本当に諦めないでよかったぁ〜 それがゴールした時の本音だった。
何度諦めそうになった事か。いや諦めた瞬間が何度あった事か。それぐらい辛いレースだった。もし、ある瞬間に、自分の目の前に、妻が運転する車があったら・・・ もし、ある瞬間に、収容車が目の前に止まったていたら・・・ そんな綱渡り状態のレースだった。

自分をゴールまで導いたものは何だったのか? 一緒にレースに参加した仲間の力もあったろうし、応援してくれた仲間、沿道の人達、レースを支えてくれるボランティアの力もあった。それから、自分の心の奥に僅かながら、残されていた意地もあったかなぁと思う。でも最終的には、サロマンブルーという大きな目標が支えになったんじゃぁないかと・・・ サロマンブルーへ向けてあと3回。大苦戦で、タイムは去年よりも2時間近く遅かったけど、貴重な、貴重なカウントアップを果たせたという結果には、とても満足している。


‘08サロマまでの道のり
 2008年は不調のどん底からのスタートだった。2007年の年末ホノルルマラソンへ向けての練習中に患った坐骨神経痛が癒えず、脚の状態を伺いながらのスタート。1月はスロージョグをちょぼちょぼ走るのが、やっとの状態で走行距離は190km。長い距離を走れず、1時間以内のジョグに終始した。2月に入り痛みが消え始め、徐々に距離を伸ばすものの、220kmが目一杯。それでも20km走を3本こなせた事に明るい兆しが??? 3月は湘南国際マラソン(30km)にエントリー。大会までに何とか25km走をこなして出場。結果は2時間20分36秒。後半のタイムが落ち込み、走力の低下を痛感。4月は横浜駅伝エリートチームでの出場が決まっていたので、スピード強化に取り組んだものの、結果は3km区間で10分58秒。自己ベストではあるものの目標タイム10分30秒には遠く及ばず・・・ 4月末の時点で出場したレース数は2.満足な結果は1つも残せず・・・

そんな状態で5月からウルトラモードに突入するものの、ロング走が不足していてチャレンジ皇居も30kmで終了。その後も30kmを越える走りこみは、一度もおこなえず、高尾山―陣馬山トレイルにて、ほぼ打上げ。前年に比べると練習不足は明らかだったが、ぜーんぜん走れていない訳では無いので、何とかなるかな?くらいの根拠の無い自信は持っていた。
プラス材料として挙げていたのは体重。今年は65kgをキープし続けることを目標に1月からレコーディングダイエットを実践。1月時点で70kgあった体重を月間1kgづつ落とし、6月の時点で65kgに到達。完璧なウエイトコントロールに満足だったが、これにより15%あった体脂肪は7%台に激減。ひょっとするとこれが体調不良の要因のひとつになったのかも? さらに体調不良の要因を探るなら大会10日前に引いた風邪だろうか? 風邪⇒副鼻腔に炎症という、いつものパターンを恐れて、いつもはいかない耳鼻科へ通院。お陰で風邪の症状は早く収まったものの、処方された薬の影響かどうかは分からないが、大会3日前くらいから便秘気味に・・・ これが結局、今回の悪夢の始まりだったような???

今年も愉快な仲間達と・・・
今年のサロマ湖100kmウルトラマラソンツアーに集まった仲間達は、100kmの部出場が10名。50kmの部出場が3名。応援2名。総勢15名での参加となった。過去最多で、年々膨らんでいくような?気がする。これだけ人数が多いと宿の確保も容易にはいかないので、1年前に確保済み。航空券も手分けして2月の段階でキープ。参加にこぎ着けるまでには1年がかりの準備が必要となる??? でも人数が多いとレース中の絡みが増えてくるし、レース後の打上も賑やかになって盛り上がるので、とても楽しい。一緒に走れる仲間が居るというのは、とても喜ばしい事だ。当然ながら目標は全員完走! これに向かって、北の大地を駆け巡る事になった。

レース前夜
レース前日の夕食はとっかりの湯に併設されている“たべよー屋”でさくっと食事。食券を買ってオーダーする食堂タイプのお店で、焼き魚定食を注文。他のみんなは、オホーツクホワイトカレーとか、しょうが焼き定食とか、あんかけ焼きそばとか・・・様々。焼き魚定食は大ぶりなホッケの開きで、脂が乗っており、何気ない定食だけど美味かった。出来る事なら、ここで一杯飲みたい所だが、翌日の事を考え自粛。牛乳で我慢した。食事を早々に切り上げ、ホテルへ戻るとさっさとレースの支度に入る。ゼッケン、チップの取り付けに始まり、預ける荷物の分別など・・・
これが意外と時間が掛かる。風呂に入って、ひと通り支度が済み、時計をみると9時30分。翌日の起床は2時の予定なんで、今から寝ても4時間30分しか寝れない。
やっぱりウルトラってハードだなぁ〜と実感。さらに個人的な不安をひとつ抱えていた為に、どうも布団に入る気が起きず・・・ウロウロ。 そしてこのとき抱えていた不安がレースで炸裂する。結局寝たのは10時過ぎだったかな? (ジャイアンツがホークスを延長で逆転した頃だったように記憶している。)

スタート前
起床は予定通り2時。朝食のアンパン、バナナ、お握り、味噌汁を食べ、半袖Tシャツ&Skins、ウエストポーチ、アームウォーマーで出走する事に決定。寒くなったときのために一応、長袖Tシャツを55kmレストステーションに預けた。また雨対策で100円ショップで買ったレインコートも準備。着ないで済めば良いのだけど・・・

ホテルは3時15分に出発。スタート地点までは30分〜40分。いつも陣取る体育館には4時ちょっと前に到着した。外は霧雨。気温は8度くらい? ちょっと寒い。いや結構寒い。とりあえずレインコートを羽織って走ることを決意した。スタートまでにするべき事は、スペシャルエイドと、荷物の預け、トイレ。まずはスペシャルエイドへ・・・ 今回のスペシャルは、ペットボトルの中にスニッカーズ、ソイジョイ、羊羹、塩の4点をパッキングしたものを3セット準備し、それらを30km、60km、80kmのエイドにひとつづつ預けた。さらに見分けやすいよう銀色のモールをぐるぐる巻いて置いた。これで万全!?

続いてトイレ。これは仮設ではなく公衆トイレを利用。小ならばこっちのほうが断然早い。
待ち時間無しで完了。あとはスタートラインへ着く直前に、レストステーション行きとゴール行きの荷物を預ければ完了だ。7回目の出場となると、だいぶ慣れてくる。余った時間は写真撮影したり、戦略?を語り合ったり、これから始まる辛く長く楽しい?1日を思い描きながら、その瞬間がくるのを待った。

1年で最も長い1日の始まり
レストステーションとゴールへの荷物を預け終えると、スタートまでの残り時間は10分を切っていた。会場では太平サブローさんのスピーチが流されていた。去年、初完走したサブローさんの『何度も辞めたくなるけどゴールへたどり着いた時、諦めないでよかったと思える。みんなで完走しましょう!』という言葉に思わずウルッと。

さらに、今回初参加のDぐちさんより、『何かスタート前の掛け声やってくださいよー!』とリクエストされたので、みんなで手を合わせ、エイエイオー!! なんかテンションが上がってきた。

そして5時ちょうど、ファンファーレが鳴り止むと、ピストルの乾いた音が響き、1年で最も長い1日が始まった。(始まってしまった) ランナーの列がゆっくりと動き出し、行ってきまーすの声と共にスタートラインをゆっくりと超えていく。毎度の事だが、このスタートラインを超えて良いものかどうか、躊躇する瞬間がある。向こう側へ行ってしまえば、戻る事は出来ない。あとは100km先にあるゴールへ向かって、どんな困難な状況に陥ろうとも進み続けなければ意味がない。その覚悟を持つ事ができたのか、自分に問いかける瞬間があるのだ。でも、毎度の事ながら、その答えを得る事ができずに何となくスタートラインを超えてしまう。そして、その答え(覚悟)を引き出すまでの間に、窮地に陥る事が度々ある。“まっ何とかなるさぁ〜”という気軽な気持ちが、“何とかしなきゃ〜”に、いつ切り変わるか? これがゴールに近ければ近いほど、楽なレース。切り換わらずに、“どうにもならん”と思ってしまったらリタイヤ!という事になるのではないか?できる事なら避けたいが、過去6度の完走でも何度か“どうにもならんのでは?”と思った事がある。100kmという距離は、自分にとっては、途轍もなく長く、色々と心を揺さぶる危うい距離であるようだ。

第一波、襲来!
 スタートから4kmまでは、会場周辺をぐるっと1周回る周回コースで、これから始まる長いレースのオープニングパレードのようなものだ。道幅一杯にランナーが広がり、思うようなペースでは走れない。いや走らない。基本的には前のランナーについて行き、行進するような感じになる。1km6分を超えるかどうかの緩やかなペースで始まる。今年は気温が低く、Tシャツの上から薄手のレインコートを羽織って走ったが、汗をかくほどの状態にはならなかった。霧雨が時折舞っていたが、気になるほどの量ではなかった。

いつものようなペースで会場へ戻ってくると、スタートを見送った応援者たちと再会する。ランナーのパレードは、にこやかに家族・知人に手を振り、いってらっしゃーいの声援を受けて、誇らしげに走り去る。このあと再会するのは数十キロ先か?、それともゴール地点か? この先に待ち構えるドラマの行く末に希望と不安を抱えながら、本格的なレースが幕を開けた。

異変を感じたのは5km地点を少し過ぎた辺りだったと思う。スタートラインから5kmまでのラップは31分14秒。全く問題のないペースだった。これといった不調も起きていなかった。天気の良い日なら、朝日を眩しげに感じながら走る、真っ直ぐな農道だが、この日は厚い雲に覆われ、太陽を拝むことは難しそうだった。気温は相変わらず低かったが、走っていれば寒さを感じるほどではなかった。5kmから10kmでラップがあがる事を想定しつつ、ピッチを刻んでいたら、お腹の下のほうに張りを感じた。ガス? 出せばスッキリ? 最初はこの程度の考えだったが、時間が経つにつれ、それだけでは済まなそうな雰囲気になってきた。前夜、不安に感じていた事が早くも的中した。

大会2日ほど前から、便秘気味で、それを解消できずに、結局スッキリとしない状態のままスタートラインに立っていた。出ないなら出ないで、ゴールまでじっとしていてくれれば問題ないのだが、早くも暴れだしてしまったようだ。まだ注意報程度の状態で、警報までには、至っていなかったが、トイレを探しながら走る、という気持ちの晴れない、ブルーな状態でのランニングが続いた。

そんな状態で10kmを通過。5kmからのラップは28分33秒。想定どおりペースは上がった。できる事ならこのままのペースで突き進みたかったが、お腹の状態はそれを許さなかった。10km過ぎ、いよいよ我慢の限界を迎え、駐車場に隣接されたトイレへ駆け込むことに・・・

トイレへたどり着くと待ち人数が5名。使用できるスペースは1個。かなりのロスタイムが推測されたが、ここで処理しておかないと・・・ という事で仕方なく待つ事に。列の後ろにはサロマンブルーの夜久さんも居たし、元々、記録に対しての欲はなかったので、完走できればOKの思いで順番を待った。トイレの外では、ランナーの行列が続々とコースを走り去っていった。

結局、ここでのロスタイムは18分。コースへ復帰すると、ランナーの行列は途絶え、ポツン、ポツンとランナーが現れる程度で、トイレ前に走っていたときとは全く別のレースのような雰囲気になっていた。“殆どビリ?”そんな状況に焦りを感じたが、そういった状況よりも、もっと深刻だったのは体調のほうだった。トイレの個室に入り、腰を下ろすもののスッキリ感は殆ど得られず(鹿の○?)、お腹の張りは引き継いだまま。この状態で残り90km近くも走るのかと思ったら、滅茶苦茶、憂鬱になってきた。

巻き返し図るも・・・
 それでも多少は軽くなった?ので、トイレ前よりは楽になった。まずは“ほぼビリ”という、この状態を脱しない事には、完走は見えてこない。100kmマラソンで、意識してペースアップを図るというのは無謀であるが、この位置では安心できない。という事で、お腹の違和感、何処吹く風・・・でペースを上げた。暫く走っていくと、前方に今回の参加メンバーであるミーゴさんを発見。彼女は前年に、初出場で完走の経験を持っている実力派女性ランナーなので、恐らく今年も完走!? しかも、だいぶ周りのランナーの数も増えてきたということで、ここまでくれば、ひと安心。と思い、ペースを落ちつかせるよう意識した。

竜宮台の太鼓の音を聞き、折り返してきたが、自分の後ろに知り合いのランナーは見当たらず・・・ お腹の具合は相変わらず重たかった。出てきそうな? 出てこなさそうな?(汚いっ)そんな不安を抱えながら走っているので、気持ちが晴れない。こんな気分を抱えたまま、ゴールまでたどり着けるのか? そこまで俺は精神力が強いのか? このあと回復してくれるのだろうか? いやしてくれなきゃ困る? 色々、自問自答を繰り返していて、応援してくれている方へ答える余裕もなければ、景色を楽しむ余裕も全くなかった。

気がつけと、間もなく20kmというところに差し掛かっていた。若干、“小”の方を催してきたのでトイレへ。小エリアは空いていてロスタイムは2分ほどでコース復帰。しかし、この間にミーゴさんに先に行かれ、またしても追い抜く事に・・・ 『こんなところに居て大丈夫ですか? どうしちゃったんですか?』と言われ、咄嗟には、洒落の利いた言葉が思い浮かばず、『トイレのロスが大きくってネ』という全く面白みのない返答に・・・ 『ガンバろうね!』のひと言ぐらい言えなかったものか・・・ (反省)

10kmから20kmのラップは、1時間12分25秒。2度にわたるトイレロス20分が大きく響いていた。(ロスが無ければ52分かぁ いい感じだったのになぁ〜)

天気も晴れず、心も晴れず・・・
 20kmから25kmは、29分38秒。不調の波(お腹の)が徐々に高さを増してきた。(第二波襲来か?)
25kmから30kmは、30分33秒。トイレには行っていないが、お腹の張りが辛くてペースが上がらない。精神的にも負けている。25km過ぎでは応援参加している妻のK枝と会い、タイムの悪さを心配された。アクシデントを察知していたのか、『大丈夫?』と声を掛けられたが、身内には甘えが出てしまい『大丈夫!』と気丈には答えられず、本音をポロリ・・・『ハラ、イタイ、イケル、トコロ、マデ、イク』

30km地点に預けていたスペシャルフード4点セットは手にしたものの、口に運ぶ気にはなれず、スニッカーズはエイドのボランティアに託し、羊羹とソイジョイ、塩をウエストポーチに仕舞い込んで走り去った。普段はあまり食べられない高カロリーのスニッカーズを思い切り食べるのが楽しみだったのにぃ・・・

35km付近からオホーツク国道に合流。緩やかなアップダウンを繰り返し、北海道らしい、のどかな牧草地帯を走ったりするのだが、景色には殆ど興味を持てず、下をうつむいて自問自答・・・ “大丈夫か?”、“まだあと60km以上、これまでの2倍あるゾ”、“なんかおかしくないか?”、“ただの腹痛じゃないんじゃないか?” そんな事を考えていたら、益々、お腹の調子が悪くなってきた。こうなると興味が湧くのはトイレポイントのみ。

いかに空いているトイレを探すか! これにフォーカスを当て目を凝らして走った。ラップなんてどうでも良い。この状態で1分、2分縮めたところで、トイレに行けば5分、10分が簡単に消え去るんだから・・・ 完走こそが唯一の目標だが、今はそんな先の事は考えられない。トイレに駆け込み、スッキリして、この体調不良の状態から奇跡的に脱出できる事を願うのみ。しかし目にする仮設トイレは、3人、4人と待ち行列があり、スンナリ入れそうなトイレは見つからない。2年前、下痢でトイレに駆け込んだときは空いていたのにぃ・・・ あの時は前半がとても良いペースで、位置取りが前だったから、空いていたのか・・・? “強い(速い)者ほど恵まれて、弱い(遅い)者は恵まれない。”人生の縮図を感じた。

芭露の町に入ると、仮設ではなく既存施設(芭露ファミリースポーツセンター?)のトイレを示す看板が現れた。仮設のトイレは個室が少ないが、既存施設なら?という思いつきで駆け込んでみた。施設の奥まったところにトイレはあった。トイレのドアを開けると、個室待ちの人数は3名。個室の数は1つ。期待はずれに終わった。でも、お腹の張り具合はピークを迎えていたので、順番を待つ事に・・・ 

待っている間、ランナー同士の交流が生まれる。可笑しかったのは、“つぶやきオヤジ” トイレに入った瞬間から誰と話しているわけでもなく、独り言を呟いていた。これが長―い、『もう駄目だ。練習不足だぁ〜 なんてたって10kmしか走ってねぇえんだもん。もう足に来ちゃって、動かねぇ〜 初めてスパッツってのを履いたけんど、何も効かねぇ〜かすみがうらは、4時間で走ったんだけどなぁ〜。 今日は駄目だぁ。 40kmまで行ったら辞めるわ。 もう駄目だ〜』この繰り返し・・・ 返す言葉も生まれない。こんな事を聞いていたら、こっちも駄目な気がしてきた。

結局トイレ待ちに要した時間は10分。結局、スッキリとするまでには至らず、鹿の○で終わり。またしても貴重な時間を浪費してしまった。“まずい! これは非常にまずい展開だぁ!!” お腹の調子は全く良くならず、トイレに入れば貴重な時間を10分単位で浪費してしまう。こんな事を繰り返していたら、関門制限に引っかかる。そんな絶体絶命な状況に追い打ちをかけるように、吐き気まで催してきた。“ひょっとして盲腸?”、“もしや腸閉塞?”悪い方へ悪い方へと思考が働いた。つぶやきオヤジの呪文にかかったのか、ゴールを目指そうと言う気力さえ萎えてきた。もしも、このタイミングでK枝が現れていたら、弱気の虫が噴出して、リタイヤを決意していたんじゃないかと思う。でも、幸か不幸か、そこにK枝の姿は無かった。

とりあえずコース復帰。深呼吸してレースに戻った。全く先の見えない状態で、今、自分が何をしているのか?、何を求めているのか? よく分からない状態で、ただ足を前に繰り出していた。暫くぼんやりとした状態で走り続けていたら、40kmの関門が現れた。この5kmに要したラップは41分。もう駄目だと思った。辞めようか・・・ 真剣に考えた。

最後の1歩を踏み出せるまで・・・
 どんな人生にも必ず転機が訪れる。レースでも同じ?辞めちゃおっか? そんな気持ちに支配されかけた時、K枝の運転するエルグランドが脇を走り去っていった。全く止まる気配を見せずに。。。 

もし止まっていたら、間違いなく車に駆け込み、言い訳の言葉を1ダースぐらい吐き出して、シートに横になっていたと思う。駄目だった原因を探り、うまく消化しきれなければ何かに当たっていたかもしれないし、恨み辛みの毒を吐きまくっていたかもしれない。しかし、その車は止まらずに走り去っていった。あー行っちゃったぁ〜と思った瞬間、目に飛び込んできたのは、車の後ろに貼ってあった、祈サムズ・アップ全員完走!と書かれたプレートだった。

ふと我に返った。2月に航空券の手配を済ませ、2008年度版サムズアップ、チームサロマを立ち上げてから、常に口にしてきたのは全員完走! 2002年にサロマに初挑戦して以来、未だに果たせていない目標だった。今年は、実力あるメンバーが揃っている。必ず全員完走できる! そう思っていた。でも、ここで自分が諦めたら、それを自ら絶ってしまう事になる。言いだしっぺなのに・・・ それはあまりにも情けない。それに言いだしっぺが、リタイヤしたら、やさしい仲間達は、私の事を気遣うだろう。言葉を選んで、やさしい慰めの言葉を投げかけてくれるに違いない。でもそれは辛すぎる。馬鹿やろーと叱咤してくれれば、まだ救われるが、やさしい言葉だけは・・・ このあとの打上も、宿泊も・・・真っ暗だぁ。

気持ちを切り替えた。今回の完走は、サロマンブルーを目指すうえで、ただの1回じゃない。貴重な貴重な1回となるはずだ。今年の完走に付加価値をつけた。これを乗り越えれば、次に同じような苦難に見舞われても、きっと乗り越えることが出来る。逆にここで諦めたら、また同じような苦難に接した時に、同じように諦めてしまうだろう。ゴールなんて、まだイメージしなくて良い。次の関門、いや次の1歩を、繰り出す事ができるうちは、前へ進み続けよう。腹が痛かろうと、苦しかろうと、1歩だったら足を踏み出す事はできる筈だ。最後の一歩を踏み出す力が絶えるまで、前へ進み続けよう。そう自分に誓った。

我慢、我慢
そこから先は、ただひたすら我慢だった。42.195kmポイントも、55kmのレストステーションも、キムアネップも、白帆のオアシスも、お汁粉ステーションも、ハイライトとは成りえなかった。今思えば、全てがモノクロだったような気がする。

40m以降は、1km6分30秒〜7分という遅いペースを刻み続け、1つ1つの関門をクリアしてきた。お腹の具合は相変わらずだったが、ガスが出るようになってきたら、少し楽になったような気がする。レース後半は相当、大気汚染していたんじゃないかと思うほどガスが出た。何かを少しでも口にするとガスが出る。そんな感じだった。(汚いー)

アクシデントはお腹だけじゃなく、左くるぶしにも発生した。元々、右足が外旋する傾向にあるせいか、疲れて右脚のつま先が外に開き始めると、右の踵内側で左足のくるぶしを蹴ってしまう事がある。それがレース後半、顕著に現れ始めたのだ。しかも悪い事に今回選んだナイキ製のカタナケージVは、踵部分のエアーをサポートするためか、プラスチックの補強が施してあり、ここが若干尖っているため(→写真)、くるぶしに当たるとかなり痛い。何度か繰りかえし当たっていたら、激痛を感じる瞬間があった。一度止まり、患部を覗き込むと、ソックスが血で赤く染まっていた。ソックスをめくると患部の皮がズルッと剥げて、くるぶし周辺は紫色に腫上がっていたのだ。“痛ぇー”思わず口走ったが、我慢するしかない。次に踏み出す1歩を辞めるほどでは無いので走り続けた。その後、ゴールまで何度、“痛ぇー”と口走った事か・・・
シューズの選択ミス。でもこれも己の仕業。受け入れるしかないのだ。

さらにアクシデントは続く。次は爪。60km付近から両足親指の爪が急に痛み出した。まっこれも良くあることで、フルマラソンなどでは、レース終盤に爪が痛む事は良くある。終わってシューズを脱いでみると黒く変色している、いわゆる黒爪だ。1〜2ヶ月すれば、爪は抜けて、半年もすれば綺麗に生え変わる。大した事じゃない。ただ、問題は、残り40km残っているという事。爪を痛めた状態でフルマラソンのスタートラインに・・・? そう思うと気が滅入った。でも次の1歩を踏み出すことが不可能かと言えば、そんな事はない。次の1歩を踏み出す事はできる。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせ、前へ進んだ。

時折、訪れるくるぶしの激痛と慢性的に痛む親指の爪は、お腹の苦しさを和らげてくれた。人間と言うのはどこかに不調があれば、そこへ意識が集中する。不調の箇所が複数あれば、その中で一番、激しい痛みの箇所に気持ちが飛ぶようだ。あまり嬉しくはないが、1箇所がずっと気になるよりはマシだったかもしれない。絶えず襲ってくる何かしらの不調に耐え続け、スローで小さいピッチを刻んでいると、ワッカヘの引き込み道路が現れた。間もなく80kmの関門が現れる。少々お腹が空いてきた。ガスを連発するようになってから、お腹の具合が小康状態に落ち着いていたので、スペシャルに預けた4点セットを手に取り、一番ヘビーなスニッカーズを齧ってみた。強烈な甘さが、口に広がった。疲れている顎で、噛むのは少々堪えたが、この甘さが身体に力を与えてくれた気がする。ワッカへ続く上り坂はスニッカーズを齧りながら歩いて登った。レース全般を通じて唯一歩いた区間だった。

モノクロがカラーになった瞬間
80kmの関門を8時間54分で越えた。関門閉鎖時間まで1時間程の余裕がある。残りの20kmに費やす事ができる時間は4時間。体調の事は別にして、完走できる条件は揃った。あとは、次の1歩を繰り出し続ければよい。ここまでくると、走ってきた距離が自分を支えてくれる。“ここまで出来たんだから・・・”という自信が生まれてくる。

ワッカヘ入った。空が青かった。オホーツク海に青のグラデーションが掛かっていた。エゾスカシユリが鮮やかなオレンジ色の花を咲かせていた。緑色の原生花園に、はまなすのピンク色がアクセントをつけていた。今までモノクロだった風景が急にカラーになったような気がした。序盤で体調不良を実感した時、ワッカまで辿りつけるなんて全くイメージできなかった。“呟きおやじ”の呪文に掛かりそうになった時は、無難な着地点(リタイヤ場所)を探していた。でも確かに今、自分の体はワッカの中にある。何度も訪れているこの空間に居ることが夢のように感じた。

そんな時に、ケソさんとすれ違った。この時、さらなる力が湧いてきた気がした。たった1人、自分の心の中に閉じこもって、自問自答を繰り返して走っていたものが、何時間ぶりかに、一緒に走っている仲間と出会えた事でほっとしたようだ。凍っていた心の何かが溶け出したようで、じわっと涙が溢れて出てきた。その後も続々と折り返してくる仲間達とすれ違うたびに、完走できそうだ!という実感が湧き、希望が膨らんできた。

今思えば、ワッカに入った時は肉体的には相当疲労していたんじゃないかと思う。あとで聞くと、ケソさんは、すれ違った時、私の顔色がとても悪かったんで、心配してくださったそうだ。でも、ワッカを奥へ進むにしたがって、少しづつ回復して行ったような気がする。ゴールまでの距離が現実的になったらか、それともワッカの魔力か、仲間達の力か、良く分からないが、前へ進む気持ちが生まれてきていた。

最後の1歩がゴールの向こうに・・・
ワッカの折り返しを過ぎ、90kmに到達。ペースは1km7分だが、周りを見る余裕がうまれていた。応援にきていたK枝も、すれ違う後続の仲間達も、よく見えた。今年のサロマは、ここまで俯いて走ってばかりいた。でもワッカに入ってからは周りが見えるようになってきた。これぞサロマ!という景色も、最後の最後で堪能できた。応援してくれる沿道の方々に手を挙げる余裕もない、辛いレースだったけど、今は手を振って応えられる。

折り返してからワッカの風は、向かい風になり、少し肌寒く感じ始めたけど、そんな事は問題にはならなかった。ゴールできる!という確信が持てた今、怖いものは何もなくなった。記録的には不本意だけど、7枚目の完走メダルをもうすぐ手に出来る。それだけで充分だった。最後の1歩はコースの途中ではなく、ゴールラインの向こう側へ繰り出せそうだ。

終わってみれば、良い思い出?
ワッカ原生花園をこんなにすがすがしい気持ちで走ったことはあっただろうか?体中ボロボロだったけど、心の中は晴れ渡っていた。先が見えない真っ暗闇だった序盤戦。微かに見えた光はトンネルの出口じゃなくて非常口だった。その非常口に引き込まれそうになり、一時は完走を諦めかけていたけど、いつの間にやら出口が近づき、気がつけば晴れ渡る青空が広がっていた。残り2km。拍手で迎えてくれる沿道の方々。おめでとう! お帰りなさい!の声が飛ぶ。帽子を取って一礼。感謝の気持ちで一杯だった。ほくそ笑みたくなるような、この感情。理解してもらえるかな? 力を込めたガッツポーズじゃなくて、ニヤけてしまうような喜び。深刻な顔して走っていた前半戦が嘘みたいだぁ。

最後のカーブを曲がると、ゴールゲートはすぐ目の前。前後の間隔を計算して、満面の笑みでゴール。レース内容や記録は置いといて、とにかく7度目の完走を果たした。今はそれだけで充分。暫くはこの喜びに浸っていたい。。。 反省なんか後回し。あの辛い状況でゴールまでたどり着くことが出来た自分の身体を褒めてあげよう。終わってみれば、良い思い出。仲間たちには、この苦労も笑って話せそうだ。

サロマンブルーへ向かって、また来年も・・・
レースから2週間以上が経過し、色々と原因を考えている。何故あんな体調不良に陥ったのか? 体脂肪率を8%未満にまで絞った事が原因か? それとも2週間前に引いた風邪が原因だろうか? もしやその風邪による副鼻腔の炎症を抑えるために服用していた薬がいけなかったか? 何が原因だかは今もって良く分からない。でもひとつ言えることは、もう一度、あの状況に陥っても、気持ちさえ切らさなければゴールできるという事だ。もしもあそこでリタイヤしていたら、同じ現象が起きた時に、また諦めてしまうだろう。運が悪かった!で片付けてしまうんじゃないかと思う。でも乗り越えることが出来たことで、もう一度同じ状況になっても、あの時出来たんだから!という自信が自分を支えてくれると思う。それこそが収穫だ。サロマンブルーまであと3回。出来れば順風満帆にゴールテープを切り続けたいが、もしトラブルが発生しても、今回以上の苦難でなければ、足を止めずに進めるだろう。そう考えると、今回のレースはこれで良かったんじゃないかという気がしてきた。技術的、走力的には何一つ得るものがないレースだったけど、精神的にちょっとだけ強くなったんじゃないかという自己満足がある。贅沢言ったらキリがないので、今回はこれで良しとしよう。

これまでに獲得したメダルを並べて思わずニンマリ。どのメダルにも違った思い出があり、それぞれが輝いている。でも7枚目の完走メダルはちょっとだけ重たくて、すごく愛おしい気がする。95km、10時間以上もの長い時間、不調と向き合い、耐えて獲得したメダルだから、思わず頬ずりしたくなってくる。数字的にはただの1回だけど、サロマンブルーを目指す上で、強力なアイテムを1つ獲得できたような? そんな2008年のサロマでした。

おまけ
今回のツアー用に遊びで作成した旅のしおりをご紹介・・・
ほぼ予定通りに行動できたと思います。達成率85%くらいかな???
北見塩焼きそばなど、食べられなかったものもあったけど、それは来年のお楽しみということで!!
何はともあれ、大きなトラブルなく終って良かったです。 大勢でいく遠征は楽しいなぁ

注)旅のしおりはWordファイルです。両面プリントすると冊子になるように出来てます。
  下線のある場所はCtrlキーを押しながらクリックするとリンクされます。

−くるぶしを蹴ってしまった
    シューズの内側部分−

 Lake Saroma 100km Ultra Marathon 

受付会場に寄せられた
         応援FAX

2008年サロマ湖100kmウルトラマラソン 〜7個目の完走メダル

同行したカープさん
  サロマンブルー達成です!!
  いつかは私も…

常呂町の名店!!
  流氷ソーダに帆立カレー

超人達(サロマンブルー)の足型
いつかは、ここに!!

−レース3日後の爪−
  付け根が腫れちゃってグラグラ

中央緑色が7枚目の完走メダル
参加賞Tシャツに書かれた言葉は”自分のために走り出し誰かのためにゴールする"だった

レース翌日からはグルメ旅
厚岸の牡蠣、六花亭
スイーツ
勝手丼

レース翌日、全員集合
 また来年も集まりましょう!!

ゴール後の集合写真
 疲れが出てる???

ワッカ原生花園
向かい風に耐え、ゴールへ

ワッカ原生花園
     ハマナスの花

ワッカ原生花園
   エゾスカシユリ

42.195kmポイント(月見ガ浜)
フルマラソンだったらなぁ・・・

腹痛を抱えての走り(水色)
”ハラ・イタイ、イケル・トコロ・マデ・イク”と言った直後

高尾山−神馬山トレイル

<拡大図>
この出っ張りが当たると痛ーい
※普通は当たらないんだろーな

汚いものをお見せしたので
お口直し??? 北キツネに遭遇

打ち上げでの集合写真
 このひとときが最高です!

エイ!エイ! オー!!

スタート前の元気な姿で

チャレンジ皇居マラソン50km

−レース7日後の爪−
血を抜いたらグラグラした爪が密着
これならランニングも再開OK!!

ワッカ原生花園
身体はまさにへろへろでした

ワッカ原生花園
  異次元的空間???

60km付近ポイント(キムアネップ)
ただひたすら耐える…・