直線上に配置

 Lake Saroma 100km Ultra Marathon 

2006年6月25日(日)湧別町 午前4時。
うっすらと靄のかかったスタート会場は、1年に1度訪れる特別な日の為に、朝早くから活気に満ち溢れていた。湧別町役場裏の芝生広場には数多くのテントが張られ、カラフルなウェアに身を包んだランナーが慌しく交錯する。トイレに駆け込む人、荷物を預ける人、仲間を探して携帯電話で話しながら歩く人・・・ 目的は各々違うが一様に、表情は活き活きとしていた。そういう自分もその中の一人。これから始まる100kmという大行軍を前にして、数時間後には訪れるであろう疲労の波、さらに数時間後に襲われるであろう苦痛の嵐を前にして、何故か笑顔で行き交う人たち。何年か前、100kmという途方もない距離を走る人(走ろうとする人)はどこか身体の作りが違っていて、頭の中も変わっているんじゃないかと思っていた。それが今、その輪のど真ん中にいる事を自覚する。身体のつくりは普通だし、頭の中もそれほど変わっていない。それでもこれまで100kmという距離を4度、走破する事が出来た。そして今年も挑戦する。乗り越えられるかどうかギリギリの事に挑戦するのは、何故かワクワクする。不可能な事に挑戦するのは苦痛以外のなにものでもないし、出来て当たり前の事に挑戦するのは緊張する。過去4年の完走歴からみれば、完走の確立は高い、完走して当たり前と思われるかもしれないが、100kmというのは、そんなに確実性の高い距離ではない。何かひとつ間違えば取り返しのつかない落とし穴にハマる危険性を兼ね備えており、それを乗り越えて完走するところに醍醐味がある。だからここにいる人たちは活き活きとしているんじゃないかと思う。

今年、一緒に走る仲間は自分を含めて6名。サブ10の実力者でんでんさん。復活にかけるケソさん。昨年は無謀な挑戦と囁かれつつも70km地点まで到達した、しろさん。今年初出場のむらっちさんは暑さの克服が鍵か? そしてサロマの常連、カープさん。妻のK枝は今年も応援バスを利用して観戦。今年も面白いメンバーが揃った。スタート前に元気な姿で記念撮影をして、スタートラインに着いた。13時間後に誰が笑い、誰が泣くのか? 長い1日が始まる。

午前5時、ファンファーレが鳴り響き、スタートのピストルが轟いた。とは言っても前のランナーを押しのけていくような選手はいない。犬の散歩程度の速度でゆっくりと歩く。スタートラインを超えるときは大会DVDに映るので、探しやすいポジションをキープするのが得策。広島東洋カープの半被に身を包んだカープさんの後ろを今年はキープ。これで簡単に自分の姿を見つけられそうだ。

スタートラインを超えても、ゆったりとした行進がしばらく続き、徐々に走りの体制に移行していく。朝靄のかかったのどかな畑の中を数千のランナーが走っていく。畑の曲がり角に近づくと先頭ランナーの姿が見えたが、やがて靄の中に消えていった。前を行くランナーの色彩は遠ざかるに従って、色を失い、シルエットになっていった。過去4回のサロマの中ではもっとも幻想的な雰囲気を感じた序盤だった。

スタートしてから数十分が経過すると、スタート地点に一度戻ってくる。ここで応援に駆けつけた友人・知人・家族に手を振って別れると、サロマ湖100kmウルトラマラソン、数千通りものドラマが本格的に始まっていく。


体調は悪くなかった。特に問題視するような兆候は見られなかったし、ペース的にもほぼ想定どおりの10km60分弱で進んでいた。10km手前で再び応援バス隊と遭遇して挨拶を交わした。その後、竜宮台へと向かうサロマ湖とオホーツク海を隔てる陸地を進んでいるときもこれといった不調は無かった。"問題がない"これこそがウルトラマラソンにおける最高の状態だと個人的には思っている。"調子が良い"と感じてしまうときは、必ずあとで"調子が悪い"と感じるときが来る。調子がよいのか悪いのかは分からないが、とにかく問題はない、これが一番良い。この状態なら飛ばしすぎることもなければ、抑えすぎることもない。10km走って2分程度の貯金を作る。これが理想的な展開。10kmの通過は、1時間1分34秒。スタートまでのロスが約2分なので、序盤のペースとしては最高の滑り出しだった。竜宮台が近づくと毎年トイレに行きたくなってくる。スタート前には十分すぎるほどの水分補給をしてからスタートするので、まだ温度が低めで汗をそれほどかいていないという状況下では、自然な兆候だと認識している。折角つくった僅かな貯金をトイレタイムで失ってしまうのは勿体無いが、100kmという長丁場では、身体から出されるサインを見逃さずに、ひとつづつ忠実に対処していかなければ、そのツケはあとで何倍にもなって跳ね返ってくる。竜宮台が見えてきた。太鼓の音が次第に大きくなってきた。折り返してくるランナーの姿も増えてきた。"そろそろかな?"ということで、いつものトイレに駆け込んだ。幸いにもトイレ待ちはほとんど無く、スムーズに進んだ。おそらく次にトイレに行きたくなるのは国道に出てから(35km過ぎ)だと思われるので、暫くは集中して走れそうだ。順調な滑り出し・・・ サブ10への希望が僅かだが膨らんだ気がした。

それは突然やってきた。竜宮台を折り返して20km地点を通過した直後だった。急にお腹のあたりに張りを感じ、腰に巻いたウエストポーチのベルトがきつく感じ始めたのが最初の兆候だった。そんなに水分を取りすぎたわけでもないのにどうしたんだろ?と不安を抱え始めたところへ突然の差し込みが訪れた。しばらくすると最初の波は去ったが、数分後にまた訪れた差し込み。第1波よりも強くなっていた。深呼吸をしたり、ベルトを緩めたりして、対処したが我慢の限界が近づいていることを察し、トイレを探した。しかし無い。
竜宮台周辺は観光ポイントでもあるため、数多くの常設トイレがあるのだが20kmを過ぎてからはトイレが見当たらない。やっとのことで第2波をやり過ごしたが次に来たら、もう我慢はできない気がしていた。そのときは林に飛び込むか? 民家に駆け込むか? もう頭の中はそれで一杯。25kmを超え、コースは畑の中へと近づいていた。ここまで行ってしまうと民家はまばらだし、林のように隠れる場所も無い。"どうにかならないか?"と
思ったその瞬間、エイドステーションの後ろに備えられていた仮説トイレを発見。待っている人が1名いたがここを逃せば次は無いと思い待つことにした。

"はぁー"と一息。事なきを得た。これで安心。エイドで梅干を口に放り込み、スポーツドリンクを一口。水はボトルに移して再出発。ロスタイムは5分程度だったが、これで解決されれば、まだ大丈夫。"問題が発生"してしまったが、とりあえず対処することは出来た。ただひとつ気になっていたのは、若干下痢気味だったこと(汚ねぇ・・・) 繰り返さねば良いのだが、その点が唯一の気がかりだった。

2006年サロマ湖100kmウルトラマラソン

『下痢止め持ってない?』この問いかけに対する返事が、今年のサロマ完走の全てだったと言っても過言ではない。
54km緑館行きの荷物は赤
ゴール行きの荷物は青
今回預けたスペシャルドリンク。左から30km地点:高濃度水素水
80km地点:カルピス
64km地点:アセロラドリンク
レース前準備の慌しい中で・・・
しろさん、むらっちさん、ケソさん、私
今回の参加メンバー
上段左から、カープさん、ケソさん、
でんでんさん、しろさん。
下段左から、私、むらっちさん

スタート前、緊張のひととき・・・
     って、それほど緊張感はない。

スタート地点に一度戻ってきたところ。
ここから長い旅路へと足を踏み入れる。
こんな余裕の表情も今のうち・・・

10km地点付近の応援ポイント。
微妙にニヤけてる?
  ニヤけてなんかないっすよ・・・
25km地点付近の応援ポイント。
最初の大仕事を終えた直後。
んっ臭う?   臭うわけないっすよ!
25km付近のエイドを過ぎると畑の中の1本道へとコースが移る。日陰もなければ、景色も殆ど変わらない。広い大地と広い大空を実感できる場所ではあるのだが、いかにも単調すぎてちょっと飽き気味。トイレを済ませてすっきりとしたせいで、問題はなくなったが、追い風だったこともあり、少し気温の高さを感じ始めた。水掛けエイドでは、腰につけたスポンジを水に浸し、顔、首筋、腕、足の汗を拭い去り、身体の外側から冷却した。今回の新しい試みとして持参したマイスポンジだが、これがなかなか調子よく、汗のふき取りやエイドの給食でベトベトした手のふき取り。足への水掛けなどで効果を発揮した。ウエストポーチに挟んでおけば邪魔にもならないので、今後も使えそうな逸品となった。

"いよいよ来たなぁー"と感じ始めたのは30km過ぎ。辛いというほどのものではないが、足に疲労感が漂いはじめた。これまでは足に意識がいくことは殆ど無かったが、30kmを過ぎてしばらくすると足全体にダルさ、重たさを感じ始めた。これからが100kmのスタート。この疲労感と長く付き合っていかなければならない。ペースはキープできているが、もうこれ以上、上がることはないだろう。あとはいかにこの状態を長く維持していくかだ。

2度目の異変も突然襲ってきた。国道へ出る直前のエイドでウィダーインゼリーのパックをひとつ受け取り、国道へ出てから時間をかけて啜っていた時だった。"急降下"この言葉がぴったりとあてはまるような感覚だった。もう我慢するなんて状態ではなかった。素早く処理しないと、大変なことになりそうだった。そいつに襲われた場所が国道に出てからだったのがせめてもの救いだった。目の前に現れた仮説トイレに飛び込みひと踏ん張り。(踏ん張るまでもなかったが…)これはまずいことになった。明らかにお腹を下している。いまはすっきりしているが、この状態は間違いなく下痢だ。こんな状態じゃ水分補給してもエネルギー補給しても、ろくに吸収されずに排出されてしまう。それに、またいつ襲われるのかが心配で、口にものを入れるのさえ躊躇われる。エネルギー補給しながら走るのがウルトラマラソンなのに、その補給ができないとなったら… 頼むから止まってくれー

合計3度のトイレストップで10km1時間のペースは完全に崩れた。しかもまた次にいつ襲ってくるのかと考えたら消極的になり、走るペースを上げようと言う意欲が湧かない。水分補給やエネルギー補給がままならない状況ではいかに発汗量を抑えて、省エネで走るかが生き延びる鍵となる。エイドでは梅干とスポーツドリンクのみに控え、スイカやオレンジなどのフルーツ類は避けた。水は飲まずに、お腹以外のポイント冷却とうがいに使用。とにかく出来るだけお腹への負担を軽くして、ヤツの襲撃に備えた。

しかしその抵抗も虚しく終わり、またしてもヤツは訪れた。42.195kmポイントへと続く月見が浜道路への分岐手前だった。幸いだったのはまたしてもトイレが直ぐそばにあったこと。これで最悪の事態からは救われた。がっ状況は救いようの無いものだった。殆ど水のようなものが排出され、3度の大仕事ということでお尻はヒリヒリ。それより何より、間隔が近くなっているという状況が、より深刻だった。最初は25km地点、次が35km地点、そして41km地点。加速度的に間隔が詰まっている。このペースだと、あと何回トイレを必要とするのか? いやそんなことより、こんな状況があと何時間も続いたら体力が持たないし、完走するために何よりも必要な気力が萎えてしまう。"アレに賭けるしかないな" それでも駄目なら完走は諦めざるを得ない。それほど事態は深刻だった。

42.195kmポイント。サロマンブルーを実感できる場所のひとつで、応援バスの観戦ポイントにもなっている、割と賑やかな場所だ。ここで応援のK枝を捜した。コース脇の歩道で手を振るK枝を発見。いつものように"調子は?"と聞かれる前に、『お腹壊しちゃったみたい、下痢止め持ってない?』と問い掛けた。
− "持ってるよ"この一言で救われた。その場でビオフェルミン下痢止めを3錠飲み、完走の全てを薬の効果に委ねた。頼むぞ!ビオフェルミン!! これで駄目ならお手上げだ。

効果を実感したのは54km手前にある緑館レストステーション。スタート後、25km、10km、6kmという間隔で襲われていた、お腹の急降下現象が、41km地点を最後に音沙汰がなくなった。レストステーションでK枝と再会し、"お腹の状態はどう?、効いた?" と聞かれ、そういえばあれからトイレに行っていないなぁと気づいたのだった。『落ち着いてきたかも』と言ってはみたが、まだ半信半疑。この先いつ再発するか分からなかったので、このレストステーションでの長居(時間の浪費)は危険と判断し、ホタテお握り1個とウィダーインゼリー1パックを持ってエイドを離れた。そうそう、ウルトラマラソンでは長い休憩は厳禁というのが、この4年間で学んだこと。5分以上休めば身体はリカバリーモードに入り、動かなくなっていく。しかし、疲労回復するかと言えば、10分や15分休んだところで状態は良くはならない。いや筋肉は固まり、益々動かしづらくなっていく。しかも止まってしまえば距離は進まないうえ、制限時間は迫って来る。"百害あって一利なし"とまでは言わないが、止まってはならないというのが個人的な見解だ。そうここまで来ると"バッテリーの壊れた車"と同じでエンジンを一度切ってしまえば、二度とエンジンは掛からない。完走するには停止するときもアイドリングしておかなければならないのだ。

レストステーションを後にすると長い長い上り坂が待ち構えている。記録的な望み(サブ10 or 自己ベスト更新)は、ほぼ絶たれていたため、あとはいかに完走するかが唯一の目標となった。そのためには、この先どんな状況が訪れようとも対処できるだけの時間的余裕を作っておくことが得策。足を痛めて歩き続けても間に合うような時間的余裕。これを10km2時間ペースと計算し、とにかく頑張って80km地点を9時間以内で通過することを目標にした。そのためには長い坂でも走り続けなければいけない。苦しいからと言ってペースをずるずる落とせば、歯止めが利かなくなってしまう。レストステーションでキープしたウィダーインゼリーを慎重に一口づつ口に含み、吸収しながら走った。

坂を登り終えると今度は湖めがけて一気に下る。下りきったところが60km地点。上り坂は歩かずに走破した。足の疲労は膨らんだが、足の裏の疲労(痛み)は、上り坂により衝撃が軽減されたようで、やや回復したような気がする。しかし待ち構えていたのは長い下り坂。足全体が疲れてきているので、スピードを効率よくコントールするのが困難な状況になっている。スピードが上がれば足の裏にかかる衝撃は大きくなり、不快な感覚が足の裏から脳天に響く。着地する度に顔を歪めながら下っていった。60km地点の通過タイムは6:18:32。80kmを9時間で通過するにはこの先20kmを2時間42分で行けば良い。1km8分ペース。タイム的には余裕が出てきた。
42.195地点にある記念碑?
仮設じゃなく常設ってトコが凄い
前日に磨いておきました。(マジで)
42.195地点ポイントからキムアネップ岬
方面を望む。遥か彼方に鶴賀リゾートが・・・
直線距離でも20kmくらい離れてます。
54km付近の緑館レストステーションに
ようやく到着。下痢はSTOP!
54km付近の緑館レストステーションを
出て行くところ。これから長い坂に立ち
向かう。背中に哀愁が漂ってる?
ウルトラマラソンを完走するには、3つの要素の使い方が重要だと思う。3つの要素とは、気力、体力、タイム。前半戦は気力を温存し、余裕のある体力を使って距離を踏み、時間的余裕を生み出す。周りの景色をみたり、ランナー同士の会話を楽しんだり。頑張ろうと意識しなくても足は勝手に動いてくれる。中盤戦に入ってくると、体力は衰え始めるので気力で身体を動かさないといけなくなる。頑張ろうと意識しないとペースは落ちる。歩きたくなってくる、休みたくなってくる。でもここで身体の要求に素直に従って、歩いたり、休んだりしてしまえばタイムはガタ落ち、時間的余裕がなくなる。だから気力を使ってでも走り続けなければならない。そして終盤もっとも頼りになるのはタイム(ここまでに作り上げた時間的余裕)だ。衰えた体力。萎え始めた気力。不確かなこの2つの要素を救う最大の武器がタイムとなるのだ。どのくらいまでペースを落とせるかという時間的余裕をうまく利用してペースコントロールすれば良い。もしまだペースを上げる余力があれば新たな目標設定をして果敢に攻めれば良い。仮にこの作戦が失敗に終わり記録は不発であっても、ここまでに作った時間的余裕は完走という結果はもたらしてくれるだろう。もし足が攣りそうなほど弱っていれば、歩きを混ぜて様子をみれば良い。エイドでのかけ水や、給水、給食にも時間を掛けられるので、様子を見ながらのペースコントロールでよい方向へ回転することも考えられる。60kmを過ぎて終盤戦に入ろうというこの辺りで、どれほどの時間的余裕を作れるかどうかは完走するうえで大変重要な意味を持つと思う。

今の状態はペースを上げるほどの余裕はない。前半戦のトイレロスが響き、自己ベスト更新は、難しい状況だった。この状況ではペースを上げようと言う気力が沸いてこない。となれば、ペースをコントロールして、いかに確実に完走するかがポイントとなる。『ウルトラは完走してなんぼ』とは誰かさんの名言だが、この言葉が心に響くような展開だった。

気力・体力ともにかなりギリギリの線にはきていたが、まだ踏みこたえられないほどの状態では無かった。過去の経験からして、この辺りで感じる苦しみはレース全体を通じて最大のものだ。60km走ってきた事による大きな疲労。残り40kmという精神的なプレッシャー。これから先の10km〜20kmがもっとも辛いところなのだ。"今のペースを維持して、時間的余裕を広げる"という結論に達した。
キムアネップから魔女の森を抜け、白帆へとコースは移った。キムアネップのエイドでは預けておいたアセロラドリンクを飲み、ウィダーインゼリーを1パックキープして魔女の森へと突入。チビチビとウィダーインゼリーを啜りながら森を抜けて、白帆のオアシス"斉藤商店"の私設エイドへ到達。冷たいおしぼりでリフレッシュし、きゅうりの塩漬けで塩分補給し、名残惜しい気持ちを抱えながら出発。旅人宿さろまにあんでは、いつもの旗振りにバンザイでこたえ、70km地点に到着した。と書き綴るとあっさり走りきったように見えるが、この間もずっと、歩きたい、休みたい、転がりたい・・・でも・・・そんな葛藤との戦いは繰り返されていた。タイムは7:27:17、この10kmのラップは1:08:45と落ち始めたが、1km7分をキープしていれば問題ない。

お汁粉エイドに到着したときは疲労の限界を感じていた。70kmからここまでの1直線は本当に長く感じる。何度も歩くことを考えた。でも歩いても楽にはならない。『これがウルトラだ! この辛さを乗り越えてこそ、完走の価値があるんだ!』何度もそう自分に言い聞かせ、走り続けてきた。そしてお汁粉エイドに到着した瞬間、ほっとして気が緩み疲労感がどっと現れた気がする。ここでは、お汁粉1杯と帆立入りソーメンを1杯頂き、トイレで小用を済ませて出発。次の目標はワッカ原生花園だ。ワッカへ入れば視界は一気に開けてくる。

『辛い!』もうどうしようもなく辛かった。足の裏にジンジンとくる痛みは深刻で、ひょっとして足底筋でも傷めたんじゃないかと思うほど痛かった。また足だけじゃなく上半身も疲れ始め、特に右腕はだるくて腕を振ることも、だらりと下げるのも嫌だった。80kmまで残り3km。歩いても、休んでも、快方に向かわないことが分かっていても、歩きたい、休みたいという衝動にかられた。そんなときに特徴的な髪型をしたランナーを発見した。富士北麓公園で開催される24時間リレーの常連さんで、レース前半に一度、中盤に一度、話し掛けさせて頂いたランナーだった。もうあまりの辛さに我慢できなくて三度声を掛けさせてもらった。『やっと先が見え始めましたね〜』 − 『あとハーフマラソン1つ分くらいかな』といった会話に始まり、お互いどんなマラソンに参加しているとか、あのレースはどうだったみたいな話題で会話が弾んだ。そしてこの会話をしている間にワッカ入り口へと続く曲がり角が見えてきた。しゃべっている間に2kmも進んでいた。その後も暫く並走させていただき、最後に分かれたのは85km付近のエイドだったかな? 話しながら走るというのはウルトラ完走の上で有効な手段かもしれないと新たな発見をしたのだった。

80kmの関門通過は8:40:05。この10kmのラップは1:12:48ということで1km7分ペースは崩れてしまったが、お汁粉エイドでのロスタイムがあるので、仕方あるまい。それよりも"80km地点9時間以内で通過"という目標が達成できたことに満足していた。残り20kmを4時間。時速5kmで歩き続けてもラクラク完走となる。この事実が精神的、肉体的疲労を僅かだが救ってくれた。萎え始めていた気力が僅かだが復活し、目標完走タイムを設定するところまで蘇った。設定した目標タイムはサブ11。残り20kmを1km7分ペースで維持していけば、達成できる。この目標に向かってワッカへと突入した。

今年のワッカは? 細かい上り下りをいくつか超えていくと視界が突然開けて、目の前にオホーツク海が見渡せるようになってきた。今年は波が殆ど無く、とても静かで真っ青な海が待っていた。ワッカ原生花園の開花状況は、ハマナスがところどころにピンク色の花を咲かせていたが、期待していたエゾスカシユリは、まだ1部咲きにも満たない程度だったように思う。ちなみにサロマ湖100kmウルトラマラソンへはここ3年オレンジ色のウエアを着て走っているのだが、それには理由がある。ワッカへ入ったときに緑の葉っぱにエゾスカシユリのオレンジが見事に映えるからだ。ワッカで目立つにはエゾスカシユリのオレンジかハマナスのピンクか、というのが個人的な見解。エゾスカシユリのオレンジが今年は少なかったが、オレンジ色のTシャツが少しでもその分を補えれば光栄???
鶴雅リゾートレストステーションは、
お汁粉、ホタテ入ソーメンなど
ランナーの心を掴む食べ物で賑わう
鶴雅リゾートレストステーションまで
あと少し。辛くて顔も上げられません。
70km地点から続くこの直線の長い事
ココに腰掛けて食べるお汁粉は最高!!
でも座ったら立つのが辛くなってきます。
これで終わりだったらなぁ〜なんて思うと
もう走れません。 (経験者は語る)
ワッカの主役。エゾスカシユリ
ハマナスの花
ワッカに入ると復活する。こう語る人は結構多い。私もその中の一人。過去4回のレース結果をみても60km〜80kmより80km〜100kmのほうが格段にペースアップしている。大きなレストポイントがない。小刻みアップダウンがリズムをよくする。距離表示が怪しい?など諸説あるが、個人的にはワッカの持つ不思議な力だと信じている。オホーツク海とサロマ湖に挟まれた細長い陸地に生息する草花の出す"気"がランナーに好影響を与えるんじゃないかと・・・ 今年も例外に洩れず、エイドでしっかりと給水、給食、掛け水を行ったにも関わらず、80km〜90kmは1時間4分でカバーした。目標タイムのサブ11まであと1時間16分。ほぼ確実な状況になってきたので、もうひとつハードルを高くして、目標タイムを10時間50分に設定した。1km6分30秒で行ければクリヤできる。

90km手前の湖口(湖と海をつなぐ水路)で最後の折り返しをすると、あとはゴールへ向かってまっしぐら。身体はもうボロボロで足の裏、足首、ふくらはぎ、膝、股関節ほか、ありとあらゆるところが危険信号を発している。しかし人間と言うのは一度に沢山の危険信号が発せられると、実際にどこが痛いのか良く分からなくなってくるらしい。"とにかく全身だるい"という一言で片付けられる。100kmなんて途方もない距離を自分の足だけで制覇しようという企画自体が無茶なんだから、身体が無茶苦茶、疲れても当たり前。ここまでくると、もうヤケクソで、『そうそう、去年も、おととしも、その前も、いっつも苦しかったよな。でもゴールして暫くしたらこんな苦しさ忘れちゃうんだ。どうってことないんだよ!』という開き直りが生まれてきた。周りに人がいないのを確認して口笛なんか吹いたりしてみて・・・ そう、松山千春の"大空と大地の中で"を口ずさんでいたら、♪生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に 野に育つ 花ならば カの限り生きてやれ♪ のフレーズが妙に心に響いちゃって、思わず目に涙が浮かんできて、慌ててサングラスを掛けたりした。

"残り4km"個人的にもっとも心が揺れる看板だ。ここまでは通過距離の表示だったものが、ワッカの出口にあたる上り坂からは、表示が残り距離に変わる。このワッカを出て行くときって、嬉しい気持ちと、自分にとって"特別な場所"から去っていく切なさが入り混じって、いつも感傷的になってくる。もうすぐ終わりだ。辛くて辛くて辛いレースだったけど、その辛さがもう思い出に変わりつつある。スタートしてからの事が頭の中を駆け巡った

順調な滑り出し、突然の腹痛、度重なる腹痛、絶望、かすかな望み、希望、安堵・・・色々な感情が駆け巡った。色々あったが今この瞬間ゴールへ向かって走っている。結果は見えてきた。今年も自らに課した試練を乗り越えることができた。今、この場にいられる事に感謝。この場を与えてくれた人に感謝。言葉を交わさなくても無言で励ましあったランナー達に感謝。そして最後に42.195km地点で下痢止め薬を持って待っていてくれたK枝に感謝だ。


ゴールへと向かう道路の脇でK枝がカメラを構えて待っていた。力づよく拳を突き上げた(つもりだったが、肩がぜんぜん上がってなかった) 常呂町スポーツセンターへ入ると、正面にゴールゲートが見えてきた。焦らずにゆっくりと周りをみてゴール。その瞬間、不覚にも涙が溢れ出てしまい、慌てて帽子のつばで顔を隠した。10時間48分27秒のドラマが終わった。 『下痢止め持ってない?』 → 『持ってるよー!!』 この一言が完走の全てだった気がする。これで生かされた。生かされたからには、もう逃げ出すわけにはいかない。痛くても、辛くても、とにかく前に突き進む。その覚悟が完走に結びついた。

あれから5年、この先5年・・・
サロマンブルー(通算10回完走者に与えられる称号)を夢見て走り始めたサロマ湖100kmウルトラマラソンもこれで折り返し地点にあたる5回に到達。暑いサロマも、寒いサロマも経験した。制限時間ギリギリの時もあったし、辛すぎて途中で収容バスに吸い込まれそうになった時もあった。まだまだ未熟なウルトラランナーではあるが、最初のころよりは随分たくましくなったような気がしないでもない。"走る"という事に対する執着心は、最初のころより格段に強いし、"休まない"という意志も強くなってきた。トラブルに対処する引き出しも増えてきたように思える。まだまだこれから先、沢山の試練が待っていると思うが、この5年間で身につけた経験と自信を胸に、5年後の栄光を夢見て、また来年、この土地に戻ってこようと思う。
清々しい気持ち。 動かぬ体。。。
力づよく拳を突き上げたつもりでも、
上がらず・・・満身創痍とはこの事か?
そして、また来年・・・