Lake Saroma 100km Ultra Marathon 

2007年サロマ湖100kmウルトラマラソン

 サブ10! これは私が抱いているランニング3大目標のひとつ。年に1回だけ出場する100kmマラソンを10時間以内で走る。サブ10を達成する為の平均ペース1km6分は、ランニングを始めた時、僅か5kmを走り続けるのに精一杯のスピードだった。そして今、その時のスピードで100kmを走り続けようと目論む。サブ10が達成できたら、100kmという途轍も無く長い距離を制覇したことになるんじゃないか?そんな思いで今年も北の大地サロマへ挑む。

 ちなみにランニング3大目標、残りの2つはサブ3とサロマンブルーだ。サロマンブルーは積み重ねていけば必ず達成できる目標だと思うが、サブ3は・・・? ひょっとすると一生達成できないかも??? まぁそんな感じだ。

臨戦過程
 2007年は前年から引き摺っていた故障からのスタートだった。左足股関節痛!ランニングを中止していると痛みは治まるのだが、長い距離のペース走などの回数を増やすと再発する。ストレッチ、マッサージ、オーダーインソールの製作など色々と取り組み、ある程度の効果がみられ、1年前に比べると状態は良くなって来てはいるが不安を完全に払拭するには至っていなかった。07年最初の目標レースは3月湘南国際マラソンで、ここでサブ3を目指すも失敗。しかし結果は残せなかったが、微かな望みを持ってスタートラインに立てたと言うのは収穫だった。翌4月は休養にあて、5月よりウルトラモードのトレーニングに突入。5月第1週に46km走(白鷺月例マラソン)を行った。1km5分30秒〜5分50秒ペースで50kmを目標に走ったのだが、ダメージが膨らんできたので46kmで中止。脚力が落ちているのを感じた。2週目の週末を30km走で繋ぎ、3週目はチャレンジ皇居マラソン50kmに出場。ここでは自分でも驚くほどの好結果を残せた。平均ペース5分10秒/kmで完走。後半ペースアップをしながらのゴールだったのでサブ10への希望が膨らんできた。4週目は箱根の山歩き&ジョグで5月は終了。走行距離392kmは07年の月間最高距離となった。翌6月は鍋割山トレイルからスタート。調子はまずまず。残りの2週間を20km〜30kmのジョグ数本で繋いで疲労を抜いていけば万全の状態で臨める。しかしそう思った矢先に風邪を引いてしまった。鍋割山から帰った翌日から症状が出始め、約10日間、喉の痛みと鼻水に苦しめられ、走行距離が減少。つなぎのジョグどころではなくなってしまった。そんな状態で迎えたサロマではあったが、幸いにもスタートラインに立った時点でこれといった不良箇所は見当たらず、兎にも角にも無事スタートを切れると言うことで、とりあえず良しだ。贅沢を言っていたらキリがない。

朝食
 今年、スタート前に気をつけた事は朝食の内容。前年はインスタントヌードルを食べるという初の試みをしてみたが、これが原因かどうかは別として、レース中下痢を発症し、サブ10どころの騒ぎではなくなってしまった。その反省を生かし、"慣れないことはやらない"事にして、今年は無難におにぎり2個と味噌汁という普段食べなれているものを選択。さらにレース中のエネルギー切れを不安に思い、これまではアンパンやカステラなどいつもより多めに食べていたが、これもやめた。普段と同じくらいの量にして、あとはレース中の給食で補う事にしたのだ。とにかくお腹が暴れださないように・・・注意した。いつもと異なる点と言えば、朝食後に下痢止め薬を飲んでおいたことだけだった。

準備
 スタート地点に到着したのは午前4時過ぎ。天気は曇りで気温はかなり低い。天気予報では最高気温が15度前後との事だった。用意していたウェアは、薄手の長袖Tシャツとノースリーブの2枚。さらにアームウォーマー。色々と組み合わせを考えたが、暑くなった場合、寒くなった場合、両方を考えて長袖とノースリーブの重ね着を選択した。気温が上がらなければこのまま行けば良いし、天気が回復して気温が上がったら内側に来ている長袖シャツを脱げばよい。幸いにも、今回は自転車や車で応援に駆けつけてくれている仲間が大勢いるので、脱いだシャツは捨てなくても大丈夫? 下はCWXのひざ下丈のスパッツを履き、ウエストポーチを装着。中身はアミノプロと塩、それに空のボトルを刺し、スポンジをベルトに挟んでずれを防止した。このスポンジは汗を拭ったり、べとついた指を拭いたり、脚にかけ水をするときにも役立つ。それからスペシャルドリンクは30km:ファイテン金の水、65km:ファイテンゼリー、80km:カルピスにした。明確な理由は特にない。なんとなく?

メンバー
 今年は多数のランニング仲間が出場&応援に来てくれていた。出場者は私のほかに、でんでんさん、カープさん、ケソさん、ひらさん、fukuさん、グッチーさん、ミーゴさん、としおさん・・・ 応援は自転車を使っての応援が、hiroさん、A子さん、ミヤコさん、車での応援がK枝とむらっちさん。こんなに大勢の仲間とサロマに出場できるというのは本当に幸せだ。初サロマの方へは、『これが私のお気に入りの大会です。思う存分、楽しんで、苦しんで、感動していってくださいね!』そんな言葉を伝えたい心境だった。

スタート
 スタート位置はいつもと同じく、約2分のロスが発生する位置に着いた。もっと前からいけばスムーズに進むので、早く自分のペースに乗せられるのだが、序盤ダラダラと集団の中に身を置いて、このままみんなで一緒にゴールへ雪崩れ込めたらなぁという、そんな思いを抱きながらのスタートも捨てがたい。サブ10を狙うなら前から行くべきなんだろうが、"焦らず行こうよー"的なウルトラの雰囲気を大事にすることにした。そしていつものように、何気なくスタートが切られた。スタートまでのロスは約2分。ほぼ予想通り。定点カメラに手を振って"行ってきまーす!" これに対して応援の方からは"行ってらっしゃーい!"の声が飛ぶ。ある意味ウルトラマラソンにおいて私が一番好きな瞬間かもしれない。

序盤
 スタート後、最初の1kmは6分を少し超える程度のペースで入った。集団になっているのでこれ以上速くは走れない。ウォーミングアップのつもりで焦らず走る。2km地点、3km地点と進むにつれて徐々にペースアップ。4km地点で一度スタート地点に戻り、応援してくれる仲間に手を振って、サロマ湖100kmウルトラマラソンのドラマが本格的に幕をあけた。序盤は畑や牧場ばかりの、のどかな風景の中を通る1本道を果てしなく走る。松山千春の歌が毎年、頭に響き渡る。老人ホームの前では朝早いのに、しかもこの日は寒いのに、おじいちゃん、おばあちゃんが椅子に座って手を振ってくれている。元気そうな笑顔に見守られ、長い長い道のりへと足を踏み入れていった。

 10km地点に差し掛かると住宅の隙間からサロマ湖が時折見え始める。スタートからのラップは55分42秒。まずまずの滑り出しだった。ここまでに何度か不調はあった。それはこれまでにも経験している現象で、股関節の動きがぎこちなくなってくるのだ。足さばきが鈍くなり、ペースを抑えないとバランスを崩してしまう。つま先が外へ開いているような感覚に陥り、そのまま無理をすると股関節に痛みが生じる。湘南国際マラソンの時も、この症状が発生したが為に序盤のペースが上がらず、サブ3の夢は潰えた。でも今はウルトラ。暫く我慢すれば症状は落ち着き、やがて解消される。そう信じて走ってきた。そして10km通過の時点ではほぼ症状は治まっていた。

竜宮台
 最初の折り返し地点である竜宮台が近づくと何故かトイレに行きたくなる。いつもは折り返してからトイレに駆け込むのだが、この日は偶然トイレからランナーが飛び出た直後だったので、これはチャンス(並ばずに済む)と思い、いつもより早めの小用をたした。トイレから飛び出ると、暫くしてカープさんとすれ違い、その後でんでんさん、ケソさんも現れた。さすがサブ10組は違うなぁーと関心しながら、竜宮台を目指した。

 折り返しが近くなり、すれ違うランナーの数が多くなってくると、太鼓の音も大きく聞こえるようになってきた。威勢の良い太鼓の音がお腹に響く。ん?でも何か変? 太鼓のリズムを取るために流されている音楽のほうが不調のようで、時々、音が途切れるのだ。何かだいぶ古いカセットテープ使ってない? そんな状況が想像されたが、これもご愛嬌といったところか? 竜宮台を折り返すとグッチーさんとすれ違った。さらにひらさん、としおさんともすれ違った。ミーゴさん、fukuさんの姿は確認できなかったが、これでみんながどの位置を走っているのかは大体分かった。大きく遅れている人はいなそうなんで、とりあえずは全員完走に向けて順調な滑り出しといった雰囲気だった。

応援隊
 10km−20kmのラップを55分09秒でクリアして暫くすると、分岐地点で自転車応援隊(hiroさん、A子さん、ミヤコさん)と遭遇。少し離れたところから声を掛けてもらい、ちょっとした刺激が身体に入った。特に不安な箇所はなくペースも少し上がっていたので、上機嫌で手を振り、"余裕があるよ"という雰囲気を醸し出しながら?先に進むと、数キロ進んだところで、K枝とサムズの幟を下げたむらっちくんに遭遇。K枝から調子を聞かれたので、"まぁまぁ"と軽く応えて再び単調な農道へと進んでいった。

 今更ではあるが、知り合いに声を掛けてもらうというのは本当に嬉しい。良いとこ見せなきゃ!と身体が反応して元気が湧いてくるのだ。20km−30km付近では、まだまだ余力が残ってはいるが、とは言え普段の練習ではそろそろ止めようかと言う距離なんで、それなりの疲労はある。そんな時にひと声掛けて貰った事で、何のこれしき!まだまだこれから!という前向きな気持ちが生まれてくるのだ。また応援してくれるのは知り合いだけではなく、ボランティアの学生や沿道の方々も声を掛けてくれる。中には、"元気を一杯有難う〜"とか"素敵だよ〜"なんて思わずぐぐっときてしまうような名文句も時々現れる。そんな時はこっちも嬉しくなっちゃうから、帽子を取って敬礼したり、両手を横に広げたり、派手なポーズで応えたりする。こんなランナーと観衆とのコミュニケーションもウルトラの魅力なんじゃないかと思う。

作戦
 今回のレースは、これまでのウルトラでもっとも記録を意識していた。スタート時の気温、天気予報、自らの体調。そんなものを考えたうえで、今回はチャンス!と密かに燃えていたのだ。目標は勿論サブ10。自らに課したランニング3大目標のひとつだ。そのための作戦は@行けるときは行く Aエイドでの行動は速やかに B決して止まらない、歩かない の3点。@行けるときは行く、というのは前半の事。まだ体力的に余裕がある前半は1km5分30秒は楽に出せるペースだ。しかも気温が低いとなれば脱水の危険性は少ない。ナトリウム欠乏も起こりづらい。それならば、前半は快調なペースを作り出し、貯金をガッチリ作っておく。目標は50kmまでに25分(10kmで5分貯金の計算)。これが上手くいったら、Aエイドでの行動は速やかに を実践して、レストステーション緑館でのロスを最小限度に抑えて行けば、60km地点で20分以上の貯金が残せる。そしてB決して止まらない、歩かないの作戦を守り、60km〜80kmを10km1時間のサブ10ペースでクリアできれば、80km地点で20分の貯金が残る。歩かず・止まらずを守れば、1km6分というのはそんなに難しいペースではない。過去5回のラップを見てみると、60km〜80kmがもっとも遅い。それは必ずと言って良いほど歩きが入ってしまうのだ。また70km〜80kmにはお汁粉エイドがあるため、ここで立ち止まってしまうのだ。今回はこの区間を最大のターゲットと見定めて60km地点がスタート!くらいの気持ちで取り組もうと決めている。そしてここまで上手く進めば、復活が期待できるワッカで20分の貯金を使えるので、サブ10はほぼ確実!?となる。頭の中ではハッキリとした青写真が出来上がっていた。

スペシャルエイド
 単調な農道を走っていくとスペシャルエイドポイントが現れた。ここに預けたのはファイテンの金の水。紫色した水で普通は水で薄めて飲むのだが、敢えてそのまま置いた。紫色なんでグレープの味がしそうだが、味はただの水。でもこの水が効く!というスポーツ選手が多いので、それを信じて飲んでみた。でもやっぱり味のあるものを飲んでテンションを上げたほうが良いような気がする。ちょっと後悔。コーヒー牛乳とかが飲みたかったなぁ・・・

 スペシャルエイドポイントを超えると30km地点が現れる。20km−30kmのラップは54分27秒。バッチ・グー!まだ先が長いので、ぬか喜びは出来ないが、心の奥の方では密かにほくそ笑んでいた。シメシメ・・・ みたいな。30kを過ぎると折り返すように並行している別の農道をゴールの常呂方向へと進んでいく。『35kmのちょっと手前がオホーツク国道の入り口だからぁ』みたいな大雑把な距離計算をして、時折漂う牧場のスパイシーな香りを堪えながら、淡々と走り続けた。果てしない大空と広い大地の中にいる自分と言う小さな存在を意識しながら・・・ (なんてね)

オホーツク国道
 オホーツク国道に出る直前に、これまではウィダーインゼリーを配布しているエイドがあった。しかし今年からスポンサーが味の素に替わり、ウィダーインゼリーがアミノバイタルゼリーになっちゃった。アミノバイタルゼリーが悪いわけではないのだが、カロリーが半分というのはちょっと心もとない。仕方がないからバナナも食べた。バナナも悪くはないが、過去の経験からしてバナナを食べて元気になったという事がない。お腹はある程度満たされるんだけど、効いているんだか、効いていないんだか良く分からないのがバナナなのだ。その点、ゼリー系の栄養食は効く。これを食べながら走るのとそうでないのとでは全く疲れ方が違う。チャレンジ皇居での好成績は後半1周につき1個ずつゼリー系の栄養食を食べたからではないかと密かに思っている。

 何はともあれオホーツク国道に出た。ここからしばらくは車に遠慮しながら路側帯を走る。アップダウンも現れてくる。難敵?サロマがいよいよランナーに牙を剥き始めるのだ。ってほどの事はなく、これまで完全にフラットなコースばかりを走っているので使う筋肉が全く一緒だったのが、ここからは上り下りが現れるのでちょっとずつ使う筋肉が変わってくる。そういう意味では歓迎こそできないが、アップダウンは、かならずしもマイナスばかりではないような気がする。オホーツク国道を1列になって進んでいくランナーの後ろ姿は、絵になるような・・・ あっ黄色いTシャツ、水色の軍手!発見 ホタテ漁師の住吉さんだぁ!

月見が浜
 オホーツク国道で何度か軽めの丘を超え、芭露の町を通り抜けると40km地点に到達する。30km−40kmのラップは、55分05秒。Yes!と思わず心の中で叫びたくなるようなドンピシャのタイム。ネット的にはこれで約20分の貯金を計上。50kmで25分という青写真も、ちょっとずつカラー写真に近づいてきた気がする。40kmを通過するといったんオホーツク国道から分かれ、月見が浜道路へコースは移る。ここはレース当日、一般車両進入禁止区間なので道路一杯使って走れる。晴れていたら青空が湖面に写って、これぞ!サロマンブルーって感じなのだけど、今年はグレーだった。月見が浜道路には42.195kmの常設プレートが存在する。スプリットタイムを取り忘れたが、サブ4であったことは間違いない。サブ4と言えば、ウルトラ挑戦の為に自分に課した目標。サブ4出来たらウルトラ挑戦!と言っていたのが遠い昔のようだ。今ではウルトラのスプリットでサブ4を出せるようになったんだもんねぇ・・・ 良くぞここまで成長したもんだ(自画自賛)

 月見が浜道路では再び応援隊と遭遇。調子は?と聞かれ、まぁまぁかな?と答える。まだ半分も来ていないから、調子が良くても絶好調!とは言えない。足の裏が少々傷み始めたが、こんなものはまだまだ序の口。これからもっと苦しまなくちゃいけないんだから・・・ スタートは60km地点!これをここから先のスローガンに掲げて、更なる貯金を目論んだ。

計呂地
 この漢字をすんなり読める人って少ないと思う。ケロチと読みます。サロマ湖100kmウルトラマラソンに毎年出ている人にとっては常識中の常識だろうけど・・・ちなみに前の章で書いた"芭露"はバロと読みます。ケロチという地名の謂はアイヌが鮭の皮で作った靴(ケリ)を置き忘れた所という事だそうです。ちょっとしたウンチクの披露でした。

 このケロチという響きが、なんとなーく面白くて、また計呂地という看板が現れると、長―い上り坂が現れるので、そういう点でも印象深い場所になっていた。いつもは坂が影響してこのあたりからペースが落ち始めるのだが、今年はちょいと様子が違った。上り坂になってもペースは落ちず、路側帯から車道にはみ出して抜く、抜く、抜く!上り坂では抜きまくり。下りは下手なので何人かのランナーに抜かれたが、ペースは上昇傾向。下り坂の途中にある50km地点に到達しラップを確認すると、40km−50kmは54分05秒ってことで、ここまでの最速ラップが飛び出していた。

レストステーション緑館
 50kmを過ぎるとサロマ湖に再び直面する。天気が良いとサロマ湖の青さが夏の雰囲気を増幅させ、ちょっと嫌味に思うくらい暑さを感じさせる場所なのだが、今年は依然として曇り。まだ頭からは一度も水を被っていない。スポンジを水に付けて足の筋肉を冷やすような作業はたびたび行っていたが、ボトルもスタートから空のままだし、なんか無駄な荷物を持っているような気がしないでもない。どこかで応援隊に遭遇したら渡しちゃおうかな?と思っていたが、こういうときに限ってめぐり合えないのが世の常。やっぱりサロマのウルトラは人生そのものだ。

 このあたりから、前方を見渡すとレストステーション緑館が見えてくる。あそこまで行けば54kmかぁみたいな事を考えながら相変わらず淡々と走った。淡々と走る!とは簡単なようなんだけど、これが実は難しい。過去5年は、このあたりでは感情の起伏が激しくて、大変だった。緑館で休むべきか休まざるべきか? いや休むか休まないかを考えていたのはここ数年の事で、その前は休んで何をしようか考えていた。靴下を履きかえる? 靴を履き替える? Tシャツを着替える? 何を食う、何を飲む。あー早く着きたい。着いたら休める。休めば回復するー!そんな妄想にかられてペースを乱していたのがこのあたりだった。でも今年は違う!休まない。緑館はひとつのエイドステーションに過ぎず!鼻っからそう決め込んでいた。アクシデントがなければ預けた荷物も受け取る気はないし、飲むべきものを飲み、食べるべきものを食べたらさっさと走り出す。そう決めていたので、緑館は別段楽しみな場所では無かった。

 淡々と走っていくと、ゼッケンを呼んでくれる生徒の声が聞こえた。目をそちらへ向けると目が合った。サムズアップのポーズを取って合図を送ると、頑張ってくださいの声が。。。 今のマイクに入ってない? 大丈夫? ここで呼んでいるゼッケン番号はレストステーションで待機している生徒の元へ届き、ランナーが到着すると荷物を持って待っていてくれるというシステムになっている。そして緑館へ到着するとすかさず荷物を持ってきてくれた生徒がいた。『ごめん!戻しておいてくれる。』と伝え、エイドテーブルに向かった。まずはボトルにスポーツドリンクを注ぎ、おにぎりをパクリ!クッキーみたいなのもパクリ!(あんまり美味しくない!)アミノプロの封を切り口に入れ、水で流し込む。そしてアミノゼリーを1パック受け取ってコースイン。ここからはなだらかな上り坂が暫く続くので、坂を上りながらゆっくりとゼリーを啜ろうと決めていた。それでゼリーが食べ終わったら喉が渇くからスポーツドリンクをボトルに入れておいたのだ。我ながらスムーズな処理に拍手。(自画自賛)

北勝水産
 緑館の前から続く坂を快調に上り続けた。ゼリーを食べながらなんでゆったりとしたペースではあったと思うが、食べながら!ということで走る意識よりも食べる意識のほうが強く、今振り返ってみると坂を上ったと言う感覚があまりない。食べ終わるとやはり口の中がべたついてきたので、さっと!ボトルを取り出し口に含んだ。何か凄く上手くいっているような気がする。ひとつひとつの動きに無駄がない。(また自画自賛)

 坂を上り終えると長い下りが始まる。サロマ湖を見下ろす形で走るこの辺りは、この大会の絶景ポイントのひとつである。そしてこの坂の途中にあるのが北勝水産だ。応援隊はここのホタテバーガーを食べるのが楽しみ!とレース前言っていた。そしてこの北勝水産にK枝が登場。"どう調子は?"と聞かれ、三度目の"まあまあかな?"を発した。そろそろ絶好調発言をしても良いのだが、今回のスローガンは、"スタートは60km地点!"だから、そういう意味では、まだスタートラインにすら立っていないわけで・・・ そんな発言出せるわけ無い。でもこの坂を下れば60km。いよいよスタートだ。(あーぁ でも俺もホタテバーガー食いたかったなぁー)

スタート地点
 ついに来た。60km地点だ。初出場の年は次の関門までの残り時間を知り絶望感に苛まれ涙した場所だ。またあるときはふと通りかかった収容バスの扉が開いたために吸い込まれそうになった場所だ。自分にとっては鬼門とも言える場所。今回はそこを敢えてスタート地点に選んだ。ここからの20kmが勝負!何が何でも走りとおす!!ここから先の20kmにサブ10の命運を賭ける。ねじり鉢巻キリリと締めて!ぐらいの気合で60kmの計測ポイントを踏み越えた。50km−60kmのラップは、56分25秒。60km地点での貯金はグロスで27分。ネットで29分。お膳立ては出来上がっていた。

キムアネップ
 60kmの関門を過ぎると暫くは湖畔沿いの道を行き、やがて小さな上り坂を超え、左折して国道を離れる。キムアネップという場所へ入っていく。ここもサロマではひとつの見所で、サロマ湖を望み、キムアネップ岬へと下るところはとても気持ちの良い場所だ。体力的にはかなりへばってきているので、快調に坂を下りるという訳にはいかないが・・・ このあたりでは、晴れ間が見え始め、サロマ湖が青く輝き始めていた。ちなみにキムアネップとは、アイヌ語で"細長い場所"という意味だそうで、そう言われて地図をみると確かに細長く突き出した岬であることが良く分かる。(ウンチク第2弾の披露でした。)

 坂を下り終え、珊瑚草が咲くという湿地帯を回り込むように走っていくとスペシャルエイド第2弾が現れる。ここに預けたのはファイテンゼリー。効能は忘れたがなんとなく、血行が良くなりそうな気がして・・・もうこのあたりまで行くと、気持ちが一番。肉体的な余裕なんて殆ど無くなっているので、いかに気持ちを奮い立たせて走りぬくか!これが大事。そういう意味では"スタートは60km地点!"というスローガンはうまくハマったようで、気分的には"まだまだこれからじゃ!"という気合が充満していた。そんなこんなで、いつもは歩きがちになる魔女の森も無事走りぬくことができた。

白帆のオアシス
 魔女の森を抜けると、ホタテ漁師住吉さんの?エイドが現れる。かなり暑くなってきたので、水を頭から掛けてもらった。エイドを離れ、橋を渡ると白帆の住宅地区が見えてくる。"もうすぐ白帆のオアシスだぁ・・・" おばちゃんは今年も元気かな? そんな事を考えながら進んでいくと、おぉやってる!やってる! おばちゃんの指示に従って、ランナーへお絞りを運ぶ子供達の姿が見えてきた。忙しく動き回り、次々に現れるランナーへせっせとお絞りを運ぶ子供達。これもサロマの名物風景のひとつだ。

 白帆のオアシスに到着すると早速ひとりの子供がお絞りを手渡してくれた。"ありがとう"と礼を言って受け取り、顔の汗を拭う。これがめちゃくちゃ気持ちよい。続いて湯飲みに入った麦茶?を一飲み。この日は寒くなるのを予想してか、暖かいものが用意されていた。気温は上がってきていたが、久々に飲む暖かい麦茶も良いもので、一気に飲み干した。他にも色々と用意されていたが、70kmまでの10kmを何としても1時間以内でクリアしたかったので、名残惜しみながらもオアシスを後にして70km関門を目指した。

さろまにあん
 白帆のオアシスを離れて少し走ると、屋根の上で旗を振る風景が見えてくる。旅人宿さろまにあんだ。今年は屋根の上に二人が上がって、1人は旗を振り、もう1人は鳴り物を鳴らして応援していた。毎年毎年、ランナーを迎えてくれるこの応援が嬉しかったので、帽子を取り、一礼。さらに両手を振って応援に応えた。さろまにあんを離れると、70kmの関門が微かに見えてくる。60km以降、足の動きが鈍くなってきているのは自覚していた。ペースもじりじりと落ちてきている。ココから先は歩かないようにすること。それからエイドでのロスを短くすること。これがサブ10への鍵となる。

70km
 70kmの関門を越えた。60km−70kmのラップは、58分11秒。何とか1時間以内のラップで切り抜けた。この時点でサブ10への貯金はグロスで29分。次の10kmをもう一度1時間以内で刻めれば、サブ10は出せる! でもここからの10kmはサロマでもっとも長く感じる10kmだ。"絶対に歩かない"もう一度気合を入れなおして、走り出した。

お汁粉エイド
 70kmの関門を越えると、サロマに面した長い長い直線道路を走る。お汁粉エイドまで約4km。ゆるやかなカーブすらない完全な直線道路。お汁粉エイドの鶴雅リゾートははっきりと見えるのに、走っても走っても近づかない。景色の殆ど変わらないこの直線コースで過去何度、歩き出したろうか? 前を向いて走ると、そのあまりの長さに愕然として、気持ちが負けてしまいそうなんで、視線を下げて、ひたすら耐える事に徹した。"少しは近づいたろうか?"前を見つめたくなる気持ちを必死に抑えて、下を向いて走った。我慢、我慢・・・ この直線を乗り切れば、お汁粉が食べられるー! 我慢に我慢を重ねて、コース脇を見たとき、"お汁粉エイドまであと1km"の看板が目に入った。

 残り1kmとなり顔を上げると、それまで遥か彼方にあった鶴雅リゾートが急に大きく見えてきた。こうなると一歩進むごとに近づいているのが実感できるようで、気持ちも湧き立ってくる。お腹も空いてきたので、お汁粉も美味しく食べられそうだ。喉も渇いたし、首筋も冷やさなきゃ・・・ 色々とやるべきことを考えながら走った。ただひとつやってはいけないこと。それは"椅子に腰を掛けること"2年前、とても良い調子で来ていたのに、ここのエイドで椅子に腰掛け、お汁粉、ソーメンを食べたら、その後急に足が動かなくなった経験がある。ここまで来たら、休むことは、もっとも自分を苦しめることになる。これは過去5年間で学んだ事だ。

 エイドに付き、まずは首筋に冷たい水を掛けてもらった。次にアミノプロを1袋口に含み、スポーツドリンクで流し込んだ。そしてお汁粉を受け取り、食べながら出発。止まらず歩け!歩かず走れ!は、今回、自分に言い聞かせていた言葉。走りながらではお汁粉を食べられないので、歩きながら食べた。汁はとても美味しかったが、餅(白玉)は受け付けなかった。あごが疲れていて噛むのが億劫になってしまったのだ。仕方がないので汁だけ飲み干し、餅は捨てた。そして走り出した。

 もうひと踏ん張り
今年のサロマ湖100kmウルトラマラソンでもっとも頑張ったところは? と聞かれれば、なんの迷いもなくお汁粉エイドからワッカの間と応えると思う。それくらいこの区間(距離にして6km)は頑張った。お汁粉エイドを長居せず切り抜けられた事で気合も入っていた。"ワッカまでこのまま走り続ければ、サブ10は確実だ!" "絶対に歩かない" "どうってことないよ" "まだまだこれから"・・・色々な言葉を自分に投げかけ、闘志を奮い立たせて、頑張った。ペースは上がらなかったが、良いリズムで走れていたと思う。遠く彼方に見えるワッカを走るランナーの姿が見えたときも、上り坂を歩いているランナーが見えたときも、気持ちは揺らがなかった。いや正確にはサロマの景色も、ランナーの姿も、応援している人の姿も殆ど記憶にない。それだけ走ることに集中していたんだと思う。我に返ったのは、ワッカへの引き込み道路を左折したときだった。沿道に居たhiroさんから、"良い調子!凄い記録が出るよー"と声を掛けられて、時計をみたときに現実に戻ったような気がする。そしてこのとき初めてサブ10を確信することが出来た。

 80km関門の手前にあるスペシャルエイドでは預けておいたカルピスを受け取り飲める分だけ飲んだ。エイドを離れ、ワッカへと続く森に入ろうとしたとき、ケソさんに名前を呼ばれた。振り返ると、ずっと前を走っていると思っていたケソさんがそこに立っていた。『ちょっと考えます。頑張ってください』そう言われて、その時は"考える"という言葉の意味を理解できなかったが、レースが終わって聞いたところ、この時点でリタイヤを決めたらしい。どんなに時間にゆとりがあっても、完走できるとは限らない!ウルトラマラソンの厳しさを感じた。

80km
 ワッカへと続く森に入り、細い上り坂を上がってしばらくすると80km関門が現れる。森の中からはゴールへ向かうランナーがポツポツと現れ、レースが終盤に近づいた事を感じた。とは言え、出て行くランナーは残り3km程度だが、こちらはまだ残り20km。まだまだ先は長い。70km−80kmのラップは59分10秒。これまででもっとも遅いラップとなったが、もっとも満足した10kmだったような気がする。過去5回では1時間10分を切ることさえ、ままならなかった区間で1km6分ペースを守れたというのは、大きな収穫だった。曲がりくねった細い道を走り続けると、やがて視界が開けて、オホーツク海が見渡せるようになった。天気は晴れ!スタート時に心配した天気もお昼頃から急速に回復して、オレンジ色のエゾスカシユリやピンクの浜茄子。水色のオホーツク海、青いサロマ湖が一層、綺麗に見えるようになってきた。

ワッカ
 60km地点をスタートと決めて、20km以上走り続け、肉体の疲労はピークに達していたと思う。でも心の中には余裕があった。それはここまでに稼ぎ出した30分の貯金もさることながら、どんなに辛い状況でもワッカでは必ず復活するというこれまでの経験があったからだ。理由は良く分からない。ここの景色がそうさせるのか、適度なアップダウンが良いのか、たまたまなのか? なんだか分からないが、歩くのが精一杯の状況であっても、ワッカに入ると不思議と走れる。60km−80kmで落ち込んだラップを取り戻す事ができる不思議な場所なのだ。

 今年も例外ではなかった。目指すべき唯一の目標サブ10を達成するには、10kmを1時間15分で走ればよい。多少の歩きを入れても十分に間に合う時間だ。それでも走った。80kmまでは絶対に走り続けようという強い気持ちが、走れるところまで走り続けよう!という気楽な気持ちに切り替わったが、走れた。途中トイレに寄ったり、エイドでスイカを食べたり、おにぎりを食べたり、これまで神経質になっていたエイドでのロスをあまり気にせず、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んだ。それでも走り出せば1km5分30秒のラップは出せていたので安心して時間を費やすことが出来た。決して体が楽になったわけではない。足裏はジンジンと痛み、腰はだるく、肩は凝っていた。それでもペースは守れた。"このまま行けば、90kmまで貯金を使わずに行けそうだ!"そう思うと疲れた体に反して気持ちはノってきた。

上には上が!
 最終折り返し地点まで残り2kmくらいだったろうか。でんでんさんが下を向いて走ってきた。速っ!! 前を走っているのは分かっていたが、この位置で、すれ違うとなると4kmは差がついている。サブ10に対する貯金は1時間弱? このペースだとサブ9の可能性も? 大会前足裏を傷めていたと聞き、今回は苦戦が予想されていただけに、この走りは衝撃的だった。 すれ違いざまに声を掛けると気合の入った返事が返ってきた。"ファイトッ!" こりゃ完全にサブ9を狙っているなぁ・・・ 自分の記録が霞みそうな気がして目眩がした。(嘘)

最終折り返し
 でんでんさんとすれ違い、ワッカの風に乗って走り続けていくと、折り返しまでの距離表示が現れ始めた。折り返してくるランナーも増え始め、いよいよそのときが近づいているのを実感した。サロマ湖とオホーツク海のつなぎ目である湖口に架かる橋を渡ると、赤い半被が見えて来た。サロマンブルーへリーチとなる9回目の完走を目指すカープさんだった。竜宮台の折り返しではでんでんさんよりも先を走っていたので、もっと前へ行っているかと思っていたのでちょっと意外だったが、ここへ来ての目標発見は有難い。すれ違いざまに声を掛けると、"速いですね〜"という返事が返ってきた。湖口を渡り砂利道を少し走ると折り返し地点へ到着。ゴールから遠ざかっていたコースだが、ここからはゴールへ向かって一直線!といった感じになる。折り返しですれ違ったカープさんの半被が少しずつ大きく見えるようになってきた。

90km
 ワッカでの復活により、エイドでは十分に時間を費やしたもののラップは57分00秒に復活。今年もワッカは我を見捨てなかった。そして90km関門の先にあったエイドでカープさんに追いついた。火照った体を冷やすために首筋に水を掛け、黒砂糖を食べてカープさんに近づいていくと、"先に行ってくださいよー、9時間30分行けますよー"のひと声が。9時間30分?これまでに一度も意識していないタイムだった。サブ10のための貯金が何分?という事ばかりを気にしていて、このペースで行ったら、どのくらいのタイムが出るなんて事は全く考えていなかったのだ。考えていなかったというより興味がなかったのかもしれない。9時間59分59秒で充分。グロスで10時間を切れれば、どんなタイムでも良かったのだ。それがカープさんのひと言 "9時間30分行けますよー" で微妙に心が揺らいできた。

新たな目標
 サブ10ほどのインパクトは無い。でもチャンスがあるなら挑みたい。そんな目標が現れた。サブ10さえ達成できれば良いのだから、90km以降はのんびり行こう!と思っていたのに、この新たな目標のせいで、そうも行かなくなってきた。90km通過タイムは、8時間27分。ゴールまでの残り10kmを1時間3分以内で走れれば良いのだが、このタイムで走るには歩いてはいられない。"最後まで走り続けなきゃいけないのか・・・?" そう考えたら一瞬怯んだが、チャンスはそうそうあるもんじゃないから!と心を入れ替え、再びいばらの道に足を踏み入れた。

 折り返してからはゴールへ近づいているという実感があるから精神的には楽になる。しかしこれまで追い風だったワッカの風は向かい風に変わってきた。しかも天気も微妙に曇り始め、ちょっと寒いような。。。 90kmのエイドで水を掛けた為に濡れたシャツが冷えてきた。"お腹が痛くならなきゃ良いのだけど・・・" 別の心配が現れた。

残り5km
 新たな目標を抱えて走り出して5kmが過ぎた。この5kmのラップは28分16秒。通過タイムは8時間55分だったので残りの5kmを35分で走れば9時間30分は切れる。1km7分ペースでOKなのだが、歩き出せるほどの余裕はない。体の冷え方も心配だったので、油断せずに行けるところまで行っちゃおう!と自分に言い聞かせた。残り5kmになると、サロマ湖東岸の細くくびれた部分に差し掛かり、雄大なサロマ湖の面影はなくなる。コースもサロマ湖側に面した低い位置へ移るので、オホーツク海が見えなくなり、なんとなく物寂しい景色になる。サロマ湖の対岸を見渡すと、これからワッカへと足を運ぶ後続ランナーの姿が見えた。あっちは77kmくらいで、こっちは95km。ちょっとだけ優越感に浸りながらも、サムズの他のメンバーの状況が気になりだした。3月にサムズアップサロマ湖完走プロジェクトを立ち上げ5月中旬からは合同練習も繰り返しおこなってきた。その全てに参加して初完走を目指すミーゴさんはどのあたりにいるのだろう? 腰痛のため思うような練習ができなかったグッチーさんはあの列の中にいるんだろうか? ホノマラ仲間のfukuさんは? 他のメンバーのことを少しだけ気にしながら走り続けた。

 残り4km地点は勾配の急な上り坂の途中にある。ここから先は残り?kmと表示される。"この坂走ったら足が攣らないかな?"と少し警戒しながら上がると、前方に3人の女性が見えてきた。こんなところで応援なんて珍しいなぁと思いながら、近づいていくと、それはK枝、A子さん、ミヤコさんであることが判明。ここに現れたか!とちょっと意表をつかれビックリした。K枝とは60km手前の北勝水産前、A子さん、ミヤコさんとは20km過ぎで会って以来の再開だったので、随分前のことのように感じた。今回はサムズの参加者が多かったので、そうそう何度も会うことはないだろうと、思っていたが、まさかこんなところに足を運んでくれるとは・・・というのもこの場所は一般道路から2km近く入り込んだ場所で、自転車、自動車の立ち入りは禁止になっているのだ。したがってここで応援に立つ人は殆どなく、ランナーと大会関係者以外は立ち入らない場所なのだ。わざわざここまで来てくれた事に感謝しつつも、突然の出没で、気の利いたことも、ポーズも取れずに何気なく走り去ってしまった。

 3人の応援ポイントを過ぎると、再び森の中の曲がりくねった細い道をさまようように走る。残り3kmを切った。大願成就を目前にして、迷い道を抜けると、今度は急な下り坂が現れる。ブレーキの利かない壊れかけた足で下るには少々キツイ下りだが、97kmという距離を攻め続けた足はここでも踏ん張ってくれた。エイドでは地元の生徒から拍手が贈られた。引き込み道路をあとにして、ゴールへ向かう直線道路の手前では再びhiroさん、むらっちくんと遭遇。"ずっとここにいたんですかねぇ?"と二人の応援にも感謝しつつ、あとは目前に迫ったゴールへ突き進むのみ。残り2km。

ひとりぼっちのゴール
 ペースはがっちり守れていた。あとは、惰性で進めばゴールは自然に近づいてくる。98km走り続けたんだという自信を持って胸を張りその瞬間を待った。こみあげるような感情はなかった。でもスタートから、ここまで完全にコントロールできたという達成感は溢れていた。天候に恵まれた。応援に支えられた。一緒に走った仲間に守られた。走ったのではなく走らせてもらったのかもしれない。自分の力だけで成し遂げられるものではないことは分かっているが、出来る限りの力は出し切った気がする。残り1km。前を行くランナーと後続のランナーの間隔をチェックした。少しでも長くゴールゲートを独り占めしたいから・・・

 新たな目標(9時間30分切り)は確実なものになった。もう歩き続けたって達成できる。沿道の声援は頑張れ!から、おめでとう!に変わった。いつもはゴールで待っているK枝他仲間達はゴールエリアに居なかった。応援隊はまだ走り続けているランナーに精一杯の声援を贈っているのだろうし、先にゴールしているであろう、でんでんさんは、燃え尽きて倒れているのかもしれない。知り合いの誰にも見られず、ゴールするというのは初めての経験だが、今年はそれで良かったような気がする。この記録は自分のもの。今この達成感も自分だけのもの。この瞬間、このゴールゲートは自分だけのものだ。両手を突き上げてゴールテープを切った。間違いなくベストゴールだ。ゴールゲートをくぐり抜けて、コースを振り返り、帽子を取って一礼した。今までしたことがなかった動作が何気なく現われた。ゴールタイムは9時間23分17秒(NET:9時間21分07秒)、ラスト10kmのラップは、56分ちょうどだった。

走り終わって
 ゴールして暫くは動けなかった。いや動きたくなかった。体中を駆け巡る疲労の波をそのまま受け入れていたかった。ぼーっとゴールゲートを見つめ、長い1日を振り返っていたのかもしれないし、何も考えていなかったのかもしれない。記録達成の余韻に浸ってニヤけていたかもしれない。至福の瞬間を味わっていた。

 レース翌々日、朝風呂に入っていて、でんでんさんに"来年のサロマは?"と聞かれた。はっきりとした答えは出せなかった。サブ10は100kmウルトラにおいての唯一無二の大目標。これを達成した今、次の目標を!と思っても何も出てこなかった。自己ベスト更新? サブ9? まだまだ上を見ればいくらでも目標はみつかりそうだが、どれもピンと来ない。来年になってみないと分からないけど、次の目標はサロマンブルーかな? その過程で新たな目標がみつかればそれも良いし、みつからなければ確実に完走を積み重ねると言うのも良い。とりあえずはサブ10を達成できてバンザイだ!

 今回走ったサムズの仲間達は、でんでんさんは相変わらずギリギリの勝負でネットサブ9達成。カープさんは9度目の完走でサロマンブルーへリーチ。fukuさんは着実にステップアップして2年連続完走。初参加のぐっちーさんも苦しみながら娘さん、奥さんと一緒に感動のゴール。そして注目の紅一点ミーゴさんは、ワッカで冷たい雨に打たれながらも持ち前の根性で見事完走!自分のゴールでは涙が出なかったけど、ミーゴさんのゴールではこみ上げてくるものがあった。チャレンジ皇居での奮闘や芦ノ湖トレイルでの激走などを見ていたからかな? ケソさんは"考える"と言っていた80km地点でコースを後にしたらしい。客観的に観れば時間的な余裕はたっぷりあったんだから、歩いてでも・・・と思うけど、こればっかりは本人にしか分からない。色々と大変な状況があったんだと思う。去年のカープさん、今年のケソさんと2年連続で実績あるランナーをリタイヤに追い込むサロマ。たかがサロマ、されどサロマだな。

決断
 これでランニング3大目標のひとつを達成した。残すはサロマンブルーとサブ3。サロマンブルーは最短であと4年。サブ3は? サロマが終わり、個人的に重大な?決断を下した。これまでは、サブ3達成をトライアスロン挑戦の条件と決めていたのだが、このままだと、ダラダラと、ただいたずらに時間を浪費してしまいそうなので、サブ3への挑戦は40歳春までの限定にしようと思う。再来年の春に行われるフルマラソンまでにサブ3が達成できなければ、その時点で、この目標をいったん解除して、トライアスロン挑戦の準備にとりかかる。40歳と言えばランニングを始めてからちょうど10年。肉体的な年齢も、ランナーとしての経験もそろそろピークになる頃だと思う。あと2年、目一杯頑張ってそれで駄目なら、新たな道を進もうと思う。勿論トライアスロンに挑戦しても、ランナーとしてサブ3という目標は持ち続けると思うが、一つの区切りつけるつもりだ。チャンスはあと3回、多くても4回だ。この限られたチャンスにランナー生命を賭ける!(ってほど大袈裟なもんじゃないね?)

チャレンジ皇居マラソン50km

箱根トレイル合宿07

鍋割山トレイル

受付会場

スタート地点

先頭集団

4km付近

42.195kmポイント

自転車応援隊

25km付近?

ゴール後

ワッカへと続く道

残り4km

ワッカ原生花園

ゴール