり間違えば自軍に向く可能性のある両刃の剣でもあることは記しておく。もっとも、初めてこの巨獣を見たローマ人たちは、まずパニックを起こし、反撃をすることもなく退散するだろうが……



【プレイ序盤の推移】
開戦劈頭のBC280年。ローマ、ピュロス両軍は、共に互いを牽制し合いながら、戦力の増強に努める。戦端が開かれぬまま迎えた翌年。ピュロスはシチリアの依頼を受けて遠征を決意した。
コウモリぶりを発揮する信頼のおけないカルタゴを黙らせ(前年、カルタゴはピョロス軍と同盟を結んでいたが、翌年にあっさり破棄してきた)、海上行動を優位にするという名目もある。
一方ローマ軍は、指揮官の不在を好機と見て南進(強行軍)。タレントゥムに逃げ込む前のピュロス軍本隊(ピュロス及び戦象部隊不在)を補足。会戦となるも、大した損害を与えることもなく取り逃がし、結局タレントゥムにおいて長い長い攻囲戦が始まる。
もちろんピュロスの方も、シチリアにはカルタゴの要塞都市が3つもあり、それら全てを陥落させてシチリアからカルタゴ軍を追い出すには、(攻城塔を使ってさえ)それなりの時間を要するだろう。

だが、ターニングポイントは開戦3年目に突如起こった。それは北より……


 BC276年春(開戦から4年目)の状況

【図説】 ピュロスは本隊をタレントゥム(ブーツの踵付近)に残してシチリアを遠征中。いよいよ残りひとつとなったパノルモスの要塞攻略に、手間取っているところ。
一方、ローマ、カルタゴ連合軍(ピュロスのシチリア遠征により、カルタゴはローマ軍と同盟)は、ピュロス不在のタレントゥムを包囲して既に数年。この間、城壁破壊すらろくにないまま、ほとんど敵に損害を与えていない。そのため、せっかくのカタパルト(カルタゴ軍が保有)も宝の持ち腐れという寒い状況。(攻囲や海上封鎖による損耗は与えているものの、精鋭のファランクスや重装騎兵への影響は今のところなし。優先的に糧食を回されているのだろう)
そうこうしている間に、北方からガリア人が侵入。彼らはアドリア海沿岸の肥沃な平坦地へ次々と入植した。
ローマ軍の苦悩は続く。


【この後の展開】
BC276年春。ピュロスはシチリア最後の要塞パノルモスを陥落させ、このことを脅威に思ったカルタゴはローマとの同盟から手をひき、中立を宣言。地中海世界への影響力拡大の夢をひとまず棚上げした。
シチリア遠征を終え、ピュロスがタレントゥムに戻ったことで、ローマ軍の状況は一気に厳しいものとなる。
なぜなら、前方にはピュロス軍。後方には入植してきたガリア人がいたからだ。

ローマ軍は背後のガリア人を駆逐するも、消耗したところにピュロス軍が追い打ちをかける。
ここにおいて、ピュロス軍は遂に温存してきた戦象部隊を投入。初めて目にする巨獣に怖れたローマ人兵士たちの多くはパニックを起こし、戦列から離脱してしまった。これによりローマ軍は一気に潰走。大損害を被った。

明けてBC275年。イタリア西部をガリア人の手から解放したローマ軍の生産力は回復。久しぶりに大規模な戦力の補充を受ける。しかし、シチリアを手にしたピュロス軍の補充もそれに迫るものであり、戦力差は変わらない。

ルカニア地方(ブーツの甲からスネ付近)で冬越えをしたピュロス軍は、一気に北上。ローマを目指し、カンパニアで再び決戦となる。戦象が再び大地を揺らした。
しかし、今回はローマ人もこの巨獣を見慣れたのか、前回ほどの効果はない…いや、そればかりか洗練された合理性を持つ彼らは、それに対抗するものを既に用意していた。

牛戦車だ。

牛戦車はそれなりの役割を果たし、戦象部隊をパニックに陥らせたものの――しかし、それ以外には思いのほか何事もなかった。
何より、決戦以前から戦力差はあまりあり、分厚く敷かれたピュロスのファランクス部隊を崩すこともできず、再びローマ軍は潰走してしまう。
果たして、正規のレギオンを削ってまで牛戦車を作る必要があったのか……

残りの部隊はローマ市内にこもる。

そしてBC275年秋(最終ターン)。
ピュロス軍はローマの城壁をたった1回のチャンスで破壊した。(数年をかけてほとんどタレントゥムに損害を出せなかったローマ軍とは大違いだ)そこへ次々と歩兵がなだれ込む。
ローマが誇るレギオンは、ファランクス1個部隊を壊滅させる頑強さを見せたものの、それが精一杯だった。

こうしてローマは、ピュロスの手により陥落した。



■戦後雑感

歴史が大きく変わってしまいました。これでは全然 「ピュロスの勝利」 ではないですね。
※タイトルにもなっている 「ピュロスの勝利」 とは、「割に合わない勝利」 という意味の慣用句。

雑誌では、史実通り序盤にピュロス軍と激突しておき、戦象部隊を引っ張り出しておくと良いと書いてあったものの、(序盤のうちに戦象に慣らしてしまえば、中盤以降の重要な局面でローマ軍が戦象にパニクる可能性が低くなるという、先を見据えた戦い方だ)数回のテストプレイではこれがなかなかうまくいかなかった。
というのも、ピュロス軍が序盤で強引にローマを目指すという攻め手で、ローマが早期に陥落してしまうパターンが続いたためだ。(確率は低いはずなんだけど…)

また、史実パターンでのテストにおいても、ローマ側は戦象を引きずり出すこともままならず潰走――ということがあったことも影響した。

それが単なる出目の悪さ(ピュロス側からすれば良さ)であったとしても、さすがにこうも続くと、本番で同じ轍を踏むわけにもいかない。

――というわけで、今回のローマ軍は戦力温存の策に出た。(カルタゴがピュロス軍側についたことも少なからず影響したかも知れない)

実際にどういった手が最善なのかは、僕程度の浅いプレイでは解らないものの、とりあえず今回の敗因は、タレントゥム攻囲戦の度重なる失敗や、加えてガリア人が南進してきたことによる精神的プレッシャーからのミスと考えられる。

つまり、北方からのガリア人の侵入により、ローマ軍の生産力が大きく落ち込んだことが翌年に響いたということ。
ガリア人掃討は早期にやっておくべきだったのだろうが、あまりの攻囲戦の失敗続きに意地になり、背後に目が行かなくなってしまった。
やがてシチリア遠征を終えたピュロスも帰ってきて……気が付けば戦力の増強もろくにできぬまま、ローマ軍は崩壊した。

まったく自分は、戦争経済というものを解っていない。






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