東京国際女子記念市民マラソン              T.K

11月16日(日)東京国際女子記念市民マラソンに出場した。このレースは以前の
レポートにも書いているが、年内の最大目標であり、自己記録更新を目指す個人
的勝負レースでもある。その為、照準をここに合わせて、食事制限(体重調整)や
トレーニングを行ってきた。その甲斐あって、レース当日の体調としては、過去最高
と呼べるくらい良かったと思う。(問題は実際にスタートしてみて、どうか?だが・・・)

レース当日は、6時に起床。K枝に特別オーダーしたあんころ餅を作ってもらい3個
食べた。その後も時間をかけながら、小さいアンパン2個を食べたり、100%オレンジ
ジュースを飲んだりして、エネルギー補給は万全。自宅は、8時30分に出発した。
競技場到着は10時30分頃。慌しい雰囲気の中、受付を済ませ、競技場スタンドで
走り仕度を整えた。ここ数ヶ月のレースは全てこの日の為に出場してきたので、レー
ス前に緊張することは殆ど無かったが、今日は別。目一杯のレースをするつもりなの
で、緊張感も高まってくる。

このレースは出場制限が厳しく、フルマラソン3時間15分相当のタイムを求められて
いる。自分の持ちタイムからすると出場ボーダーライン上だ。制限時間は3時間20分
だが、途中の関門は5キロ毎に23分間隔で定められているので(30キロ地点まで)、
4:36/kmペースで進めなければ、いきなり最初の5キロで捕まってしまう可能性もある。
スタート地点までのロスタイムを考えると、最初の5キロは少しオーバーペース気味に
突っ込まないと、いきなりゲームオーバーって事も有り得る???
と言う事で今回定めたペースは、4分30秒/km。このペースで最後まで押しきれれば、
3時間10分程度のタイムでゴールできる事になる。しかしながら、大きな障害となりそう
なのがこの日の気象状況。気温は24度だった。北海道マラソン(気温26度)ほどでは、
ないが寒くなり始めているこの時期の気温とのギャップからするとこっちの方が厳しそう
に思えた。かといってペース設定を落す訳にはいかない。何故なら、関門に引っ掛かり
レースを続行できなくなってしまうから・・・

スタートは午後12時25分。女子の部が12時10分にスタートし、そのあと男子の部が15
分遅れてスタートする。男子ランナーが女子の先頭集団に絡まないようにというテレビ
局の計らいか??? 今回のレース、東京国際女子マラソン(本戦)のほうは、高橋尚子が
出場するということで大いに盛りあがっていた。高橋尚子が2時間20分を切って、アテネ
五輪出場を内定する。これが大方の予想で、多くの人がそう信じてのレース観戦だった
に違いない。私個人が思い描いた自分自身の結果は、3時間10分を切って自己記録
更新!だった(のだが・・・)

スタート前は陸連の役員がゼッケンをチェックして、きっちりと番号順に並ばせるという、
そこまでする意味があるのか?ちょっと疑問の行動を繰り返していた。(実際、移動を開始
したら順番はバラバラに・・・) さらにスタート地点への誘導では、スタート順が後ろの人
からスタートラインを逆方向へ移動させたため、先頭に近い人達がスタートラインに到達
できないというドタバタ。スタート時刻3分前になってもまだ移動してる始末。『焦らずに、
速く歩いてください!』なんて滅茶苦茶な注文も飛び出す始末。『おいおいスタート時刻
が遅れて関門閉鎖が時間通りなんてことないだろうな?』という不安も・・・
それでも何とか、スタート1分前には移動が完了。ぎりぎり間に合った模様。でも先行きが
不安。何はともあれ、定刻通りにスタートが切られた。スタートラインまでのロスタイムは、
約30秒掛かった。最初の5キロは22分30秒以内(4:30/km)で走らないといきなりアウトに
なってしまう。そんな焦りが多少あって、スタート直後の1キロは4分15秒で入ってしまった。
『これは拙い』と思い、徐々にペースを落していった。その結果、次の1キロは、4分30秒。
何とかレールに乗った感じ??? しかしこのあと下り坂が始まり、ペースは再び上がっていっ
た。それにしても暑い。汗が勢い良く噴出して目に入る。のども乾き始めていた。5キロの
エイドを前にして早くも脱水気味。エイドが待ち遠しかった。

第1関門の5キロポイントは、21分45秒で通過。最初のロスタイム30秒を引くと実質は、
4:15/kmペースとなる。下り坂を加味しても明らかにオーバーペース。この暑さからして、
もっと慎重に走らなければいけなかった。そして待望のエイド。し・し・しかし、水が無い。
有るべきはずのコップがテーブルの上に一つも無い。『そんなバカな!まだ先にテーブル
があるんだよね。』と思って走っていたが、最後のテーブルにもコップは一つも並んでおらず
ランナーはポリバケツの水を落ちているコップや手ですくって飲んでいる始末。私もここで
飲まなかったらもたないと思い、ロスタイム覚悟で、落ちているコップを拾いポリバケツの空く
のを待った。しかし順番が来た時、ポリバケツの水は底をつき、白く濁った水が僅かに底に
残っているだけ。これでは飲めない。辺りにはランナーの罵声が飛び交う。

『何で水がないんだ!!』、ボランティアに怒鳴りつけるランナーもいた。でも悪いのは、
ボランティアじゃなくて運営側。ボランティアの方は、与えられた仕事を一生懸命こなして
いるのに・・・ って思ったら、怒りが収まってきた。『まあ次のエイドにはあるでしょう。』と
気持ちを取り直して走り出した。

7キロを過ぎて、スポンジエイド登場。『スポンジの水は飲むな!』というのがランニングを
始めた時の教訓。でも掛水や口を濯ぐだけでも気分は変わる。スポンジの配布を心待ちに
した。がっ、スポンジもない。行けども行けどもテーブルの上にはスポンジが置いていない。
またしてもランナーはテーブルの沿道側に置いてあるポリバケツを奪い合う有様。私も、
落ちていたスポンジを拾って、バケツが空くのを待ち、スポンジを突っ込んだが、皆が同じ
ようなことをしているので、水は濁っていた。これでは口を濯ぐ事はできない。とりあえず身体
に水をかけた。するとその直後、沿道にいた”たなちゃん”(横浜駅伝優勝の立役者)が、
スポンジをもってサムズ・アップと叫んでくれた。綺麗なスポンジ(水)が貰える〜!と思った
のも束の間、前を走っていたランナーにそのスポンジを奪い取られてしまった。

ガッカリ・・・ もしかしてこのレース、水は永遠に貰え無いのか??? 水がほしけりゃもっと
速く走れ!ってことなのか??? 生き残る為には廻りの人間を蹴落せってことか??? 
陸連の係員に詰めより、『次のエイドでは水をしっかり用意させとけ!』と怒鳴るおじさんも・・・
楽しそうに沿道で手を振る観客とは対称的に、ランナーのほうは都会の砂漠をさまよう放浪
者?と化していた。次のエイドは10キロ過ぎ。『次は頼むよー』の願いを胸に先へ進んだ。

ここまでに給水をできなかったというのは確かに痛かった。しかしそれにも増して、エイドで
水の争奪戦を行ったことによるロスタイムも痛い。5キロ〜10キロ間で計2回。正確な時間は
分からないが1分以上は使っている。さらに時間と言う貴重な代償を支払ったにも関わらず
水の争奪戦に敗れたという精神的ショックも大きかった。このロスタイムを取り戻す為に、
ペースを上げざるを得ない。ペースを上げれば脱水の度合いも深まる。悪循環だった。

10キロの通過タイムは、44分30秒。関門タイムの1分30秒前に通過。5キロ〜10キロは、
22分45秒で走った事になる。ラップとしてはまずまずだが、エイドでのロスタイムを少なく
見積もって1分と仮定すると21分45秒(4分21秒/km)。まだ速い。速いがこのくらいのペース
でいかないと、ロスタイムを取り戻せない。

10キロ過ぎのエイドが現れた。今度はあるだろう!という期待半分。もしかして!という不安
半分。テーブルの上はやかんが数個おかれているだけ。コップはまたしても無い。
ランナーは半分暴徒と化して、やかんを奪い合う。ボランティアの人達は、危険で近寄れ
ない雰囲気。罵声が飛び交う。『殺す気かー!』、『何とかしろー!』 ついには、水溜りの
水を落ちていたコップですくって身体にかけたり、口を濯ぐランナーまで現れ、修羅場という
よりは地獄絵図の様相を呈していた。沿道の人に『水ありませんかー』と詰め寄る人。
落ちていたペットボトルに残っていた僅かな水分を口に含む人。それを笑ってみている観客。
何かしようと思っているのに、何もできないボランティア。この後に及んで『ランナーはテー
ブルの沿道側に入るな!』と怒っている陸連係員。それに対して、『文句言うなら水持って
来い』とケンカ腰になっているランナー。ランナーの進む方向が定まらずアチコチで接触や
衝突が生じていた。 この10キロのエイドではあまりにも激しい水の争奪戦を目の当たりに
して、それに加わる気持ちも失せた。

この数ヶ月、このレースの為に食べたい物を抑え、飲みたいものも我慢して調整してきた。
トレーニングも過去最高の距離をこなし、新たな取組みもしてきた。それは何よりもレース当日
多くの観客の声援を受け、それに感謝しながら、笑顔で走り、その結果、自己ベスト更新。
こんなイメージを思い描いていたからこそやってこれた事だった。それなのに・・・この有様。
水を飲めなかったショック以上にこの光景がショッキングだった。こうなったらこのレースに
もとめる事は結果だけ。自己記録更新は駄目でも完走だけはしてやろう! こんな事に負け
てたまるか!と自分を奮い立たせてエイドを離れた。

12キロ過ぎのスポンジエイド。ここもやはりスポンジは無かった。もう汗は出ずに身体には
塩が浮き出ていた。もう驚くことは無い。無くて当たり前。この状況で行けるところまで行く
しかない。増上寺付近にはK枝とヨー娘。さんがいた。駆けよって『水がないか?』聞いた。
レース前に飲んでいたポカリスエットが少し残っていたので、それを受け取り走り出した。
厳密な事を言えば、ルール違反。特定のランナーへの援助は禁じられている。でもそれで
失格になるなら失格でも良い。貰ったペットボトルは量が少なかったので、どれだけ効果が
あるかは分からないが、レースが始まってから初めて口に含んだ水分だった。あっという間に
身体に染み込んでいくような気がした。

15キロの関門。タイムは1時間7分15秒。関門閉鎖の1分45秒前に通過した。10km〜15km
の5キロは、その前5キロのラップとピッタリ同じ22分45秒だった。でも内容的には、エイドでの
ロスが殆どない(K枝からペットボトルを貰った10数秒のみ)ので、ほぼレース前に立てた、
設定ペース22分30秒(4:30/km)になっていた。ただし、余裕はなくなってきた。呼吸が
苦しくなり始めていた。脚も徐々に重たくなっていた。風は向かい風で、鳥肌が立っている。
それなのに身体の中は熱っぽかった。これだけのトレーニングを積んできたんだから!という
レース前の自信は消え去り、どこまで行けるんだろうか?という不安に支配され始めていた。

このあたりから、沿道やコースへの意識が薄れていった。高橋尚子とすれ違ったのも、どの辺り
かはっきりと覚えていない。ただ大声援が起き、男子ランナーが一斉に中央分離帯に寄って
いったのは記憶している。品川駅を超え、八ツ山橋を渡ったのは覚えているが、高橋尚子と
すれ違ったのや、17キロ付近のエイドがその前だったのか、後だったのかは分からない。
とにかくも、17キロ付近のスポンジでエイドで初めてまともなスポンジを手にする事ができた。
あまりの乾きに耐えきれず『スポンジの水は飲むな!』の教えを破った。変な味がした。気分が
少し悪くなったが口の中の乾きは一時的に凌げた気がする。スポンジをもう一つ取った。頭、
首、脚に掛水をした。顔についていた塩が溶けて塩水となり目に入った。
曙くんの『大丈夫!落ちついて!』という声援を受けたのもこの辺かな?落ちつける状況じゃ
なかった。

20キロ通過は1時間31分ちょうど。関門閉鎖の1分前。ここまでは僅かづつでも貯金を作って
いたが、ついにそれを使い始めてしまった。15キロ〜20キロのラップは、23分45秒。4分45秒
/kmにまで落ちこんだ。しかしこれ以上ペースを上げる体力はもうない。そもそもこの時点で、
これだけ正確なペースは計算できていなかった。もう頭もボ-ッとし始めており、簡単な足し算
すらできていなかった。関門閉鎖まであと1分というのは、陸連係員の声で確認できたものだっ
た。これを聞いたとき、次の関門を突破できるかどうかは微妙だな?と感覚的に悟っていた。

20キロを通過したあと、給水ポイントが現れた。テーブルに上に数個コップが並べられていた。
ボランティアがやかんから水を注いでいたので、それを待ってコップを受け取った。満杯に注が
れた水を歩きながら思う存分、口に運んだ。水の有り難味を感じた。凄く美味しかった。
ここまで水を飲めなかった事など忘れて、コップ一杯の水を味わったら、満足した。満足はした
が、それが走りに効果を表わす事は無かった。それよりも、水を飲めた!という精神的な部分で
の充足感が『何が何でも完走する!』という意気込みを流してしまった。再び走り始めたが、
ペースは元には戻らなかった。折り返し地点のちょっと前でhiroさんの声援を受けた。
何か言ったような気はするが、良く覚えていない。

折り返し地点を過ぎた。ここから先は物理的にゴールへと近づく。精神的には嬉しい。また風向
きが向かい風から追い風に変わったので、少し走りやすくなった気がした。ただ、視界は確実に
狭まってきていた。沿道の人,コース周辺の景色,距離表示などが目に入らなくなってきた。脚は
勝手に動いている。ほっとけば、まだ当分の間は動きそうな気配だったが、ペースを上げるほどの
力はない。というより脚に意識がいかない。それは、胃がもたれるような?吐き気がするような?
肺が締めつけられるような複雑な感覚に内蔵が襲われ、脚にまで注意が向かなかったからだと
思う。距離に対する意識だけでなく、時間に対する意識も消えて行き、時計をチェックする事を
忘れていた。慌てたのは25キロの距離表示が遠くに見えた時だった。時計をみると1時間54分
を過ぎたところだった。残り数百メートル? 間に合わないかもしれない!と思いペースを上げた。
あの時点で最大限に出しうるスピードで走った。(と思う) 係員の残り10秒という声が聞こえた。
『駄目かな!?』と思いながらも諦めずに走った。5秒,4秒,3秒とカウントダウンが始まった。

数メートル離れていた前の集団が通過した直後、黄色と黒の工事現場に良くあるロープを持った
係員がコースに立ちふさがった。突然の出来事で、ロープに引っ掛かるようにして停止した。
ゴールテープではないので、ロープは切れず、まさしく捕まってしまったー!!という感じ。
昔、野生の王国というTV番組でアフリカのシマウマを、ロープで生け捕りしていたが、まさしく
そんな感じ。『水もろくに出さねえんだから、少しくらいおまけしろよー!』という滅茶苦茶なことを
言い出すランナーもいたが、気持ちは良く分かる。『あーあ、史上最低の大会に出ちまったナー』
とつぶやくランナーも・・・ 私の心の片隅でくすぶっていた事を代弁するような廻りのランナーの
言葉に、くすぶっていた火種は全て消し去られ、『ま、いっか!』とこの時点では、サバサバした
気持ちになった。

ただ辛かったのはその後。レースが終了しても水分を貰う事が出来ず。数百メートル離れたところ
に見えるエイドに水を貰いにいこうとしても、収容バスをここで待つように!と頑なに言い張る陸連
の係員。レースが終わってしまい緊張の糸が切れたせいか、のどの渇きは加速度を増し、もう我慢
できなくなってきた。その時、ボランティアの一人が、『行かせてあげなさいよ!』と叫んだ。
『脱水状態なのに、水を取らせて上げなかったら倒れてしまうよ!!』 その声を聞いてランナーは
一斉にエイドへ向って歩き始めた。皮肉にもそこには、たくさんの水があった。コップも充分な量が
置いてあった。コップ一杯の水を口に含み、二杯目を口にしようとしたが、胃がこれ以上の水分を
受けつけなかった。収用バスが現れる気配がない事を感じると、一行はゴール方向へ向けて、
歩き出した。次第にそのペースは速まり、ジョグに変わった。結局品川駅前で収用バスが来ると言う
情報を聞き、そこで待つことにした。

数十分(30分くらいか?)待ってようやく収用バスが訪れた。バスに乗りこむ時にいちいちゼッケン
番号をチェックする為、なかなか乗りこめない。既に胸のゼッケンは回収されているのに。何の為???
ちょっと疑問だった。 バスに乗り込んでも、水は8本しかないので『どうしても欲しい』という人は言っ
て下さい。という係員の一言。欲しかったが、『どうしても欲しい』と言われて『欲しい!』と手を挙げる
勇気はおこらず、競技場まで我慢する事に・・・ しかし渋滞が激しく競技場になかなか到着しない。
ロープに引っ掛かってから、1時間30分掛かってようやく競技場に戻ってきた。バスに乗っている時間
が長く、競技場に辿りついた時には、気分が非常に悪くなってきた。周期的に吐き気が襲ってくる。
のどは乾いているのだが、胃が受けつけない。

競技場でK枝、ヨー娘。さん、MARKさんと合流。その後は座っている姿勢に耐えきれなくなって、
椅子の上に横になった。数時間後、レースに参加したメンバー、応援してくれたメンバー、ボランティ
アのメンバーと一緒に新宿の中華料理店(2950円食べ放題、飲み放題)に行ったが、気分はすぐ
れず、悪化の兆し。いよいよ我慢しきれずトイレに駆けこむ羽目に・・・ でもリバースしてからは(昼休
みに食事中の方、ごめんなさい)気分も良くなり、その後は適当に食べる事ができた。

最後は何のレポートなんだか良く分からなくなってしまったが、実際のところ、このレースは自分に
とって何だったんだか未だに良く分からない。結果だけ言えば、記録を目指して挑んだレースで
完走すら出来なかった。ってだけの事なんだけど、ここに賭けて来た意気込みが相当あったので、
何か腑に落ちないような・・・ それでも、あの気象状況で、水不足で、自己記録更新した人もいる
ようなんで、そういった意味では自分の実力は、まだまだなんだなーと言う事かな。

今後についてはQちゃん同様、次のレースは考えられない!と言いたい所ですが、私にはホノルル
マラソンが待っている訳で、今回のトレーニングで積み上げてきた脚を、こんな不本意な形で終結
させるわけにもいかないんで、気持ちを入れ替えて、今回のレースはホノルルへ向けた25キロ走&
脱水走行のトレーニングと考えたいと思います。しかーし、あれだけの規模の大会で、水が足りなく
なるなんてどうなんでしょね??? (荒川市民マラソンは1万人もいるのに最後の一人まで水は残って
いると聞きますが・・・) ちなみにレース翌日、脚の方は25キロしか走ってないのでダメージ無し。
でも頭はちょっとボ-ッとしている感じで、胃(内臓)は未だにスッキリせずと言った感じが続いており
ます。

今回のレースについて振りかえれば、最初の5キロを飛ばしすぎてしまったという反省はあるものの、
その後は、こうとしか走りようが無かったんで、あの状況下では最善の走りができたんじゃないかと・・・
それで、完走できなかったのは実力不足(多少、自分を弁護するなら、このレースを完走するには
と言う条件をつけたいが。。。)だったって事だと思う。まあレースを選ぶのは自分の責任なんで、もし
後悔するところがあるとすれば、年初の計画通り、記録狙いは、しっかりとした大会開催実績のある
太田原にしとけば良かったかなー?というところでしょうか(全然、気持ちが切り替わってない?)

まっ、何はともあれ貴重な経験をさせていただきました。来年、もしこの大会があったら? きっと参加
すると思います。ボランティアまたは応援で・・・ 制限時間に追いかけられて走るより、田舎でもよい
から余裕を持って走りたいと思います。 この手の大会はもっともっと実力をつけてから参加したいと
思います。関門に引っ掛かってのリタイヤは切なかったぁ。調子が悪くても、タイムが悪くても完走させ
てくれる大会を好みます。(できれば、水飲み放題。欲を言えば、バナナくらいは貰える大会を・・・)
でも来年はこの大会、無くなっちゃうかな???


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