2003 青梅マラソン(30km)        T.K

2月16日青梅マラソン30kmの部に出場した。レースとしては2月2日の湘南月例
以来となる。この間の週末1回は、根岸公園でロード+クロスカントリー2時間走を
行った。このレースは、荒川市民マラソンへ向けてのトレーニングと位置付け、目
一杯のレースは避けるつもりだ。それでも30kmのトレーニングというのは普段あまり
できないので、リラックスして走って、フルの完走ペースに近い感覚を掴めれば
最高という心構えで臨む事にする。 ということで前日は特別な事はせず、いつもの
週末通り、ジョグ2時間走でリフレッシュ?を図った。
※ここのところ、週末のうち1日は、レースまたは根岸公園。もう1日は2時間ジョグと
言うペースで練習を行っている。

話しは青梅マラソンに戻って、この日の天候は雨。受付を済ませた午前10時頃は
まだ降り始めで、それほど気にならず、また気温も特別寒いというほどでは無かった。
なんとかこの状態でゴールまで持ってくれればばー!という淡い期待を持っていた
のだが・・・

自宅を出発したのは、午前7時20分。バスに乗って小田急湘南台駅ヘ出て、町田
でJR横浜線に乗り換え。さらに八王子,立川で乗換えを行い、10時少し前に河辺駅
に到着。約2時間30分を要した。ちょっとした小旅行気分で、朝食は電車の中で食べ
た。河辺駅で下車して、小学校で受付を済ませると、昨年同様、バーモンスさんの
御厚意で水車さんに立ち寄らせていただく事にした。そして、こちらで着替えを行い、
荷物を預かって頂き、スタート30分前にスタート地点へと移動を開始した。

スタート地点まで行く途中、青梅市役所の前を通りかかったら、オレンジ色のコート
を着た人が2階(3階?)の窓際に立って、こちらを見ていた。よーく見るとそれは、
ミスター長嶋巨人軍終身名誉監督だった。手を振ってみたが気がついたような、
気がついていないような・・・(ビミョー)

スタートライン付近は昨年同様、ミスター目当ての観客でごった返していて、自分の
スタート位置に辿りつけない。(スタートは自己申告タイム順)
仕方がないので、迂回してスタート位置を目指した。今回はゼッケンNo.が3562と
いうことで、真中よりは前。(全体で12,000人?)それでもスタートラインは遥か彼方
に見えた。

スタート地点に着いた時は、雨が降り続いていたが、じっとしていて絶えきれないほど
の寒さではなかった。今回の走る格好は、上はチタン長袖Tシャツ+チタンランシャツ
+ビニール袋。下はチタンスパッツというフル装備で走ることにした。

正午。ミスターのピストルを合図に30kmの部のスタートが切られた。ミスターはきっと
右側にいる。(去年はそうだった。) だとすると右側は混雑する。そう読んで、左サイド
に位置してスタートした。スタートラインまでのロスタイムは2分4秒。去年に比べれば、
スタート位置が前だった分、スムーズに進んだような気がした。しかし誤算だったのは、
ミスターが左側にいたことだった。ミスターの存在に気付いたランナーが突然スピード
を落す為、スタートラインでは、前の人に衝突しそうになった。『危ない、危ないここで
転んだら、史上最短距離でのリタイヤになってしまう。。。』

その後も暫らくは渋滞が続いた。タイム狙いのレースだったら、かなり苛々しそうだが、
今日は『リラックス』がテーマだったので、まわりの流れに身を任せて、ゆっくりと走ること
にした。『そのうち空いてくるでしょう・・・』ぐらいの余裕を持って。

この大会は距離表示が1キロ毎に有る。しかしながら前半は、人の波にすっかりと溶け
込んでいたので、5キロの通過までは、距離表示に気がつかなかった。
5キロの通過時に時計をチェックしたら、25分だった(と思う)。キロ5分ペース。4分30秒
を目安にしていたので、ちょっと遅れ気味だが、最初の1キロは、キロ6分程度の速さしか
なかったと思うので、5キロ通過時のペースは4分30秒に近づいている気がした。

5キロから6キロのラップを計ったら、やはり4分30秒に近づいていた。人は相変わらず多い
が、それほど無理な追いこしを掛けなくても、4分30秒は出せるような状況に落ち着いて
きていた。『ここからスタート』と思いなおして、『リラックス』を心掛けて走る事に専念した。
7キロ、8キロ、9キロと通過するたびに、時計を見るが、4分30秒はほぼ守れている。
上り坂に差しかかってはいるが、呼吸・足ともに順調。雨のほうもそれほど気にならず、
気持ちよく走れていた。

その後も調子は変わらず、雨も小振りで、寒さもそれ程ではなく少し汗ばんできたので、
ビニール袋を捨てようかと迷った。しかし、今日はトレーニング。後半になって寒くなったら?
と思い、もう少し様子を見ることにした。コースは15キロの折り返しが近くなり、徐々に勾配
がきつくなり始めた。それでも調子は変わらず、ペースも落ちず、良い感じで、快調に走れ
ていた。ちょっと気になったのは、雨が降っているせいか、給水テーブルが短いせいか
または相変わらずの人の多さで混雑していたせいか、給水をここまで一度も摂っていなかっ
た事だ。いつもなら5キロ〜10キロの間に一度は給水するのだが、15キロの折り返しが近づ
いているのに、今回に限っては飲みたいという気持ちもあまり起きなかったので、一度も
水分補給をせずにここまできていた。

そして折り返し。15キロの通過は、1:10:18(自己計測)。5キロの通過が25分ちょうどだった
とするとその後の10キロは、4:32/kmペースで走れていた事になる。ほぼ設定通りだ。
そして折り返しが済むと、ここから暫らくは、かなりの下り坂が続く。下り坂は、ランニングを
始めた頃は凄く苦手だった。今でもあまり好きではない。なんか指先に力が入ってしまうのだ。
その為に下り終えた後にパッタリという事がこれまでに何度かあった。
その反省を踏まえて、あまり足に集中しすぎないよう気をつけて走るようにした。

20キロの通過は、1:32:20でこの5キロのラップが22:02。下り坂の影響で4:24/kmペースに
上がった。20キロ〜25キロも下り傾向だが、何ヶ所か上り坂があった。下りが続いたあとの
上り坂は意外と堪える。疲れはまだ無かったが、ペースがその分落ちたようで、この5キロは
22:47掛かった。(4:33/kmペース) そしてこのあたりから雨の強さが増す。また寒さも厳しく
なり、雨にみぞれが混じっているような感じになってきた。

25キロを過ぎると、雨は一層強くなり、また寒さが厳しくなってきた。呼吸はまだ楽だったし、
疲労感もそれほどなかったとは思うのだが、股関節、膝関節がしびれたような感じになって
動かなくなってきた。これが下り坂を走ってきた影響なのか、寒さの影響なのか、それとも
給水を殆ど摂らずに走ってきた(ここまで1回)ことによるのか分からないが、今までには経験
した事が無いような感覚になった。とにかく寒かった。走っても走っても体温は上がらず、
手袋はびしょ濡れになり、指先の感覚は完全に麻痺して、走りつづけるのが辛いというより、
雨に当っているこの状況が辛くなってきた。

あとは応援を力にして、走るだけ。とにかく速くゴールしたい。ゴールして暖かい部屋で
着替えたい。レース後の鰻が・・・ 温かいお茶が… できれば熱燗が… そんな心境に
なってきた。完全に走る事への集中力がなくなっていた。青梅の街中を抜けて、残り2キロ。
鼻の下の感覚も消え、鼻がたれているのか、雨で濡れているのかも分からなくなってきた。
『どうせ見てる方だって分かりゃしないだろう!』と開き直って、鼻を拭うのも辞め、ただひた
すら走った。

左に青梅市役所が見えてきた。後もう少しだ。その先には、スタートの垂れ幕が見えた。
最後のカーブはあの信号かな? その次かな? とにかく速くゴールさせてくれー!という
寒さから逃げ出したい一心で走った。そして人の流れが右へ曲がって行く交差点が現れた。
『やったー、ようやくゴールだ!』これで寒さから開放される・・・ 
(と思ったが甘かった。)
(ゴールタイムは2:17:53(自己計測ネット)、最後の5kmは22:46。4:33/kmペース)

大変なのは、ここからだった。寒さに凍えていた身体は、走るのを辞めた途端、さらに冷え
始め、完走後に貰ったアクエリアスの蓋を空ける握力も無く、おにぎりのビニールを取るの
にもひと苦労。情けないほどの濡れ鼠状態。自分がすごーく哀れな人に思えてきた。
ゴール地点で応援していたK枝,hiroさんと合流し、ウインドブレーカーを羽織って、
ビニール合羽を着て、鰻屋さん”水車”を目指して歩き出すが、寒さに凍えてうまく喋る事
すらできない。K枝に『大判〜焼き〜買って〜』というのが精一杯。手の震え、足の震えは
止まらず… 『この状態って、もしかして映画タイタニックのデカプリオか?』、『人間凍え
死ぬ時ってこんな感じになるのか? だったら凍死だけは絶対ヤダな』 
できることなら走り出したい心境なのだが、関節はコチコチに凍ってしまって?全然動か
ない。

ようやくの事で、東青梅駅手前の踏みきりを渡った時には、頭も痛くなり始めた。『かき氷を
急いで食べた時のような・・・速く着いてくれー!』 そして見えた。水車の看板が・・・
この時は、フィニッシュゲートが見えた時よりも嬉しかった。水車さんの裏口から、戸を空け
てお店に入った瞬間、やっと今年の青梅マラソンが終わった気がした。ゴールした時よりも
むしろ、この瞬間のほうが感動した?

早速、2階のお部屋をお借りして着替えを済ませた。それでも暫らくは震えが止まらなかった。
顎がガタガタ震えていたせいで、鍔関節が痛かった。こんなに辛い思いをしたマラソンは
初めてだった。きっと一生の思い出になるだろう。。。

その後は、熱燗をいただき、美味しいうな重を食べ、体温が戻ってきたところでビールを飲み
干し、地獄から逃れ、天国気分を味わった。『あー暖かいというのはなんて幸せなんだろう・・・』
そんな感じですっかりレースの事は忘れてしまっていた。

そして今・・・
今回のレースを振りかえると、結果的には5キロ以降、ゴールまで設定ペースの4:30/km前後
を守れていたので、良かったと思うが、果たして余裕があったのかどうかということになると?だ。
というのも、最後の5キロがすごく辛かったからだ。これがスタミナ切れによる辛さだったのか、
寒さによる体力消耗だったのか、ただ寒さで気持ちが萎え、逃げ出したかったからなのか、
その辺がよく分からないが、とにかく辛かったのは確かだ。ゴールした時に余裕はなかった。
と思う。いや、もしかすると本当に辛かったのは、ゴールする前ではなくて、ゴールした後だった
かもしれない。もうあまりの寒さに何が何だったんだかよく分からなくなってきた。
1日たった時点での状況は、筋肉に張りはあるが痛みではない。走ろうと思えば走れる状態には
ある。だからダメージは深くなかったんだと思う。
(と思いたい。)

これで、荒川市民マラソンヘ向けたポイントとなるレースは終了した。ここ3週間は割りとしっかり
走ってきたので、この1週間はジョグ中心で休みを入れ、身体をリフレッシュさせて翌週から荒川
市民マラソンへ向けての仕上げに移ろうと思う。


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