2005荒川市民マラソン                      T.K

2005年3月20日(日)、荒川市民マラソンに出場した。 
がっ、ここまでの道のりは険しかった。。。

青梅マラソンでの思わぬ快走(怪走?)で妙な欲が出て、”この調子ならサブスリーも近い”なーんて事を考えていたら天罰がくだり?青梅の2日後から急に発熱。いつもなら2日もすれば熱は下がるのに37℃〜38℃の熱が4日間も続き、あまりにもしんどいので20年ぶりに内科へ行く始末。結局インフルエンザではなく処方してもらった薬を飲んだら2日で回復したが、この間の1週間はランニングはおろか自宅と会社の車通勤以外は身体を動かす事もできず、ここ数年では考えられない位の運動不足状態に陥ってしまった。ほぼ回復と判断して走り始めたのは発熱から8日目。しかしこの間の運動不足が祟り僅か数キロをJOGするのでさえ、息切れがする状態。その後ちょっとづつ、ちょっとづつ距離を伸ばして行って、3月6日(日)の湘南月例ハーフ出場には漕ぎ着けたが、休養中にすっかりスタミナが無くなり、フルマラソンのレースペース(4分30秒/km程度)にも関わらず、後半失速するという何とも頼りない状態だった。 当初の予定では、青梅で30km走中心の走りこみを終了し、徐々にスピード練習に移行するというトレーニングを想定していただけにショックは大きかった。とは言え、ホノルル終了直後から次の目標は荒川!と決めていただけに引く訳にもいかず、必死に青梅出場時の状態に戻すことを心がけて走りこんだ。 そんなこんなで、けっして順調とは言いがたい状態だったが、とりあえずは出走体制を整えたが、試練は他にもあった。

今回は失敗を恐れずにチャレンジする!というコンセプトを持っていた。1つ目のチャレンジはカーボローディング。これまでもレース前日に炭水化物を多めに取るという、なんちゃってカーボローディングは行ってきたが、今回はもうちょっと本格的にレース1週前の土曜日に2時間程度の走りこみを行い、エネルギーをある程度使い切った状態からレース3日前の木曜日まで、ご飯、パンといった炭水化物を抑えてたんぱく質中心の食事、木曜日の夕食から炭水化物中心に切り替えると言った食生活を試してみた。もうひとつはシューズ。これまでは”フルサブフォー”クラスの安定性重視のシューズを選んでいたが、”フルサブスリー〜3時間30分程度”という個人的な印象としてはかなり軽いシューズを選択した。(ミズノウエーブエアロ) 荒川なら平坦だから大丈夫、しかも練習で30km走を行ったときは問題無かったので、あと12km程度の延長なら大丈夫との判断があった。しかし実際はこの2本柱のチャンレンジが両方とも裏目に出た。

まずは、カーボローディング。こちらはレース3日位前からかなりきつい便秘状態に陥ってしまい、レース当日もお腹にかなりの張りを感じながらスタートラインにつくという有様でレース中、いつ、さしこみが来るか心配で気分的にも、かなりブルーな状態となってしまう。しかもレース当日は曇りで気温が低め。正直なところ、レース出場を見合わせようかと思うほど不安な状態だった。 そうは思ってもこの数ヶ月の努力を不意にする勇気も決断力も持ち合わせてはおらず、テンション下がり気味ながら一応はスタートラインについた。 そんでもってスタート。 ”とにかく3時間ちょっと、持ってくれよ”の願いを込めてお腹に手を当てた。しかし、こういう不安な状態にも関わらず最初の5kmは22分00秒(4分24秒/km)というまずまず順調なペースで滑り出した。体調面で大きな不安を抱えていたので、ペースはあまり気にせず行こうと決めていたが、この滑り出しは僅かではあったが自分に勇気を与えてくれた気がする。続く5kmは体が温まってきた事もあり自然なペースアップ?で21分19秒(4分16秒/km)。しかしこのあたりでシューズ選択の裏目が早くも現れた。右足親指付け根付近にヒリヒリとした痛みが現れ始めたのだ。練習では30kmまで問題無かったのに・・・練習と本番のペースの違いが原因と判断。これ以上ペースを上げたり、このペースを維持しようとすれば折り返し前にマメが破裂してしまう。そんな不安に駆られてペースを抑える事にした。しかしこれが抑えきれない。いつもなら、目標をみつけて、その後ろにつかせてもらい、ペースを落ちつける事ができるのだが、一度上げてしまったリズムを足が記憶してしまったようで、ついつい前に出てしまう。そんな感じだったので10km-15kmは21分26秒、15km-20kmは21分27秒という中途半端なペースコントロールになってしまった。(走っていてラクだなぁと感じるくらいまで抑えたかったのだが・・・) ようやくペースが落ち着いたのは20km-25km。でもこれはそれまでの軽い追い風が、折り返して向かい風になった影響という気がしないでもない。ペースは21分46秒(4分21秒/km)。このペースで最後まで行ければ!という願いを持ったが25km以降は徐々にペースダウンし始め25km-30kmが22分11秒(4分26秒/km)、30km付近では寒さのせいで?右腕ひじ間接付近に痙攣を発症。さらにお腹の張りは凄みを増し始め、右足裏のマメは着地の度に痛み出し、頭の中では辛い!辞めたい!という言葉がこだまし始めた。こうなると走り続ける意味は、唯一記録だけ。このまま緩やかなペースダウンでフィニッシュできれば、ホノルルの記録を上回る事はできる。これを唯一のエネルギー源にして耐えた。30km-35kmは22分40秒(4分32秒/km)で、ついに4分30秒を超えてしまった。でもこれ以上はどうやっても早く走れない。35km-40kmは、23分08秒(4分38秒/km)。前半作った貯金がどんどん減っていくが仕方が無い。そして40kmの看板を過ぎて暫くたったところで、3時間が経過した。サブスリーまで距離にしてあと約1.5km。これが今の自分の実力。結局ラスト2kmは4分46秒/kmペースまで落ち込み、3時間06分30秒(NET計測)でレースを終えた。

ホノルルよりも4分早く走れた。しかし今回は良かれと思った事が全て裏目に出たこともあり、また体調が優れなかった事もあり、記録達成の喜びの一方で、妙な虚しさが残るレースとなってしまった。これでフルマラソンは暫くお休み。もう一度、脚を鍛えなおし、今回の反省を生かして2005秋−2006春シーズンのサブスリーに賭けてみようと思う。

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